触れた指先は震えていた



「勝ったんだからな俺」

殴られたのだろう、真っ赤に腫れ上がった高尾の右頬をぼんやり眺めながらその声を聞いた。もう少し上にずれていたら、そう考えるとどうしようもなく怖い。もし殴られたのが右頬ではなく右目で、高尾の右目が潰れていたら。なるほどそれはどんな仕打ちよりも俺を苦しめることになるだろうから、俺への嫌がらせとしては上出来なのだろう。俺を生かすあの目が俺の最大の弱点でもあっただなんて。

「勝ったんだよ」
よほど大事なことなのだろう二度、知らしめるように高尾はそう言った。いつもに増してあの鋭い両目が細められている。俺へと歩み寄って来る途中に二度、血の混ざった唾液を吐いて、その合間に俺の前では絶対に使わないであろう下品な暴言も吐き捨てていた。向けられたのがさっきまで相手をしていた連中に対してなのは明確だが、それでも珍しいとは思う。高尾は俺の前ではそういった類の言葉は使わないのだ。それは俺に気を使っているというよりは、猫をかぶっていると言った方がしっくりくる。

「一度言えばわかるのだよ」
「ほんとかよ」

声だけはいつもの軽さを伴っていた。こんな時でもどこかを取り繕うとする高尾は理解ができないし愚かだとさえ思う。それが俺への優しさから来る行動だとしてもだ。しかしそれ以上に、そんな男が何より愛しかったりするから俺も手に負えない。「愛しい」そう思って高尾の両目を覗きこめば、やっと楽に息ができるようになった気がした。

高尾がゆっくりと俺の左手の拘束を解く。変な具合に拘束されていた左手は、長時間の圧迫で少しだけ色が悪くなっていた。いつもより冷たい自分の左手。すぐに高尾の両手で包み込まれる。温かい手。戻っていく左手の感覚に俺は安堵した。

「拘束されてんの左手だけなんか」
「ああ」
「へえ、ナニソレすげームカツク。やっぱ殺しときゃよかったかね?」
「殺しはアウトなのだよ」
「冗談だよ、でも頭は割っといたから安心して」
「なぜそれが安心に繋がるんだバカ尾」
「ふ、」
「笑うな。ばれたらヤバいのだよ」
「バレねーよ俺器用だもん」

誤魔化すように中身のない会話をしばらく続けた。そうだ。拘束されていたのは左手だけだ。逃げようと思えば逃げられた。が、それはあくまで左手を犠牲にしたらの話で、俺にその選択肢はない。だから黙って甘受した。それがどんなに自分のプライドを殺すことになってもだ。俺には左手がなければ意味がないから。
肌蹴たシャツのボタンは、高尾の器用な左手がひとつずつ丁寧に留めていく。その間も右手は俺の左手を優しくつつんだ。鎖骨の辺りまで来たところで急に高尾の手がとまったので、なんとはなしに顔を上げてみる。覚えがあったから俺も何も言わず、じっと揺れる前髪を眺めた。不意に高尾が動く。顔を鎖骨に埋めるかのように屈むから、慌ててその頭を引きはがした。「なにすんの」不機嫌に呟いた高尾の声は驚くほど冷たいのに、どこか泣きそうでそれは狡いんじゃないかと思う。泣きたいのはこっちだ。

「やめろ汚いから」
「汚くない、なに?やなの?そのままでいいの?」
「よくない、いいわけ、ない」
「じゃあいいじゃん」
「けれど…」
「俺が嫌だ!」

声を荒げた高尾に驚いたのか、それとも本当はそれを望んでいたのか、俺はあっさりとそれを受け入れてしまう。ガブリと音が聞こえてきそうなほど、噛みつくみたいなキスだった。今ので確実にあの紅い痕は消えただろう。高尾が消してくれた。ちゃんとまだ俺に触れてくれた。

「消毒かんりょー」
「馬鹿なのだよお前は」
「馬鹿なのだよ高尾ちゃんは」
「高尾」
「ん?なに?立てない?」

差し出された手を取る。そのまま自分のもとに無言で引き寄せた。おせっかいな高尾は座り込む俺の目線までもう一度戻ってきてくれる。

「信じていた」
「はい?」
「その通りになった」

「上出来だ高尾」

そのまま左手で高尾の髪を撫でた。腫れた頬にも触れてみる。痛むはずなのに反応はない。驚いたように見開かれた両目は、電灯の光でキラキラと光りながら、まっすぐ俺を見ていた。顔が綻ぶ。彼にしては珍しく、下手糞な笑顔でやっと笑った。





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