STORY | ナノ

▽ 十月と黒 灰


そもそもニサカはノワールに入れるような条件を持ったインクリングではなかった。
後から聞いた話だけど、ノワールは完全リーダーのお誘い制。入りたいなんて言って取り合ってもらえるものでもないらしい。
実際ニサカもお誘いを受けた訳でもないし、自分から入りたいとねだった立場だ。
なのになんで入れてもらえたかというと、まぁやっぱニサカ強いから? なんちゃって。
ウデマエを上げ、大会にも数々の実績を残し、ニサカの名がハイカラシティに知れ渡ったくらいの頃。
ニサカは目的の為に募集してチームを作って大会に出たりはしたものの、固定チームには入らなかった。理由は特にない。
そんなあやふやな立場を貫いてきてしばらく経った、ある日のことだった。
その日は大会が終わり、打ち上げという名の馬鹿騒ぎをした帰り道だった。
すっかり辺りは暗くなってしまって、おばけとか出ないといいね、なんてその日限りで解散してしまうチームと話しながら歩いていた。
こんな今もインクリングでごった返しているハイカラシティでおばけなんて出るかな、なんて笑って突っ込んでいたのを覚えてる。
その時だった。
ニサカの隣を、白い色を持ったガールが歩いていく。
みんな、珍しい色の子だね、なんて目で追っていた。ニサカもその一人だった。
だけどその考えはすぐに変わった。
見てしまったのだ。その子の目を。
暖かさを感じさせるはずの桃色。だというのにその目は酷く濁っていて、どこも見てない暗闇のような冷たさで。
凄く驚いた。それと同時に、救ってあげなきゃと思った。一緒に帰っていたチームの子達に一つ詫びてすぐにその子を追い掛けた。
追い掛けて、腕を取って、どうしたの、なにかあったの、と聞いた。
その子は、答えてくれなかった。
それでもニサカは追い掛けて追い掛けて、鬱陶しいと思ったのかその子はチームメンバーを探してる、ということだけ教えてくれて、じゃあニサカ入りたい、なんて必死にお願いしたものだ。
もちろん断られたよ。お前にはその資格がないと。誰とでも溶け込めるお前では駄目だと。
だったら、ニサカもひとりぼっちになれば、入れてくれる?
今思い出せば滑稽なくらい必死だった。チームやフレンド達とぎこちなさを残さない程度に縁を切り、大会に出るのもやめ、ようやく入れてもらえた。
そして招かれた新しい住居で出会ったのは同じく冷たい目をしたスイレンで。
みんなひとりぼっちだった。みんな孤独だった。
このチームにいるみんな、ニサカが救ってあげないとと思った。
だからニサカは頑張って、ニサカは、ニサカは。
ああ、もうこんなところまで自分をニサカって呼ぶのはやめよう。
なにもかも馬鹿らしくなってきた。



ぱちりと目を開ける。
寝たふりからの起床。カーテンからは淡い光が漏れていて、日が昇ってきたんだなぁなんてひとあくび。誰も見ていないというのに、こうも演技じみた動きをしてしまう自分に苦笑した。
しばらくイカ型端末をいじってごろごろして、窓の外の光が明確になってきた頃、ようやく立ち上がり、身支度して、キッチンに向かった。
ぴー、と機械音が聞こえる。予約炊飯が完了したようだ。ナイスタイミング。さっすがニサカ。自分で自分を褒めてあげたところで、冷蔵庫の中を漁り始めた。
確か昨日じゃがいもは買ってきて、卵が…あー、買い忘れ。ニサカとしたことが。あっちゃー、と大袈裟に自分の頭をとんと叩いて、まあ仕方ないな、と気を取り直す。
誰にでも失敗はある。仕方ない仕方ない。次の教訓にすればいい。
…それで取り返しのつかないことになったら、どうしようもないけどな。
ボウルに水を入れて、切ったじゃがいもを浸けていく。もう起きてるかな、とこれから作る料理を食すインクリングを頭の中で思い浮かべた。
