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10.朔(さく)

「あれ、姉ちゃん今から出掛けんの?」

寝巻き姿に上着を羽織るなまえを見て、リビングでテレビを見ながらくつろいでいた弟が声を掛ける。

「あー…、ちょっとコンビニ行ってくる!」

「俺のジュースも買って来てー」

間延びする声で注文を付ける弟を軽くあしらい、「行って来ます」と玄関から外へ出た。




一方的に切られた電話。通話口から響く電子音を耳で拾いながら窓の外へと目を向けると夜闇の中、紅い2つの瞳がこちらを見上げていた。

次第にその人物の輪郭を捉えると、やはり朔間先輩。
夜だからなのか、いつものように柔らかな表情ではなく真剣味を帯びた瞳でなまえを捕らえる彼に胸の辺りがざわつく。




「夜分遅くにすまんのぉ」

先程の違和感は勘違いなのかと思う程、いつもと同じ様に老人めいた口調の朔間先輩。
しかしその瞳は静かでなまえを捕らえて離さない。

「いえ、どうかしたんですか?申し訳ないんですが、こんな時間に家に上げる訳にもいきませんし…」

「なぁに、不躾に押し掛けたのは我輩じゃ、そんなに気を落とすでない。少しばかり老人の散歩に付き合っておくれ」

なまえよりはるかに脚の長い朔間先輩はなまえの歩幅に合わせて横に着いて歩く。

今夜は新月だろうか、夜空を見上げても月は見当たらない。先程からなまえ達を照らすのはぽつぽつと佇む街灯と僅かばかりの星の光のみだ。

しばしの沈黙と、互いの足音が響いた後朔間先輩が口蓋を切った。

「こんな夜中だと逢い引きでもしているような気分になるのぉ」

くつくつと喉を鳴らし、冗談めかす朔間先輩の足先はいつの間にか近所の公園へと向かっている。

「そうですね」

あえて、否定はしなかった。ちらりと横目で先輩の顔を覗き見る。
数回瞬きをした後、先輩は小さく微笑み、辿り着いた公園のベンチに腰を下ろした。
隣に促され腰掛ける。

「嬢ちゃんは泉くんの事を好いておるのじゃろう?浮気は感心せんのぉ」

「浮気も何も、付き合ってません。というかまずもう好きじゃありませんってば」

「我輩は正直な嬢ちゃんの気持ちが知りたいんじゃ。喫茶店で我輩と居る所を泉くんに見られてどう思った?」

「…何も、思いませんでした」

朔間先輩の瞳が光る、目を向けなくともこちらを向いている先輩の表情は堅い

「我輩、嘘は好かんのじゃが」

「…っ、モヤモヤして、見られても、やましい事なんてなかったのに。見られたく、なかった。勘違い、されたら嫌だな、って…思い、ました。でも、先輩は…瀬名先輩は、私の事なんてなんとも思ってないのは、分かってるのに…分かってるんですけど…」

言葉に言い表せないもどかしさと、瀬名先輩への想いが溢れ、顔を下に向ける。

「…好き、なんじゃろう?」

「‥、好きっ、です…瀬名、っ先輩…」

あの日と同じ言葉を口にした途端、ぽたりと寝巻きのズボンに染みが広がった。目から零れた雫は止めどなく落ちてはなまえのズボンを濡らす。

しゃくり上げそうな呼吸を抑えていると、頭に朔間先輩の手が置かれた。

みっともなく濡れた顔を上げ、濡れた瞳で朔間先輩を映すと、先輩はなまえの後頭部に掌を回し、額を胸元に押し付けさせる様な体勢に。

「…俺じゃだめか、なまえ」

絞り出すように言葉を発した朔間先輩の胸元が、じわじわとなまえの涙によって濡れて行く。



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