STORY | ナノ

▽ 八月の付き合い方 下


「フッチー?」
声を掛けると、はっとしたように彼は顔を上げた。どうしたの、と尋ねるとなんでもないと返される。
そんなやり取りが、しばらく続いている。
最初は風邪でも引いたのかな、と思った。無意識の内に頑張りすぎている彼のことだ。少し熱があって、ぼーっとしているだけなのかも。そう思っていたけど、すぐに違うことに気付いた。彼らしくないのだ。口数が少なくても、からかうとすぐにむきになるのに、心ここにあらずといったようにそれを受け止める。バトル面では後方に行きがちで。突っ込む癖、直ったのかとも思ったけど、違う。上手く言えないけれど、なにかから逃げているような立ち回り方だった。
フッチーの異変に気付いたのは私だけでなく、エンギやカザカミもらしい。二人供、とても心配している。エンギなんか、特に。でもカザカミが心配しているのは素直に驚いた。いつも喧嘩していたから。そういえば、肝試しから帰ってきてからそんなに喧嘩しなくなった気がする。なにかあったのかな。
こうして私達三人は、フッチーに内緒で会議を開くことになった。場所はこの前みんなで来た喫茶店。店員さんが私達を見た途端顔を引き攣らせたのはきっと前のことを覚えていたからだろう。一応一言侘びを入れておいたけど、やはり迷惑そうにしていた。
「諸君。よく集まってくれた」
エンギが顔の前で手を組み、低い声で一言。
「そういう前置きいいからさっさとはじめて」
「カザカミ酷い! あーじゃあさっそくフチドリのことについてはじめるよ」
仕切り直し。エンギはとても残念そうにしている。確かにカザカミの言うことも一理あるけど、エンギはきっと私達に気を使ってくれたのだろう。フッチーのことで私達まで暗くなってたら、もう解決策なんてなくなるもの。
こう重大そうに集まったものの、話し合うことはとても単純だった。とはいえ、私にとっては一大事なのだけど。フッチーはどうしてああなったのか、どうしたらいいのか。そんな、とても大切な話。
でも、フッチーがどうしてああなったのか、誰も分からないのだ。サザエ杯にエントリーして帰る時、気が付いたらフッチーはいなくなっていた。はぐれたのかと思ったけど、どうせ今日はあと帰るだけだから、とカザカミに言われて、そのまま帰ることにしたのだ。そして次の日、こうなっていて。
先に帰ってしまったこと、怒ったのかなと思って、謝った。でも、彼はそのことなんて全く気にしてないらしい。
「本人から聞ければいいんだけどね」
カザカミが溜息をついた。それに続いてエンギも深く頷く。
それは分かってる。でも、それ以上に理解しているのだ。みんな。無理に聞き出すことなんて出来ない。フッチー自らが話してくれないと、私達はなにも出来ない。
「フチドリ、ホントにどうしちゃったんだろ。力になってあげたいのに...」
エンギが黒い目に涙を浮かべて言った。らしくもない、エンギの力のない声に、思わず黙ってしまう。エンギはとても頑張ってくれている。無理に演じて明るく振舞って、どこを見ているか分からないフッチーを色んなところに連れ回してくれたりして。きっと、もう限界だろう。私としても、この子にそんなに無理をしてほしくなかった。
「...いい加減、逃げるのやめようか」
平坦な声で、カザカミは言った。
「逃げるって」
「だってそうでしょ。フチドリに無理させたくないからって言い訳して、逃げてるだけだよ」
「そんなこと言わなくたって...!」
不意にエンギの声が大きくなる。そこで店員さんの視線に気付いて、口を噤む。
「だからって、無理に聞けって言うの? 嫌よ。そんなフッチーのことを傷付けることはしたくない」
さすがの私も口を挟んだ。カザカミの目を見る。いつもの冷静な目だ。でも、少しだけ、揺れている。
「違うよ。そこまで言ってない。ねぇ、なんでみんなそこまでフチドリにこだわるの? 心配する理由は?」
「当たり前だよ。友達だし、チームメンバーだもん」
「君はそう思っても、フチドリはどうかな。だってフチドリ、こういうの嫌いなんでしょ。ケイの為に作っただけ。僕達は人数合わせの為に入ったようなものだよ。利用されてるだけ。それでもフレンドだって言える?」
エンギはとてもなにか言いたげで、でも口を閉じてしまった。私もなにも言えなかった。だって、その通りだから。私の事を気にしたフッチーが立ち上げただけ。私の、この体質のせいで。
「い、言えるよ」
黙っていたエンギが口を開いた。
「だって、そうかもしれないけど、最初はそうだったかもだけど、でもフチドリは心配してくれたもん。優しいもん。友達だって思われてなくてもいいから、わたしはフチドリに元気になってほしいよ...」
どんどん力がなくなっていく、声。エンギはとうとう堪えていた涙を流した。客の少ない、静かなお店で、エンギの咽び泣く声がよく聞こえた。
「じゃあ、そう言えばいいじゃない」
沈黙を破ったのは、カザカミ。カザカミは小さく笑って言った。
「無理に聞こうとしなくていいんだよ。エンギのそのままの気持ちを伝えればいい。フチドリが僕らにそうしてくれように。ね、簡単でしょ」
エンギを慰めるような口調で言った。とても意外だった。カザカミって、こんなに優しい表情が出来るんだ。
「優しいのね」
「手っ取り早い解決策を言っただけだよ。このままうじうじしても仕方ないでしょ」
するとカザカミはすぐにいつもの無表情に戻った。見直した、と私が言うと、そこまでのことなんてしてない、と返ってきた。案外フッチーと同じで照れ屋なのかも、と思ったけど、雰囲気からして本心らしい。謙遜しなくてもいいのに。
「そっか。うん、そうだね。そうだよ。気持ち伝えないとはじまんないもんね。よしっ、みんな! フチドリ捜しに行こ!」
先程までの涙を吹き飛ばしてエンギは笑顔で言った。私達も頷く。この時ばかりは、店員さんも目を瞑ってくれていた。