そんなに難しい料理ではないのでさっと作って完成した。そもそも本人も少食だし。ひとつまみして味見する。うん完璧。ここにくるまではろくにしたことがなかった料理も、現在進行形で上達していってる。何事も経験が大切だな、と思いつつ皿に盛ったそれらを盆に乗せ、自分とは別の部屋の前にまで持っていった。それから、こん、こん、と一定間隔でドアを叩いた。部屋の主の返事はない。気にせずオレは部屋に入った。
部屋に入って、ゆっくりとドアを閉じる。このマンションは防音完備で、余程の物音をたてない限りは外に漏れることはない。つまり誰にも見られなければ、こうやって会話してることも知られることはない訳で。こうやってチームの約束を破って頻繁に話していることがバレたらリーダー、怒るどころじゃないな、と他人事のように思った。
「おまたせー。ニサカ特製ニサカの美味しい朝ご飯がやってきたぜ」
一声掛けてテーブルに盆を置く。部屋の隅に、大切そうにジェッカスが保管されているのが見える。この部屋の主ーーースイレンは、気だるそうに布団から出てきた。
おーおーやさぐれてる。
その様子に笑ってしまう。レンはリーダーの命令で見張っていたナノを易々見逃してしまう上にナノはそのまま帰ってきていないのだ。命令の失敗と誤算。落ち込むのも無理はない。
レンは不機嫌そうにこちらをひと睨みしてから、フォークを手に取り運んできた料理を口にした。
決して、料理の感想が返ってくることはない。
それでもニサカは良かった。食べてくれるだけで。なにも食べないのは体に悪いし。
ニサカがレンに料理を作るのは今回がはじめてではない。このチームはお互い深く関わらないという決まりがある以上みんなのことをよく知っている訳ではないが、みんなあまり自炊はしていないようだった。多分外から買ってきているのだろう。たまーにナノがなにか作ってるのを見掛けるくらい。しかも大抵失敗してる。その時の落ち込みようが本当に面白いんだよな。…余計なこと思い出し過ぎた。
まぁニサカもその内の一人で、今までろくに料理はしたことなかったけど、このチームに入って、ふとした出来事でレンが水分補給以外なにも口に入れてないことを知って、なんとか誰かに出せるレベルまでは上達したのだ。
だってレン、誰か知らないインクリングが作った料理なんて食べれないって言うから。
最初はニサカが作った料理だって食べてくれなかった。でもニサカは頑張って頑張って上手くなって、ようやく食べてくれるようになったのだ。あの感動は今でも忘れられない。
なんで知らない誰かが作った料理は食べられないのか何度か聞いたことはあったが、教えてくれることはなかった。
「まーまーそう落ち込みなさんなって。気分転換にそのぼうっ切れでも持ってガチマ行ってくれば?」
ぼうっ切れ、というのはそこに大切そうに保管されているジェッカスのこと。
「黙っていれば減らない口ですね。味方の介護をしてなお気分を落ち込ませるくらいならここでこの子のメンテをしてた方がよっぽど気分転換になります」
「へぇ、落ち込んでんだ」
「…」
スイレンは黙った。というか相手にするのが面倒、といった様子だった。図星? とからかってやろうと思ったが、右手に握られているフォークをこちらに投げ飛ばされそうな気がしてやめた。
特に会話は続かない。続けようとしてジェッカスのこと悪く言ってみたりするけど尚更不機嫌になってしまうだけだし。ニサカがこんなにもジェッカスのことを叩いてるのはなにも嫌いだからじゃない。確かに弱いけどレンが持つと強いからそれなりに尊敬はしている。ただこのチームに入っておいてあれだけど、ニサカ静かなの苦手だから。こういうことでしかレンと会話を続ける方法を知らない。
