生きている幸せ


▽01/07


大学で大変お世話になっていた先生が亡くなりました。
友人から連絡が来て、すぐに大学に問合せたら40代だったのこと。

私はその先生の授業が大好きで、教えていただいたことを生きる糧にしていました。
文学系の授業の先生だったので、このサイトのお話を書くときにふと思い出して参考にしたことも一度や二度ではありません。
先生が紹介してくださった、沢山の文学作品は面白いものばかりで、来年も先生の授業を取りたいと思っていたし、先生にもっと沢山お話を聞きたいと思っていました。

唯一救われるのは、冬休みに入る前の最後の授業で、『先生の授業本当に面白いから、来年もとります』と伝えていたこと。
先生は若いからという理由でグループ校で下位である私の在籍する大学に移動してきたようです。そのことが彼にとってストレスであったらしい。しかし、その中でも先生は慕われていたし、とても楽しい授業をしてくれていました。

若くして突然亡くなった先生を思うと辛くて、胸が苦しくて、信じたくないと強く思うのです。
地元の母親に、その先生がすごく好きだ、先生の授業が楽しいと、よく電話で話していたので、先程電話して先生の死を告げました。話しているうちに涙が出てきて、止まりませんでした。
先生が年末に亡くなり、何も知らずヘラヘラして年始を過ごしていた自分が恥ずかしくてたまりません。
そして、自分で意識していた以上に先生のことを好きだったのだと、感じました。

大学の先生には珍しく、学生の名前をきちんと覚えてくれていました。地元まで覚えてくれていました。女性アイドルについて話したり、青少年健全育成条例について授業で扱って欲しいと要望を出したら、つぎの週には沢山の資料と共に難しい内容を分かりやすくユニークに授業をしてくださいました。
大学に入って、『この先生の授業を取りたい』と初めて思えた。
若者ばかりの池袋で、私と友人を見付けて話掛けて下さったこと、本当に嬉しかった。他の先生は、学内ですれ違っても気が付いてくれない人が、圧倒的に多いので。

最期に、先生のことが、先生の授業が好きだと伝えられて、良かったと思います。

いまこうして生きているという幸せ。
この一年で、お世話になった人や中高生時代の同級生など、永久の別れをした人たちが何人もいました。
その人たちが生きたかった未来を当たり前に生きている自分。
当たり前に生きている未来が、当たり前でなくなってしまう。当たり前に、当たり前がなくなってしまう。
そのなかで、未来に歩める自分が、どれだけ幸せなのか。
幸せ、の本当の意味を、強く感じました。

先生の御冥福をおいのりいたします。



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