Bバスパーク。日も落ちてきて辺り一面オレンジ色に染まっていた。高台の壁を背もたれにして腰を掛ける。ナワバリバトルの為に作られたらしいこの施設は、時間外だからなのか誰一人としていなかった。だから忍び込めたのだが。
なんだか最近やる気がない。動く気にもなれない。なのにこうして外に出てきているのは、チームの奴らがうるさいだろうなと思っただけで。
理由なんて言うまでもなく、考えたところで自分を苦しめるだけだ。だから無理にでも考えないようにしたところで、この前の、あいつの顔が浮かんでくる。憎しみを込めた、あの赤い目を。ついにはシューターを見るだけで足が震えて動けなくなる始末。こんな奴、迷惑以外の何者でもなかった。
家の中なんて最悪だった。元々料理なんて好きじゃないしレトルトで済ませることが多かったのが、今や温め、準備をするその動作さえ億劫だった。かといえばじっとしているとまた思い出す。全てが悪夢だった。むしろ夢だったらどれだけ良かったことか。
なにをしているんだろう、俺は。いや、なにをしてきたんだろう今まで。ケイと出会って、それからチームを作って。要所要所覚えているのに、それ以外が穴だらけで思い出せない。
そうか。俺はなにもしてなかったんだ。ただ、チームを作ろうなんて提案して、バトルでは足を引っ張るだけ。それだけだ。なにもしてない。まだ三人の方が、しっかりしていて、役目を果たそうとしている。そこに、ただ友達の前から逃げ出した腰抜けなんて、必要あるだろうか。
分かりきってたんだよ。こんなこと、前から。チームなんて、フレンドなんて、そういったものは全て馴れ合い、なんて決め付けて、言い訳して。気付かされたくなかったんだ。いつか俺が必要なくなることを。あの時のように。あんなにも俺がいないと駄目だったあいつが、ナノが、一人でも前を向けるようになって、俺を追い抜かして、肩を並べることも叶わないと自覚したあの時のように。きっといつかみんな俺の前を行って、俺一人だけが取り残されていく。それをこんなにも恐れている。その事実から、目を逸らしたかった。
もう俺は、強くなんかなれない。いくらバケデコをを握ろうと、前へ進めない。進む先にあいつが存在するというのならば、俺は、いくら止まろうと進もうと、未来なんてない。

