(ヤバイヤバイヤバイ)
頭の中がショックでチカチカした。薄暗いキッチンに横たわるのはサンジひとり。高級マンション44階にあるピカピカのシステムキッチンの床は見事な大理石になっていて、ぴったりと密着するサンジの頬と体を冷やした。ヒューヒューと聞いていられないほど痛々しい呼吸音が静まり返った部屋の中でやけに響く。冷蔵庫から微かに聞こえる低い電子音が苦しげな呼吸音と重なった。
ゴボッ
鈍く喉が鳴って唾液と一緒に血反吐を吐き出す。首もとを押さえる両手の下からは相変わらずドクドクと、とめどなく生々しい真っ赤な液体が溢れ出ていた。触れるもの全てが生暖かくてサンジは自分が「イキモノ」であることを嫌でも自覚しなければならない。
(怖ぇ…)
血だまりの中、自分の血液に滑りながらもなんとか体勢を整える。
あ―あ―
声は出ているので、出血に対して喉の傷はそう深くないらしい。さっき血を吐いたのは殴られたときに口の中を切ったからか。
制服のポケットから怠慢な動作で携帯を取り出した。新規メール作成、宛名はアドレス帳指定。ま行でサンジの動きは止まる。
―マリモ―
この状態では素直に電話で助けを求めるべきなのだろう。いや、もはやあのマリモ教師に真っ先に連絡しようとすることが間違いだ。
(まずは救急車だろ、おれ。)
だけどサディちゃんのことを考えれば、大事にはしたくないし。鋭い痛みの中でサンジはぐるぐる考えをめぐらした。正直とても疲れていて、今まで隠してきたこと全部ゾロに見せてしまいたい気分だった。さらけ出して、なりふり構わず泣き叫んでしまいたい。だけどそうするには、サンジは色々なことを我慢し過ぎてしまったようだった。
或いはもう無駄に勘のいい奴のことだ、すでに全部気づいているのかもしれない。
全てを知った後でもあいつは、おれの隣にいてくれるだろうか。嫌になってめんどくさくなって、離れてしまったら?だって考えれば考えるほど、そうまでして一緒にいてもらえる義理がおれにはなかった。
あえて言うなら家庭環境に問題のある生徒とその教師。
その時点でサンジはメール作成の画面を開いていた。件名もなしのそのメールにたった一言打ち込んで、送信ボタンを押す。
―夕飯―
(…来るわけね―な)
「助けて」とか「死にそう」とか、今必要なのは相手がすっ飛んで来てくれるようなメールだ。実際現在進行形で血を流しているサンジの意識は朦朧としていて、冗談抜きで結構ヤバかったりする。
それでも密かにサンジは賭けていた。もし今のメールであの教師がサンジを救い出してくれたのなら、今度こそ彼女と本気で向き合ってみようと。ずっとずっと目をそらし続けて来てしまったけれど、これからおれと彼女は変われるのかもしれない。
不意に、インターホンがなった。備え付けのカメラから来客を確認、サンジがロック解除のボタンを押せば、家へ通れることになっている。
(まさか)
怪我の為ではない、僅かに胸が高鳴っていくような感覚がサンジを襲った。そんな力はもう残ってないはずなのに、重たい体を引きずりながらモニター画面を目指す。
無意識にため息をひとつ。震える血塗れた右手で、まるで祈るように切り替えボタンを押した。