レンがきちんと食べてるのを確認して、よしと部屋を出ようとした。
「…どこか行くんです?」
背後からレンの質問が投げられる。珍しくて驚いてしまうが、表情には出さないように、至って普段通りに笑顔で振り向いた。
「なにー? 気にしてくれんの?」
「死ね」
「ああ待って冗談! 冗談だって!」
今度こそ本気でフォークを投げられそうになって必死に止める。レンは冗談が通じない。覚えておこう。今にも本気で殺しに掛かってきそうだ。
レンが落ち着いたのを確認して咳払いをする。それから、えーっと、と前置きをして、
「ニサカ今から助っ人だから」
そう笑顔で言い残して部屋を出た。



チーム内でさえ極力関わらないという条件持ちのノワールに、外部のインクリングと関わるのは以ての他。あるとすれば対抗戦相手の募集とかその程度。
…なのだが、ニサカはリーダーに多目に見てもらって、普通に外部のチームと遊んでたりする。ほらニサカって有名だから? 野良とか行っても目立っちゃうしね。それにレベルの低い場所に居続けると自分の腕も下がりそうだし。そういう意味でリーダーも渋々見逃しれくれているのだ。
そんな訳で今回もとあるチームに助っ人を頼まれて対抗戦。なんでも、メンバーの一人が体調を悪くして最近来れてないんだとか。そのチームのリーダーとは以前からタグマとかする仲ではあったので、お願いされた時は二つ返事で引き受けた。
ルールはエリアおまかせからの右回り五先。対抗戦定番のルールだ。編成的には愛用しているデュアルスイーパーカスタムを使えそうにないなと判断してオクタを持つ。というかこのチームニサカがオクタを持つ前提で呼んだのだろう。別にお願いされればなんでも持つけどなーと思いつつ。最初おまかせから選ばれたのはモンガラだった。それからホッケ、モズクと続いていく。
試合はそれは熱い試合ばかりで楽しかった。けれど、なんだろう。違和感がある。その原因が分からず、こちらの勝ちで終わると思われた対抗戦は三対五、相手の逆転勝ちで終わった。
ノワールならともかく他のチームではなるだけ足りないものを補うよう努めているニサカは、何故勝てなかったのか、どこが足りなかったのか考えた。でもすぐに理由は分かった。負けてしまい若干不穏な空気が漂っているチームの子達を見て一つ質問を投げる。
「最近休んでる子って、本当に体調悪いの?」
ニサカの突然の質問にチームの子達はお互いに目を合わせる。しばらくして、リーダーの子が恐る恐る、といった感じで口を開いた。
「多分違うと思う…。あの子、ボールド使いで、それで…」
チームのみんなは俯いて黙ってしまった。
なるほど大体は理解出来た。というかこういう事態今まで何度も見てきたので大金察しは付く。
恐らく今までチーム活動をしてきて何度も負けたのだろう。負けた理由は見てないから分からないが、一般的に地雷扱いされるブキを持っているインクリングがいれば、否が応にもその子のせいにされる。このチームもその例に漏れなかっただけだ。
全く。どこに行っても変わらないなぁ。声には出さないが苦笑はしてしまう。
「これって固定チームなんだろ?」
「うん、そうだよ」
「だったらみんなで話し合わなきゃ! じゃなきゃ勿体無いぜ。せっかくのチームなんだから」
「でも話し合うってなにを話すんだよ。あんなブキ、話す前に持ち変えた方がいいだろ」
リーダーの隣のメンバーの子が一歩前に出た。ちょっと、ともう一人のメンバーの子が止めるが、その子が引く様子はない。
「それがいけないんだって。だって君達、元々その子がボールド持ちだって知っててチームに入れたんだろ? なのに全てその子のせいだなんて酷いじゃないか」
「そ、それは…」
