STORY | ナノ

▽ On n'a qu'une vie.


 ──遊園地?
 オウム返しに言うMr.KKに、目の前の少女はふわりと微笑んで小さく頷いた。
 時刻は正午に差し掛かろうとしていた頃。今日はいつもの清掃の仕事は早番で、昼前にでも終わってしまったためさっさと帰ろうとしたKKだったのだが、目の前少女、ベルと、街中で偶然ばったりと遭遇したのだった。梅雨が明け、夏本番を迎えるこの季節にはぴったりな白いワンピースを身にまとい、レースの日傘を差す彼女は夏の日差しを受けてなお輝くブロンドと見るもの全てを魅了してしまいそうなエメラルドグリーンの瞳を持つことも相まって、この世のものではない、浮世離れした雰囲気を感じさせた。ベルはKKと目が合うなりスカートの裾をつまみ小さく会釈すると、KKが聞き返したその話題を持ち出したのだった。
 実は今学校が夏休みに入っていて、自由研究に日本とフランスの遊園地の違いという題でやろうかなと思ってるんです。ベルは語った。お友達から遊園地のチケットをもらったからということもあるんですけど、お友達は一緒に行けないみたいで。有効期限が今日までなんです。だからKKさん、もしよければこれから私の自由研究のお手伝いをしてもらえませんか? ベルは眉尻を下げて懇願した。
 仕事を終えてすっかり帰る気でいたKKだが、早番だったのでさほど疲れはなく、なにより可愛い子の頼みとあらばと二つ返事で引き受けた。ベルの表情がぱぁっと明るくなる。喜ぶベルにKKは一種の安心感と言い知れぬ違和感を覚えながら、目的地である遊園地へと向かった。



 遊園地は夏休みということもあって親子連れや学生客で賑わっていた。着替えがあればよかったな。仕事帰りに誘われたこともあって作業着のままだったKKは、大勢の客を目の前にしてふと居心地の悪さを感じてしまう。とはいえ一度帰ろうとすればだいぶベルを待たせることになってしまう。そこまで思い至ってKKは考えることをやめた。
 乗り物は大抵長蛇の列を作っており、ジェットコースターなんて待ち時間が三時間以上など、目も当てられない光景が広がっていた。大勢の客の群れの隙間から見える、前列側の人と最後尾の人との表情の差は歴然である。しかしだからといって列を作る人だかりは減ることなく増え続けるから不思議だ。それも、並ぶものほど良いものが待っている、という日本人特有の感覚から来るものかもしれなかった。
 対するベルはというと留学生ということもあって日本人とは考え方が違うのか、乗り物に興味は示してもその長蛇の列を見るなり写真を撮ったりするだけで、それ以上の関心は寄せないようだった。ベルと色々話ながら園内を歩くというのはKKとしても実に有意義な時間だったのだが、さすがにこのままなにも乗り物に乗らずに終わりになるかもしれないと危惧したKKは、それなりに列の並んでいない乗り物を見付けてはベルを手招きした。ベルはKKに手招きされると、嬉しそうにあとに付いていった。待ち時間、こぼれるような笑みを浮かべて話すベルに、KKは自身の心が緩むのを感じた。

「ティーカップ、楽しかったですね」
 カシャリ、と先程乗っていた乗り物に向けてフラッシュがたかれる。レンズ越しの世界を見据え、ベルはKKに話し掛けた。
「お嬢さんはあまりハンドルは回さない派なんだな」
「そんな風に見えてました?」
「いーや。お嬢さんだからな」
「ふふ、そういうことです」
 写真を撮り終えたベルは振り向きざまに微笑んだ。もうつんとした声色はそこには含まれてはいなかった。
 次はどこを回りましょう、とKKの下に駆け寄るベルに、ふとKKは眉をひそめた。今ベルはショルダーバッグを肩に掛け、手にはカメラを持っている。街で会った時に差していた傘は今、折り畳んで腕に下げられていた。夏の照りつける太陽に無防備に晒された白い肌がなんだか痛々しく感じられた。
「お嬢さん。傘は差さなくていいのか?」
「いいんです。だって傘を差していると壁を感じるでしょう?」
「そうかねぇ。俺は気にしないが」
「私が気になるんです。それに、KKさんとは距離を取らずに話していたいから」
 人差し指を口元に当てにこりとするベルに、KKはうーんと唸る。ベルがそういうのならそれでいいのだろう。KKとしてもベルが決めたことならそれでいいと思うし、尊重したいとも思う。だがどうも白く透き通った肌が気の毒に思えて仕方ない。女性なのだから日焼け止めを塗るなりして対策を取っているだろうし、KKが気にするのは余計なお世話なのだろうが、それをなしにしてもこの暑さだ。梅雨が明けたばかりのこの蒸し暑さに、果たしてベルは耐えられるだろうか? いくら気温が祖国と同じくらいだったとしても、湿度が違う。気を抜けばあっという間に倒れてしまいそうだ。KKは気が気でなかった。
 視線をそらすと、ふとある屋台を見つけた。ちょいと待ってな。そうベルに伝え、そそくさと屋台に向かったKKは、店主と二言三言やりとりをすると、すぐにベルの下に戻ってきた。しかし先程とは違い、手には少し大きな白い麦わら帽子が握られていた。
「ほらよ」
 KKは優しい手つきでそれをベルに被せた。今この瞬間は、この身長差がありがたい。麦わら帽子に飾られている青色のリボンがひらりとベルの後頭部で揺れる。
「これで壁は感じないだろ?」
 にっと笑うKKに、ベルは一瞬ぽかんとして、しかし頬を赤く染め小さく微笑んだ。
「素敵。ありがとうございます」
「さぁお嬢さん。お次はどこへ?」
「…じゃあ、あっちに行ってみましょう。ね」
 ベルはKKを呼び寄せて、早く早くと急かした。そんなベルの姿は年相応の少女そのもので、思わずKKは苦笑してしまう。はいはい、といい加減に相槌を打って、KKはベルを見失わないよう付いていく。
 彼女の笑顔に偽りはない。しかしその笑顔に過る影を、KKは見逃さなかった。



