「―――渡邊さん…?」


新米教師らしく事務方の仕事を手伝って、戻ってきた職員室。
扉を開けたら、そこには誰もいなかった。
正確には、自分のデスクにうつぶせに倒れ込むようにして寝ている、オサムちゃんこと、渡邊オサム先生以外は。

この人、一言でいえば同僚、というか職場の先輩にあたる訳だけど……


「(起こした方がいいかなあ…)」


この人仕事中ってこと忘れてるやろ。

そう呆れはしたけど、最近のテニス部の練習に付き合ったり、学校行事が立て込んでたりして疲れがたまってるのかもしれない。
そう思い直して、とりあえずコーヒーを入れてあげようと簡易キッチンに立った。出来たてでモクモクと湯気をたてるそれを持って、わたしは渡邊先生のデスクに近づいた。


「――渡邊さん、起きてください。起きてくださーい…」


声をかけても起きないし、軽く揺すってみても結果は同じ。

ていうか、今わたしすごく美味しい状態じゃない?
淡い想い人と、寝てるとはいえ2人っきりなのに、もう少しこのままでいたいなあ、なんて。


「…コーヒー冷めちゃいますよ、先生。起きてくださー…あ。」


そういえば、面白いものがある。

こないだ女子会で使ったら大ウケだった催眠術による恋の呪文。
催眠術なんていっても、糸に五円玉を通した古典的かつ、ちゃちなモノだけど。

だけど、ちょっとだけ、わたしの中にあるイタズラ心が疼いたらしい。


「――あなたはわたしを好きになーる。あなたはわたしを好きになーる。あなたはわたしを…」


なーんて、やっぱりアホらしいか。

渡邊さんの頭上で揺らしてた、糸を回収して思わず苦笑い。
もういい歳した大人になって好きなひとの射止め方が催眠術とか、なんか情けなくなってきたわ。


「―――なんやもう終わりか?」


だけど、うつ伏せで爆睡してたはずの渡邊先生の顔がわたしの目の前にドアップされていて。

思わず学校中に聞こえるんちゃうか、っていうくらいの盛大な悲鳴がこぼれ落ちた。


「ひぃぁああああああああああ!!」

「うっさ!ちょ、なんや人を化け物みたいに悲鳴あげよって」

「わわわわわわわわ渡邊さん寝てたんやないですかっ!」

「いや起きてた」

「ど、どこからっ!」


逃げ腰になったわたしの手をひいて、不適な笑みを浮かべる先生。

1メートル。
この微妙な距離に抱く想いは。


嬉しさと、寂しさと、少しの切なさ。


「んー…ていっても、みょうじ先生がコーヒーいれてくれた所くらいからやで」

「ほとんど最初からじゃないですかっ!!!」


今なら死ねる。

心からそう思った。
教師同士の恋愛がだめとか思ってないけど、そんなんじゃなくてただ純粋に。
ずっと胸の奥にしまってた恋心を見破られたのが恥ずかしかった。


「ははは。賑やかなやなーみょうじさんは。まあコーヒー頂きますわ」

「やっぬるくて不味いやろうし、無理しんでいいですよ!」

「あーおれ猫舌やからこれくらいが丁度やねん。ありがとうみょうじさん」


………ずるい。
わたしばっかり好きが積もってく。

ていうか、さっきまでの出来事はスルーですか。
未だに心臓がバクバク煩いのはわたしだけ。
そんなこと、ずっと分かってたけど。


「―――あ、せやみょうじさん」


わたしの淹れた冷めたコーヒーカップを片手に、くるりとわたし側にイスを回転させた渡邊先生。

慌てて俯けていた顔をあげたら、はにかんだ優しい笑顔の渡邊先生。


「もうすぐクリスマスやけど、その日あいてるよな?」

「え、え…クリスマス…ですか?」

「おん。」


なんでそんなこと聞くの。

そう言いたげなわたしの視線を感じ取ったのか、さっきのわたしの催眠術道具をピーンとはじく先生。


「みょうじさんが催眠術とかかけるから悪いんやで。
クリスマス、責任とってな」



そういって笑うあなたは
やっぱりずるい。




あなたはわたしを好きになる
(キッカケが欲しかっただけ)(想いははるか昔から)
(ずっと変わらなかったの)











なんじゃこれ。







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