STORY | ナノ

▽ キンセンカの花


 三ノ輪銀がお役目で命を落とし、告別式が行われてからしばらくが経った。
 あれほど悲しみに包まれていたクラスも徐々に元の明るさを取り戻していき、クラスから出てしまえばあの日あったことなど嘘だったかのようにいつも通りの日常が目に見えた。
 そう。あの日から、なにも変わらない。
 尊き勇者の命でさえ、たった一つなくなったところで世界はなにも変わらず、前に進み続けるのだ。



「ねぇわっしー。今からイネス行かない?」
 起立、礼。神樹様に、拝。
 帰りの会が終わり、みんながランドセルを背負って帰っていく中、園子は早速須美に声を掛けた。
 須美はランドセルに掛けた手を止め、少し考える。しばらくして、気難しい表情を笑顔に変え、園子に向けた。
「そうね、今日は特に予定はないし…。行きましょうか」
「ほんと!? やった〜! わっしーとイネス〜!」
 須美の返事に園子は跳ねて喜んだ。その腕にはしっかりとサンチョが抱き締められている。イネスに行くのはそう珍しいことでもないので園子の喜び様に驚く須美だったが、その愛らしい笑顔を見て自然に頬が緩んでいくのを感じた。
「もう、そのっちったらはしゃぎすぎよ」
「だってだって、私の中にあるイネスレーダーが今日はジェラートを食べに行きなさいってうるさいんだよ〜。だから今日行かないと絶対後悔するよ」
「どういう理屈よそれ…」
 相変わらず園子の考えていることは読めない須美だった。
 イネスに行くと決まれば後は実行するのみである。須美も園子もランドセルを背負い、楽しみだね、なんて話ながら玄関に向かった。少しの間ではあるが教室で話し込んでしまったせいで玄関はほとんどの生徒が下校した後だった。
 須美が上履きから靴に履き替えた頃、あれれ、と園子は首を傾げた。それから背負っていたランドセルをごそごそし始める。その様子に須美はどうしたのか尋ねた。
「なにか忘れてるなぁと思ったら、筆箱を教室に置いてきちゃったみたい〜。でもまぁいいか〜」
「置き勉は駄目よ!」
「置き勉じゃないよ置き筆箱だよ〜」
「どっちも一緒よ! ほら、取りに戻りましょう」
「ついてきてくれるの? ありがとわっし〜」
 須美はまた上履きに履き替え、園子と共に教室へ戻ることにした。
 よく忘れてるって気付けたわね、と素直に感心すると、たまーにサンチョが語りかけてくるんだよ、と返された。あのぬいぐるみのような抱き枕のような、そんな物にそんな機能が備え付けられていたとは。いや、実はサンチョは古の頃から生きていて、ぬいぐるみとして存在する今もなお心だけは残ってるのかもしれないよ。そんな冗談のような本気のような話をしていると、自分達の教室へはすぐに辿り着いた。
 須美は教室の出入口で待ち、園子は自身の机へと向かっていく。んー、と机の中を探り始め、しばらくして満面の笑みで筆箱を取り出す園子の姿があった。
 じゃあ行きましょうか。そう須美と園子は教室から出ようとすると、どこからか声が聞こえた。その声の元はすぐに見付けることが出来た。隣のクラスのようだ。先程前を通ったはずだが、どうやら話に夢中で気付かなかったようだ。
「女の子達がいるね〜」
「もう下校の時間なのになにをしているのかしら。居残りは原則禁止なのに…」
 注意いなくちゃ、と教室を覗き込みながら須美は言う。
 どうやら女の子達は毎日学校に来るのが面倒で嫌らしく、その事についての不満を共有しあっているようだ。
 なんたる怠け者。これは注意だけでなくお灸も据えてやらないと気が済まない。そう心に決め込んだ時だった。
「三ノ輪さん、死んじゃったんだってね」
 先程とは声色を変えて女の子達の中の一人が話題を切り出した。
 思わぬ人物像の名前に、教室に入ろうとする須美の体は止まる。園子もなにかを察したのか、なにも言わず黙って隣にいた。
「隣のクラスの勇者様…だっけ」
「勇者様ーなんて祭り上げられてるけど、なにしてんのかよく分からないよね。よく学校もお役目とかで休むんでしょ?」
「お役目とか言って、実はサボってたりしてね」
 女の子達は笑いながら口々に言った。
 須美は信じられない気持ちでいっぱいだった。まさか自分達がこんなことを裏で言われていたなんて。しかも自分達に見に覚えのない嘘ばかり。
 しかしそれも仕方のないことなのだろう。勇者のお役目は例えクラスメイトであっても教えられない。バーテックスが神出鬼没な以上須美達は授業中に突然姿を消すことがあり、クラスメイト達はそれを見てお役目だと察してくれる。だが他のクラスはどうだ。お役目だのなんだの言われても内容も分からなければ突然須美達が消えるところも見ることはないのだ。お役目とはただの飾り、なんて思われても不思議なことではなかった。
「でもさ、三ノ輪さんあんなことになっちゃってたし、お役目って本当にあるんだね」
「あたしらは告別式に出ることはなくて学校全体お休みになっちゃったんだよね」
 何故だろう。理由は分からないが、この先を聞いてはいけない気がする。須美は直感で思った。なにもかも投げ出して、走って逃げなくてはいけないような、そんな気持ちに襲われた。しかしこの時ばかりは体が岩のように重く、動かなかった。
 駄目だ。聞いてはいけない。逃げないといけない。聞きたく、ないのに。