「確かに味方にいたら難ありだけどチームみんなの立ち回り次第でちゃんと動けるブキだから。だから今一度しっかり話し合ってみようぜ? 今日負けたのも、なんだかんだ言いながらみんなその子のこと心配してたんだろ? じゃあ気が散っても仕方ない。ちゃんと謝りに行こう」
にっこり、と笑顔を作って諭すように話す。
するとみんな、納得したように頷いて、早速休んでる子にメールをし始めた。それから明日集合と決まったらしく、その時にきちんと謝るらしい。
良かった。これで大解決。
ほら、誰かを救うって、こんなに簡単。

とまあこんな出来事の後、すぐに解散になって一旦帰った後、ニサカはある場所を目指した。その途中にあるお店でお花なんか買ってみたりして。きく、という名前の花らしい。どなたに贈るんですか、という店員の問いに友達に、と笑顔で返した。その足取りは、友達に会いに行くには少し重すぎるものだけれど。
ハイカラシティからずっと離れた、もはや別世界に来たんじゃないかと思える程静かで、奇妙な場所。それなりに緑が生い茂っていて、都会の面影を忘れてしまいそうな場所に、お墓がぽつりと、一つだけ。
そのお墓の前でしゃがみこみ、先程購入した花を備え、胸の前で手を合わせる。そこにあるのは、たった一つの、深い深い後悔の渦。
これがニサカの罪。
気付かないフリをしたニサカの罰。
このお墓の子は、ニサカがまだ初心者だった頃の友達。
女の子で、リーダーと同じ桃色の目を持って、いつもバトルに一生懸命だった。ニサカもその子に負けないよう毎日バトルして、楽しかった。友達でありよきライバルでもあった。でも実力に差が出てしまって、悔しがってるその子にまだまだニサカが勝てないところはいっぱいあるから、なんて安い慰めをして。元々その子は家庭不和を抱えてた子で。ニサカはそれを知ってたのに、なにもできなくて、ニサカに追い付けないと悟ったその子は、目の前で自殺した。
ニサカの両親みたいに、目の前で自殺した。
後悔した。後悔してもしきれないくらい。取り返しのつかないことをしてしまったと思った。
確かに両親は自殺してしまったけど、別に悲しいと思ったことはなかった。いつも家にいないような親だし、それに元々、ニサカは恵まれていたから。でもその子だけは別で、凄く凄く泣いた。
ご飯も不自由なく食べれて、好きなことが出来て、バトルもいつも調子が良くて。
恵まれていたから、幸せだから。他のインクリングに比べて幸せだから、悲しんでる誰かのことを救ってあげないと。
あの子みたいにならないよう、幸せ者のニサカが救わないと。
そう思って、いつも笑顔でいるようになって、一人称も自分の名前にして、誰からも好かれるように頑張った。
頑張ってるのに、そう上手く救えない人ってやっぱいるみたいで。

ノワール。
ひとりぼっちの集まり。

一旦帰った時のことだった。
普段食べ終わった物は自分で片付けるレンが、その時は片付けどころか食器も浸けていなかった。
不審に思って真っ直ぐレンの部屋に向かった。こん、こん、と一定感覚でドアを叩いて、いつも通りに開けた。
そこにいたのは蹲っているレンの姿で、どうしたのか、どこか悪いのか、そう尋ねた。だけど返ってきたのは、うるさい、という苦しみを絞り出したような声だった。いつもいつも自分に絡んできて、一体なんなんですか。もうやめてください。迷惑です。そう言った。
突然のことで戸惑ったけどすぐに察した。多分、リーダーになにか言われて落ち込んでるのだ。レンはどういう形であれ自分に居場所をくれたリーダーを崇拝しているから。命令に失敗したなんて、身を投げるようなものだ。それをニサカのいない間に咎められたとしたら。
