眠れないのかと聞けばそうだよ、と暗闇の中の金髪は声だけで笑った。風もない今日みたいな夜は波も穏やかで海は死ぬほど静かである。退屈で欠伸が出る、しかし嫌いではない。柔く頬を撫でる生温い風も、今はあの男の金髪をすくって鈍く光らせるから悪い気はしなかった。
続けざまに悪夢かと問えば「うちの船長イビキやべーよなぁ」と下手にはぐらかされて終わり。別にだからと言ってどうするわけでもないし、会話を続ける意味もないので解散。しかし踵を返せば僅かにすがるような金髪の声が追いかけてくる。

「もう少しいれば」

かまわず歩きだす。声音は変わって、少し呆れたような焦ったようなものになった。「待てって、ちょっと付き合えよ」ひとつの青い目が、親の機嫌を窺う子どものようで笑えるような笑えないような。肩をすくめ、からかいを含めつつ答えた。
「それは俺の役目じゃないな」
それは特定の人物を指している。緑頭。怒鳴らせるつもりだったのに、やはり今の金髪は期待を裏切る。黙ってこちらが折れるのを待っていた。そこで昼間の男と今目の前にいる男、もしかすれば別の生き物なのかもしれないと気づく。知らないものへの興味は尽きない性だ。仕方ないので男の近くまで行って見下ろすと「お前やっぱどっか嫌なヤツなんだよなぁ」と面白がるように金髪がぼやいた。「そんで嫌いになりきれないぐらいはイイヤツ」今度こそ小さく笑う。静かだがよく喋る男は「座れよ」そう言って、今いた場所から僅か横に移動した。広い船の中、ぽつんと座る男だ。除けずとも場所なんていくらでもあるというのに、敢えて人ひとり分金髪はスペースをつくった。男のこういうところが、自分は未だ理解できないままでいる。膝を抱え顔を埋める金髪の、呼吸は乱れていて浅い。酷い汗で首筋にはりついた髪を忌々しげにかきあげた。その仕草はあまりこの夜に相応しくない。

「なあアンタさ、」
声はとても小さい。返事を返すのも億劫になるほどに。
「故郷の海を覚えてるか」
それは囁くようで、多分金髪はこの質問を誰にも聞かれたくないのだろう。男が自分と同じ海で生まれたことは知っている。他でもないこの男自身が、まだ船に乗って間もない自分に言って聞かせたのだ。騒がしい船内の中によく溶け込むあの笑顔は、同郷だという事実に浮かれてさえいたはずだ。あの時の忙しなく表情を変える男と今隣にいる男、やはりどうしても重なってはくれない。答えを待つ金髪と目があう。
「さあな」
しかし答える義理はないのだ。代わりにこちらから質問を返した。
「お前はどうなんだ?」
一瞬の沈黙。海の静けさが一層際立つ。しかしもう、そんなことどうでもよかった。自分の予想が当たっているなら、今の二人がいるのはこの海ではなくて、もっと遠く冷たい、残酷でけれど美しい、しかし。

「よく、」
不自然に明るい声が夜の海に響いた。

「よくこうして耳を塞いだんだ。両手で、こうやってぴったりな。そうすると、海の音が聴こえるからって、安心するだろって教えられて…いや、教えられてねえかも。どうだったか、忘れたが…まあ、そんなことどうでも」

いいだろ、
打って変わって声は消える。両耳をふさぐ両手は音もなく、パタリと床に落ちた。それから自分自身を抱き締めるみたいにさらに金髪は縮こまるのだ。自分は何故か、その姿にとても身に覚えがあって、そしてそれは随分前に捨てたはずの記憶だった。

「お前」
「なに」
「覚えてないんだろう」

静かに問いただす。その瞬間、心底何かに怯えるように金髪の瞳が揺らいだ。気丈にも口角だけは笑みの形を保っていて、それが余計に痛々しい。たった今、覚えていないのだろうと言った。しかし自分は知っている。この男は覚えていないことにしただけだ。あの海はそういう海で、そうした方が上手く生きられる。そうでないと生きられない、しかし男は恥じているのだ。故郷を捨てたことを、或いは捨てられたことを。

「大丈夫だ」
気づいたら口走っていた。どうして自分はこんなことを。何のために。
「適当なこというなよ、」
「わかるんだよ」

「俺もお前と同じだ」


▼今目の前に重なるいつかの幼い己よ

 


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