麒 麟



「真ちゃんってキリンみてー」
「適当なこと言うな」

俺の舌はあんなベロベロしていない。忌々しげに呟きながら、緑間は園内でも一等高い檻の中のキリンを見上げた。緑間が何かを見上げるってあんまりないんじゃないかと思う。羨ましいぜ、キリン。ワザと聞こえるように俺も隣で呟いた。
「なんか言ったか」
「なんか聞こえた?」
ジトリと睨まれて、カラリと笑い返す。
「んなさあ、いつまでもふてくされてんなよ真ちゃん。手渡しで餌あげたらそりゃ、おててなめてくださいっていってるよーなもんだろー?ベロベロにもなるっつの」
「おまえが!やらせたのだよ!俺は嫌だといった!」
「責任転換いくない!」
「黙れ下衆」
「ゲwwwwスwwwwひでえwwww」
「…大体日頃から、手は大事にしろだの何だのうるさいほど騒ぐクセにキリンは良いのかお前は。お前の中の基準が俺にはわからない」
「…まーキリンくらいにはね。恋人の余裕ってもんをね。見せたいよね」
「誰が恋人だ馬鹿」
「舐められたの右手だったし」
「右手だからって妥協する気はないのだよ」
「洗って綺麗にもなったんだからもーいいじゃん、機嫌直せってー」
こうなるのはいつものことだけれど、慣れているとはいえ一向に機嫌の直る気配のない緑間のフォローは疲れる。しかし結局自分は緑間のものとなれば右手でさえも、気になって仕様がないというのも事実だ。もうこれは職業病に近いアレか、もしくは一種の強迫観念か。冬の冷たい水道で洗ったせいで、キンキンに冷えて赤くなった彼の右手がやはり視界をちらつく。たかがしもやけ、されどしもやけ。大事なエース様のおてては右手左手どっちだって俺には大切だ。まあ、自己管理に余念のない緑間が平然としているのだからつまりは大した支障はないということだろう。俺が心配してやる必要なんて、ほんとはこれっぽっちもないのだ。緑間真太郎は強くて真っ直ぐで、ひとりでしゃんと立っていられる人間なのだから。
(高くて真っ直ぐ、やっぱキリンじゃんオマエ)
俺は何も言わずに緑間の冷たくなった右手を握りこんで、手の中で自分とは真逆の温度がじわじわと混ざりあって溶けるのを楽しんだ。ぬるま湯に浸かってるみたいな心地よさに俺の顔は綻ぶ。
「離せ高尾、人に見られる」
「キリンしかいねーってばあ」
そう言って見上げれば、俺のあとを追うように緑間も顔を上げた。よく晴れた寒空の下で、俺たちは寄り添うというには些か遠い距離を保ちながら、悠々と歩くキリンを眺める。母親と思われるキリンが長い首をゆるやかに倒して、子どものキリンに寄り添っているのが見えた。たぶん、緑間も同じものを見ている。
「今のすげー真ちゃんに似てた」
「またお前は適当なことを」
「だってほら、普段はあーんな高いとこにいるやつが」
コートのポケットに手を突っ込みながら、キリンの真似をするつもりで俺は上体を倒す。「こーやって」ついでに隣の緑間にも寄りかかってみたが、すぐに押し返されてしまった。まあ、そうですよね!いつも通りすぎて逆に笑える!
「時々下にいるヤツのとこに降りてきてくれんだぜ、喜びもひとしおってなー?」
へらりと笑う俺を、緑間は何か胡散臭いものをみるような目で睨んだ。それから心底心外だとでも言うように、小さくため息を吐く。俺は彼の白い息が立ち上って消えるのを静かに見送った。
「何を言っているのだよ高尾。俺は誰にもあわせたりしない。なぜそんな意味のないことをする必要がある?全てお前の勘違いだ」
「あら、手厳しいね」
一瞬の間。突き放された、そう思った。だからこの話はおしまい。そのはずだった。

「俺は」
緑間は呟く。不意打ちすぎて、俺としたことが危うく聞き逃すという失態を犯すところだった。
「のぼってきたのはお前だと思っている」
緑間の言葉はあまりにもそっけなく響いた。甘い言葉というものが、必ずしも甘さを伴って響くわけではないことを俺はこの時痛いほど体感したわけだ。緑間は決して笑ってなんかいない。ただまっ直ぐに、彼の中にあった事実だけを俺に伝えていることがわかる。幸か不幸か、ずっと隣にいる俺にはそれがわかってしまうのだ。
(やべーなんか言わなきゃ、笑ってそれから、茶化してお礼言ってでも、)
うまく反応できないでいる俺を、緑色の瞳が興味深そうに上から見下ろしていた。口ほどにものをいう彼の瞳はきらきら、達成感で輝いていて、わずかながら口角も上がっている。
(なにそのしてやったり、みたいな顔)
目眩がした。
あの瞬間あの言葉と一緒に、彼の薄い唇から零れた光に反射して煌めく白い息が、雪崩みたいに俺を飲み込むのがみえたのだ。
決壊寸前、心臓が痛い、ものすごく痛い。「勘弁してよ緑間」ゆるむ口元を押さえて、悔しいがそう小さく呟くのが今の俺の精一杯だ。




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