そろそろ暗くなってきた。もう、帰ろう。居場所さえも曖昧なまま立ち上がる。段差から飛び降り、出入口に足を向けた時だった。
「フッチー」
よく聞き覚えのある声がした。どこから、と考えたがすぐに声の主を見付け出すことが出来た。
その声の主、ケイは、少し息を切らした様子で駆け寄ってきた。
「どうしたんだケイ。こんなとこまで。不法侵入だぞ」
「ならお互い様ね。フッチーもでしょう?」
「そうだな。なら、早く帰ろう。もう暗いし」
そう言ってケイの横を通り過ぎようとした。今はあまり、目を合わせたくないのだ。話もあんまりしたくない。が、ケイは俺の腕を掴んだ。引っ張るように。予想していなかった行動に思わず体がよろめく。
「ねぇ、少しだけお話していきましょうよ。少しだけならきっとバレないわ」
そういいながらもケイは真剣な表情で、恐らく楽しくなるようなものではないのだな、と分かった。普段の俺なら付き合ってやるところだが、生憎今はすぐにでもこの場から立ち去りたかった。
普段の、俺なら...。
「あんたそんなに不良を走るような奴だったか。不法侵入なんだろ?」
「あなたはそこまで優等生だったかしら。私の知るフッチーはそうではなかった気がするけれど」
「...」
知るかよ。あんたの知る、俺なんて。
そう思った。違うなら、捨て置けばいいのに。でもケイの目は、完全に俺を信じているような目で。
そんな目で見ないでくれ。俺は目を逸らした。もうなにも分からないんだ。なにも見えなくて、どこにも行けない。いくら信じようと、それに応える術を、俺はもう持たない。
「...ごめんなさい。上げ足を取るつもりはなかったの。少しだけ、いいかしら」
「...ああ」
お互い静かな声だった。近くの段差に腰掛ける。ケイとこうして座るのは、なんだか久しぶりな気がした。最近、あの場所に集まらなくなったから。
「なにか、あったのね」
「別に」
「...今ね、エンギとカザカミはフッチーを捜してくれているの。今連絡入れたから、きっと直にここに来るわ」
「それがどうしたんだよ。つーか、なんで」
「みんなあなたが心配だから」
やはり気付いていたようだ。いや、気付かない方がおかしいか。ケイかあらは何度もなにかあったのか聞かれたし、エンギはふとした瞬間泣きそうになるし、カザカミに限ってはあんまり話もしてない。本当に、なんていうか、分かりやすい奴ら。
「悪い。別に大したことじゃねぇんだ。バトルもすぐに元に戻すし」
「バトルでのことを言っている訳ではないのよ」
ケイが俺の声を遮った。
「私では、役不足かしら」
「なにが」
「私は頼りないのかなって。あなたはあんなにも私の為に色々としてくれたのに、私はあなたの為に、なにもしてあげればいいのか分からないの」
かなり落ち込んだ様子だった。対する俺は呆然としているだけだった。ケイの言っている意味が分からないのだ。色々と、している?
「ケイもチームのこと考えてくれてるだろ。俺はなんもしてねぇよ。なにもしてなくて...足引っ張ってるだけだ」
「なにを言っているの。引っ張ってるなんて」
「そうだろ」
俺は脚を組んで、自嘲の笑みを浮かべる。こういう表情をしていた方が、色々と誤魔化せる。
「バトルでは完全にお荷物。それ以外ではただ口が悪いだけ。重要なところは他に押し付けて、なんもしてねぇじゃねぇか。足を引っ張ってるだけ。そうだろ。だからさ、こんな奴」
「ストップ」
またもやケイは遮った。遮ったというより、止めに掛かったという方が近い。
「それ以上言わないで。それ以上言うと、たとえフッチーだとしても許さないわ」
その目は鋭かった。その様子に口を閉じてしまう。それから少しだけ沈黙が続いた。使用時間外のここは、とても静かだった。
「ねぇ、ずっと前にフッチーが私に言ってくれたこと、覚えてる?」
沈黙を破ったのは、ケイ。先程の鋭い目付きはどこへやら。かなり穏やかな目で、優しい口調だった。
「私達はフレンドだから、お互い守って守るものだって。バトルだけじゃない。日常でも。そう言ってくれたわよね。私、それを言われて凄く嬉しかったの。でも私はいつもあなたに守られてばかりだわ。不公平じゃない。こんなの。だから少しだけでもいい。力になりたいのよ。弱音だって、私が受け止めるから」
懇願するように、ケイは言った。ケイの気持ちに心が揺らぐ。でも。でも、
「言える訳ねぇじゃんか。こんなこと...」
不意に口走った。自分でも驚く程静かな呟き。しかし、二人しかいないこの場所では、どんな小さな音も耳に届いてしまう。
「先に進むのが怖いって? 誰かに置いていかれるのが怖いって? そんなもん、俺が今の今まで強がってただけだって言ってるようなもんじゃねぇか。馴れ合いなんて馬鹿にしてたのも、逃げてただけだって! 言ったら、自分が認めたようなもんじゃねぇか。もううんざりなんだよ! 希望と絶望を行き来すんのは! そうなるくらいなら、気付かない内に逃げてた方がよかったんだ。なのに、なんであんたは、俺に話し掛けてきたりなんかしたんだよ...」
これが全てだった。真実だった。俺がみんなの力になれてた? そんなわけがない。どうせ誰かを励ます片隅で俺の方が優位に立っていると、優越感に浸りたかっただけだ。そうすれば、俺が弱いなんてこと、知ることもないから。
あの時、無視でもなんでもすればよかった。ケイの言葉に応えず、そのまま一日が過ぎれば、俺達はただバトルを共にした他人同士のインクリング。今まで通り一人でいれたし、チームを作ることもなかった。フレンドだって作ることもなかった。こんな気持ちに気付くこともなかった。あいつに会うこともなかった。みんなと、会うこともなかった。ケイが、話しかけなければ。
「バカー!!」
突然の大声に驚いてしまった。静かなだけあってかなり響く。急いで振り向くと、そこにはエンギとカザカミの姿があった。エンギはかなり涙を溜めてこちらを見ている。俺の苦手な表情だった。
「なんでそんなこと言うの!? 酷いよフチドリ!」
「そうだよ。僕らの意見は総無視ってこと?」
そう言うと二人ともこちらに近付いてきた。カザカミの方はかなり眉間に皺を寄せている。恐らくかなり怒ってる。
「わたしはみんなに出会えてよかったって思ってるよ。このチームに入れて幸せだって思ってる。でもフチドリは全部なかったことにしちゃうの!?」
両手で肩を掴まれ揺さぶられる。突然の登場に驚いたこともあってされるがままになっている。頭も揺れて正直気持ち悪い。
「じゃあフチドリの意見無視させてもらうけど、僕はこのチームが出来てよかったよ。フチドリがチームを立ち上げてくれてよかったと思ってる」
エンギのすぐ後ろでカザカミが言った。凄く睨んでくる。目を逸らしたいが、そうもさせてくれそうにない。
「ねぇ。過去ばっかり見てて楽しい?」
不意の質問に俺は口篭る。カザカミは溜息を吐いた。
「君がなにがあったとか知らない。でももう過ぎたことは変えられないでしょ。じゃあこれからそうならないにしようってなるのが普通じゃないの。なのにさ、一人で勝手に悩んで辛そうにして僕達に心配かけて。それを強がりって言うんじゃないの、ばーか」
そう言ってべー、と舌を出す。そこから間髪入れずケイが口を開いた。
「そうね。私も独りよがり言わせてもらうと、あなたはもうあなただけのものではないのよ。一人なんて、悲しいこと言わないで」