どうにかして励まさないと。そう思って普段通りの笑顔を作ったが、部屋から追い出されてしまった。結局、こんな時までレンは本音を言ってくれない。はじめて会った時から内に溜め込んで、こちらに教えてなんてくれなかった。
ニサカのこと、信じてくれなかった。
どうして。ねぇ。なんで。ニサカはみんなのこと救いたいだけ。ニサカは幸せ者だし、バトルも上手いから、その分みんなを手助けしたいだけ。なのになんで。どこで間違ったんだろう。ニサカは、オレは、どうしてこんなに上手くいかないんだろう。
…なーんて。
なに被害者ぶってんだ。辛いのは自分じゃないのに。
ニサカもリーダーからの命令がある。それを遂行しなくては。合わせていた手を膝に乗せ、よっこいしょと立ち上がる。来た道を一歩、一歩と戻った。
リーダーの命令は、チームクロメを見張ること。
あわよくば弱点を突いてやること。これだけ。
リーダーのやろうとしてることは、少し疑問が残る。他のチームを壊すだなんて。これって結局、他人を不幸に貶めるってことじゃないか。
オレは救わないといけない立場なのに、こんなことをしてていいのか。
何度か考えた。でもすぐに考えるのをやめた。余所は余所、ってやつだ。ニサカの第一目標はリーダーを、ノワールを救うことなんだから、これがリーダーの幸せに繋がるならやるしかない。
でも、
でも、誰かを不幸にして得る幸せって、あるのだろうか…?
気付けばもう見慣れたハイカラシティに入る頃だった。
本来なら命令を遂行しなければならないが、なんだか今日は気分になれない。今日は帰ろう。そう思い街を抜けようとした時、見慣れた姿が路地裏付近で休憩しているのが目に入った。影になっているので顔はよく見えないが、あのサンサンサンバイザーにエゾッコパーカーアズキはよく知っている。フチドリだ。チームクロメのメンバーのフチドリ。チームクロメの、核みたいな存在。
思い返せば思い返す程奇妙なチームだ。みんなが揃ってフチドリを持ち上げ出す。単に仲良しチームのバトルが上手くて愛想も良い、とかならまぁ分かるんだけど、フチドリはそれの真逆に位置する存在だ。しかしみんなフチドリを信頼している。いなくてはいけないように語る。まるで信者の集まりのようなチームだ。はっきり言って怖いくらい。
今日はさっさと帰ろうと思ったが予定変更。オレは真っ直ぐにフチドリの下へ寄っていった。純粋に何故フチドリが信頼されるに至るか気になったからだ。何気にフチドリと一対一で話すのははじめてだな。
「よーフチドリ」
いつも通りの笑顔で話し掛けた。フチドリは顔を上げ、あんたか、と返した。相変わらず不機嫌そうな顔をしている。
「フチドリが一人なんて珍しいな。誰かと喧嘩でも?」
「別に珍しくねぇよ。いつも一緒にいるわけじゃねぇんだから」
「えーもったいない! 青春って気付いたらあっという間に過ぎちゃうぜ?」
「そりゃどーも。てかもう青春って歳でもねぇけどな」
失礼な、とでも言いたげに眉を潜める。
そんな歳でもねぇって、フチドリがナノと同じ歳なら全然青春真っ盛りなんだけど。そこはニサカも冗談のつもりで振った話だったのであえて突っ込まないことにした。
隣にいても? と尋ねるとフチドリは少し奥に移動してくれて、返事をもらうことなくニサカはフチドリの隣で壁にもたれた。コンクリートのひんやりとした冷たさが生地の厚いイカリスウェット越しからでも伝わる。
気になって来てみたものの話す話題なんて皆無に等しい。普通に接してくれる辺りカザカミからなにも報告を受けていないようだが、こちらのことを全く信じてないというのは表情を見れば分かる。
ならばここは一つ、弱音とか吐いてみたらフチドリが信頼される秘密が分かるのかなとも思ったけど、残念ながらニサカ完璧なインクリングだから。弱音とかないだな。
じゃあこの話しかないな、としっかりとフチドリの顔を見て、口を開いた