「あの時は嬉しかったよねー。休ませてくれてラッキーって感じ」
「そうそう。ようやく役に立ってくれたみたいな! 勇者様様だよ〜」

 叫びたかった。
 ふざけるな、と言いたかった。
 しかし、動こうとした須美を園子が抑えていた。勢いよく園子の方を見ると、園子は悲しそうな表情で首を横に振っている。
 なにも言えず、なにも言わず、二人は教室を後にした。



「イッネスだイッネスだイネスさんだ〜」
 いつものイネスへと続く道。
 園子は即興の自作ソングを歌いながら歩いている。イネスへ行けることがそれほど嬉しいのだろう。しかし隣を歩く須美はずっと俯いたままだ。
「ねぇ、そのっちは悔しくないの?」
 須美は俯いたまま園子に尋ねた。俯いているので園子の表情は見えないが、笑顔でなくなったことは分かった。
「…悔しいよ。でも仕方ないもん」
「仕方ないって! 仕方ないって、そのっちは銀があんな風に言われることが仕方ないって言うの!?」
 ずっと俯かせていた顔を上げる。須美は園子を見た。園子の表情はどう見ても"仕方ない"で済ませているようなものではないことは須美でも分かった。しかし気持ちが収まらなかった。誰かに当たっていないと、どうにかなってしまいそうだった。
 家族を愛し、家族が生きるこの世界を、みんなが生きるこの世界を守ろうとして命懸けで一人バーテックスに立ち向かっていった銀。その銀が、学校を休ませてくれた、などと安い理由でその死を感謝されているのだ。銀が守ってくれた命であるというのに。こんな酷、あるだろうか。
「…勇者のお役目は、秘密だから」
 園子はぽつりと呟いた。
「秘密だから、あの子達があんなこと言っちゃうのは仕方ないと思うんだよ。だから私達はミノさんのこと、凄く分かってあげられる」
 ね、と園子は小さく笑った。
 でも、と須美は反論しようとしたが、園子にそれを止められた。
「それにね、もしあの時わっしーがあの子達と言い合いして、わっしーかあの子達が傷付くことになったらミノさんが悲しむよ。…なーんて思ったら、悔しいのに、素直に怒れなかったんだ。だから私の分も怒ってくれてありがとね。わっしー」
 須美ははっとした。園子はにこにこ笑っている。
 そうだ。園子だって、悲しくない訳がないのだ。しかし色んな人を思うあまり、複雑な感情でそこにいる。対して須美は、自分の感情のままあの子達に食い掛かろうとし、園子にさえ八つ当たりしてしまった。恥ずべきなのは、どっちだ。
「ごめんなさいそのっち。私、」
「いいってことよ〜。それに色々あるけど自分の為に動こうとしてくれて、ミノさんも嬉しいんじゃないかな」
「そう、かしら…」
「そうだよ〜。だって私だったら嬉しいもん」
 曖昧な根拠に須美はくすりと笑ってしまった。でも反面嬉しくもあった。同じようなことがあった時、きっと須美も銀や園子と同じような思いになっただろう。三人は友達で、みんな同じ気持ちで、だからこそ自分のことのようにお互いのことが分かる。それが嬉しかった。
 きっとあの子達だけじゃない。他の誰かだってあの子達と同じことを考えたり、もっと酷いことを言っていたりするだろう。でも、もういいのだ。誰にも知られることのない勇者のお役目。だからこそお互いを知り、気持ちを共有出来る友達がいれば、それだけで頑張れる気がした。

「わっしー早く早く! 急がないとジェラートが溶けてお星さまになっちゃうよ〜!」
「急がなくてもジェラートは待っててくれるわよ」
 笑って歩く、少女が二人。
 その笑顔は勇者などではなく、どこにでもいる、ただの小学生だった。



2018/01/14



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