蝉がうるさい、頭の奥をかきむしられてるみたいだ。だから夏は好きになれない、暑さと蝉のせいで判断力は低下するし何もかもが大げさになる。やっぱり夏は暑くてなんぼねえ、とかなんとか、それを愛でるような周りの雰囲気もうんざりだ。
ついでにものがすぐ腐る。台所に置いてあった昨日の夜の味噌汁がもう腐っていた。
(アイツがみたら怒るだろうか)
夏は腐るのだ。例外なんかない、もちろん人だって。
畳の匂いが普段より濃い気がする。蒸し暑い和室に今は2人だけ。俺とサンジ。サンジはもう長いこと隣でわあわあ、子供みたいに泣いている。別におかしいことなんて一つもない。なぜなら今さっきサンジの恋人が死んだから。そんなに泣くならさっき泣けば良かっただろうに。早すぎる死を惜しむ大勢の人間の前で。なのにコイツときたら涙の一滴、さよならのひと言さえ言わなかった。ただ静かに、そこにいるだけ。悲しんでるそぶりも見せないものだから、陰口までもたたかれる始末。なのに二人きりになった瞬間、壊れたみたいに涙を流し嗚咽を漏らす。イライラした。何になんてわからないが、多分サンジに。どうして俺の前だけでは涙を流すのか、そんなの決まってる。俺が奴にとって特別だからだ。
(特別…)
不意に苦しげにしゃくり上げる声が止んだ。汗だくになりながら、目を真っ赤に染めて泣きじゃくってたサンジが静かになった。自分は黒いネクタイを少しだけ緩めながら近づく。そうでもしなきゃ窒息しそうだった。その時自分は確かに何かに脅えていたのだ。
「気ぃ済んだか」
「なあ、ゾロ」
こちらの声なんて聞こえてないみたいにサンジは呟いた。
「あれさァ、覚えてるか?」
サンジが指し示した部屋の片隅。一体の大きな雉のはく製。俺たちがガキの頃からこの部屋に置いてあるものだった。
「俺もお前もアレ、嫌いだったよなぁ」
「はく製なんか気持ち悪いっていって」
「死んでるもの、いつまでもって」
こっちの反応などお構いなしにサンジは一人話し続ける。そこまで言って、しばらく奴は動かなくなった。こんな時に限って蝉は一斉に押し黙る。あの頭をかき乱す鳴き声は聞こえないまま、俺の頭は吐き気がするほど冴え切っていた。それから諦めたみたいな声色でサンジはぼやいた。
「でも、今ならさあ。今ならちょっとわかるんだよ。」
「…そうかよ」
サンジはそのまま気を失うようにもたれ掛かってくる。もう泣きはしなかったけれど、顔を上げることもなかった。静かに目を閉じて腕の中で動かなくなった。下唇を強く噛みしめる。血の味が鈍く口の中に広がっていくのを感じた。多分自分は怒っているのだ。馬鹿馬鹿しくてやっていられない。特別だなんて。
(これは俺が欲しかった特別じゃない)
持って行かれたのだ。一生、手に入れられない場所に。
イライラする、やはり夏は嫌いだ。
溶けてしまえ。澄んだ頭でもう一度繰り返す。
溶けてしまえばいい、もう一生俺たちの前にあらわれぬように。