「そういえばさ、ナノが数日前から家出して行方不明なんだよ」
「ナノが?」
「そうそう。だからなんとかしないといけないよなーって。フチドリ知らない?」
「…知らねぇな。連絡も貰ってねぇし」
そう言うと目を反らし、サンサンサンバイザーを深く被り直。
見て分かるくらいの嘘の吐き方。でもニサカは知らないふりをしてその話に乗った。
「そっかー。フチドリなら知ってると思ったんだけどな」
「期待に添えなくて悪かったな」
「いやいや仕方ないって。まぁどうしてもって言うならどっかでなにか奢ってくれたら許してあげるかなー。なんたってニサカ優しいから!」
「探しに行かないんだな」
「それから…え?」
ニサカお得意の相手丸め込みトークを繰り広げようとしたが、フチドリの意外な言葉で止まってしまった。
先程の嘘とは違って、真っ直ぐこちらを見ている。
「あ、ああ、もちろん探しに行くぜ。なんたってチームメンバーだからな」
「そうなのか。えらくゆっくりしてるもんだからナノのことさほど気にしてねぇのかと思った」
「そんな訳ないじゃん。チームメンバーなんだから。心配するのは当たり前だろ?」
そうか、とフチドリはこちらを見続けたままだ。
目付きが悪いこともあってめちゃくちゃ睨まれてる感覚。いや、それだけじゃない。どこか、なにかを見透かしているような目だ。察しているような、分かりきっているような。感覚で言うとケイを相手にしているみたいな。なんか、むかつく。
しまった。ここまで言われるともう撤退しなきゃいけないパターンだ。探しに行くつもりもないナノを探しに行くふりをして。ニサカとしては、もうちょいフチドリを観察していたかったんだけど。
「ナノにも困ったよ。せめて置き手紙か置きメールくらいしてくれればいいのに」
「変なところで律儀なあいつがそうしないのは珍しいな」
「でっしょー!? ノワールのみんなも心配しちゃうし、どうしたんだろうなー」
「ノワールは、心配してるんだな」
「当たり前だろチームメンバーだし。リーダーもレンも表には出さないけどそれなりに心配して」

「じゃあ、なんでナノはあんたらの下から逃げたんだろうな」

気付いたら下げていたスシコラを手にして一発撃っていた。フチドリを。フチドリに向けて。しかしフチドリは素早く避けていて、フチドリがいた場所には橙色のインクが垂れている。ハイカラシティではバトル外でのブキ仕様は禁止なんだけどな、と他人事のように思った。
「っぶねぇ! いきなりなにすんだ!」
フチドリが強く睨む。怒って当然だ。ニサカ達は今まで、楽しく普通にお喋りしていただけなんだから。
でももう無理だった。収まらなかった。怒りが、憎しみが溢れていく。目の前に立つインクリングに、それらが全て向けられる。
「う…るさい…」
「はぁ? なに言って」
「う、るさい、うるさい、うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいッ!! なんも分かってない野郎が! お前が! 分かったように語るなッ!!」
また数発インクを放つ。フチドリは後ろに下がって、そのまま走っていった。その先は路地裏、入って迷ってしまえば、出られないと噂される場所。しかしニサカは構わず追い掛けた。スシコラを持って、追い掛けた。
むかついた。許せなかった。分かったような口聞いて、さも当たり前のように語り出して。うるさい。お前になにが分かる。なんでも救えて、誰からの信頼も得ているお前が。ナノだってニサカが救うはずだったのに、お前が全てを台無しにした。ニサカが救うはずだった。ニサカが、オレが救うはずだった。だったのに。いつも誰も救えない。信じてもらえない。幸せ者のオレが。何故、何故!