 あれだけ頂で存在を主張し続けていた太陽も沈み始めた頃のこと。
 空が夕焼けに染まり、どこか哀愁を漂わせる小風が吹き抜けていく。家族連れや友人同士で来たのであろう人々は徐々に足を外の世界へと向けていき、園内は昼間のような活気さの面影もなかった。
 誰も並んでいない観覧車の前でKKとベルは立っていた。うさぎの着ぐるみをした生き物が二人に向かってお辞儀をする。ベルも合わせてうさぎの着ぐるみに一礼すると、すぐ近くにいたスタッフに案内されるまま、KKに招かれるまま、ベルはKKと一緒にゴンドラに乗り込んだ。向かい合って座席に腰を下ろす。ベルはかぶっていた麦わら帽子を膝に置く。終始手を降っていたうさぎの着ぐるみは時間が経つにつれ、どんどん小さくなっていった。
「綺麗…」
 ほうっとベルは呟いた。視線は窓の外へと向けられていた。都会の真ん中に作られた遊園地からでは、いくら見渡せど見えるのは無機質に作られた建物だけだ。夜でもなければその建物達が光を放つこともない。それでも夕日に当てられ普段とは違う角度から見る景色は、いつもとはなにもかも違う世界に見えて、少女の目には美しく映るのであった。
「今日はありがとうございました」
 ベルは視線をKKに向けると、ぺこりとお辞儀した。
「いい写真は撮れたかい?」
「はい。たくさん。日本の遊園地のことを知ることも出来ましたし、自由研究もなんとかなりそうです」
 ベルは視線を窓の外に戻した。少女の微笑みは夕日に照らされて、エメラルドグリーンの瞳が幻想的に輝いているというのに、未だ影がまとわりついているのは何故なのだろうか。はぁ、と一つ溜め息を吐くと、ここらで潮時か、と言わんばかりにKKは口を開いた。
「…なぁお嬢さん。そろそろ隠し事はなしにしないか?」
「…え?」
「自由研究なんてのは嘘なんだろ? 一体なにが目的なんだ」
 KKは真っ直ぐにベルを見据える。はじめこそ子首をかしげていたベルだが、諦めたように、なにもかも悟ったように、ベルもKKを正視した。そのエメラルドグリーンは確かにKKを映しているのに、KKも、なにも映していない。
 はじめからおかしいなとは思った。自由研究に祖国と日本の違いを題にする。それ自体はとてもいいことだと思う。どちらの国も愛するベルらしいし、先生方も興味を惹かれるだろう。なんらおかしなことではない。だが、何故遊園地なのだろうか。KKが抱えていた違和感とはこれのことだった。友達からチケットをもらったから。しかし友達は予定があって一緒にはいけなかったから。理由は揃っている。しかし、何故遊園地にこだわるのだろうか? フランスと日本の違いの一つとして遊園地をあげるのならばともかく、遊園地をまるごと題にするのは何故なのだろうか──。多少の違いはあれど、遊園地の特色など、国によってまるっきり違うわけではないのに。そしてなによりいつも朗らかで無邪気な笑顔を見せるベルが、KKと園内を回ってあんなに楽しそうにしているベルが、時折覗かせる影。これがKKの、ベルが隠し事をしている、という確信に至った理由だった。
 お互い、なにも口を開かない。しばらく経った頃だろうか。ゴンドラは頂点にまで辿り着き、夕日の傾き具合も相まって、街並みはなお美しさを増していた。ふぅ、と息を吐く。観念したのは、ベルの方だった。
「…やっぱり、気付いていたんですね」
「お嬢さんとはよく話しているつもりだからな。すぐ分かる」
「私達、まだ会ってそんなに経ってないはずなのに不思議。私もきっとKKさんは私のことを疑ってるだろうなって、なんとなく分かってたんです」
 ベルは三度窓の外を見た。遠くを眺めているようだった。思えばベルにしては落ち着きがないな、と今更ながらに気付いた。それもこれも、いつも真っ直ぐで正直者なベルの後ろめたさを表しているのかもしれない。
「実は自由研究なんてなかったんです。ただ、KKさんとお出掛けがしたくて」
 ん? KKは首を傾げた。
「お友達からチケットをもらったというのも本当で、普通にKKさんをお誘いすればよかったのに、どうしても勇気が出なかったんです。おかしいですよね。デートに誘うなんてフランスじゃ珍しいことじゃないはずなのに」
 眉尻を下げ、申し訳なさそうに微笑むベルに、KKも苦笑した。てっきりなにか深刻な理由でもあるのかと思っていたのだが、なんて可愛らしい理由なのだろう。そう思うと同時にそこまで言わせてしまう自分の不甲斐のなさに憤りさえ感じる。
 本当にごめんなさい、とベルは姿勢を正して頭を下げた。黄昏時、切なさが残る空の中でもそのブロンドは輝きを失うことはなかった。
「…そうだな。次からは事前に教えてくれる方が嬉しいな」
「…次?」
「お嬢さんの隣を歩くのに、こんなみすぼらしい格好でデートなんて失礼が過ぎるだろ?」
 KKはウインクをしてみせた。ベルはぽかんとしていたが、徐々にベルを覆っていた影は失せていった。少女は頬を赤く染め、くすりと笑う。そこに後ろめたさや自責の念はもう存在していなかった。
「KKさんならどんな姿をしていても素敵ですよ」



2019/07/28



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