突然、だった。
目の前が明るくなった。心が、軽くなった。先程までの暗闇が嘘のように、今は前が見える。
「...幼馴染みに会ったんだ」
不意に口からこぼれた。幼馴染という単語にケイが反応する。
「幼馴染みって、ずっと前に言ってた昔のお友達?」
「そう。それで言われたよ。お前を許さないって。...かなり、怒ってた」
自分でも驚く程平坦な声だった。ケイは、悲しそうにして、そう、とだけ言った。エンギやカザカミは知らないだろう。そういえば話したことなかったな。
しかしエンギとカザカミはそれで十分、というような納得した表情だった。
「じゃあ、まずはその子と仲直りだね」
「は?」
突拍子もないエンギの提案に拍子抜けた声が出た。そんな俺を余所にカザカミがサザエ杯に出るの? と聞いてくる。条件反射で頷いたが、ますます意味が分からなかった。そんな俺のことなんて気にせず、エンギはケイと頑張ろうと声を掛け合っている。
「待て。意味分かんねぇ。なんでそうなる」
「だって喧嘩したんでしょ?」
「喧嘩っつーのか。あれ...」
「仲直りできない喧嘩なんてないよ。フチドリ」
顎に手を当て、妙に低い声でエンギが言った。先程泣きそうだったのが嘘みたいないたずらっ子の表情。
エンギもカザカミも二人して帰ろう帰ろうとそそくさとBバスを出ていった。話に付いていけない俺は呆然と立ち尽くしている。ケイなんてとてつもない笑顔で傍にいる。
「なんなんだ。あいつら」
「ふふ。ね、話して良かったでしょ」
そう言って覗き込んできた。なんだか気恥ずかしくて顔を逸らす。するとケイは俺の手を取って帰りましょう、とだけ言って歩き出した。
確かに、話して良かったかもしれない。なんつーか、あんなにも悩んでた俺が馬鹿らしくなってきた。なんだ。俺がいないと、こいつらの暴走を止めることは難しそうだ。
月明かりに照らされて家路についた。部屋に入ってサンバイザーを脱ぐと、買い置きしてあったレトルト食品を温める。ありふれたこの動作が、酷く久しぶりに感じた。
まだ問題は解決していない。あいつに対する恐怖は、まだ消えていないのだ。ただ、ただ仲直り出来たらな、と少しだけ思った。そんなこと考えたこともなかったのに、全くチームクロメの奴らには頭が上がらない。
逃げてばかりじゃ、駄目だ。気付いたなら前に進もう。あんな面倒な奴らを捕まえてチームを作ったんだ。俺が前を見なくてどうする。音を鳴らして温める電子レンジを眺めて、そう毒づいた。



2016/08/21



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