フチドリの足元に向けまたインクを放つ。今度は的中し、フチドリは足を取られて躓きそうになるが、壁に手を付け躓くことは免れた。それを見逃さず、オレはフチドリに追い付き、壁に叩き付けた。むせるのも気にせず、オレはスシコラを落とし、両手でフチドリの首を締めた。
感情任せに、力いっぱい、強く強く首を締めた。
「…! ぅ、あ…!」
苦しそうにもがいている。オレの腕を退かせようとするもフチドリの手には力が入ってない。
「お前になにが分かる。なんでもかんでも救えてしまうお前が。生きているだけで祝福されるお前が! 分かったような口聞きやがって、うるさい、黙れ、死ね、なにも知らないくせになにも分からないくせに死ね、死ね…!」
フチドリは抵抗するのをやめ、オレの腕を退かせようとした手もぶらりと下がった。その目は虚ろで、もうすぐで殺せる。
いいんだよ。これで。お前は死んでしまえばいい。そうすればクロメだって解散せざるを得なくなる。オレの憎しみは発散され、リーダーの命令も達成出来る。いいじゃないか一石二鳥で。いいんだ。死ね。誰かを救う為には犠牲は仕方ないのだ。救う為に。救う。だからいい。いいんだよ。いいんだ。いい、のだろうか。誰かを救うって、これでいいんだろうか。分からない。犠牲にして得る幸せ。分からない。もう分からない。オレには、なにが、どう、正解なのか分からない。
「幸せって難しいよなぁフチドリ? でも仕方ないんだ。幸せ者のオレが救わないといけないだ。幸せだからやらなきゃいけないんだ。ナノもレンもリーダーも、オレだから出来るんだ。オレがやらなきゃならないんだ…! 救わないと、助けないと、なんとかしないと、だから、オレは、お前を、幸せ者のオレが…!」
その時だった。
隅でなにかが転がり落ちてくるのが見えた。それは、スプラッシュボムだった。黄色いインクが詰まったスプラッシュボム。どうやら、力なく下がったフチドリの手は、オレの知らない間にポケットからスプボムを取り出していたらしい。このままでは直撃してしまう。そう思ったオレは首を締めていた腕を離し、フチドリから距離を取ろうとする。すると脇腹に激痛が走った。痛みのままに吹き飛ばされ、オレは倒れる。
なにが起きたか分からなかった。咳き込んだ頃にスプボムの爆発音が聞こえる。オレが飛ばされたのはスプボムのせいじゃないのが分かる。ならば、何故。
スプボムが破裂している隣で、フチドリがこちらを睨んでいるのが分かる。しかしそれも少しの間。フチドリは蹲って酷く咳き込んだ。
なるほど。どうやらスプボムを使って油断させ、オレの脇腹に蹴りをお見舞いしたようだ。その判断能力、もっと別のところで使った方がいいんじゃないのか。せっかく、せっかく、もう少しだったのに。
痛みを抑え、上半身を起き上がらせる。その頃にはフチドリはこちらに歩み寄ってきていて、転がり落ちていたスシコラの銃口をこちらに向けた。
インクを空にしていない以上スシコラの中に入っているインクはオレのもの。つまり撃たれても痛くはない訳だが、その時ばかりは少し震えてしまった。
「う、るせぇのはてめぇだ! 俺はあんたみたいな偽善者が嫌いなんだよ!」
「偽善者、って、オレは真剣に…!」
「じゃあなんであんたはそんなに苦しそうにしてんだよ!!」
他人事なのに、敵なのに、フチドリは怒った表情で、でもどこか悲しそうで、オレを真っ直ぐ見ている。
苦しそう。苦しそう?
オレのどこがそう見えるのだろうか。強さにも環境にも恵まれて、幸せ者のオレのどこが。
「幸せ者、幸せ者って馬鹿の一つ覚えみてぇに言いやがって。あんた自分の顔鏡で見たことあんのか。少なくとも俺はあんたが幸せに生きてるようには見えねぇけどな!」
苛立った口調のまま、こちらに銃口を向けていたスシコラを、持ち手を前にして乱暴にオレに渡す。
「お前、今こんなところでこれ返して、どうなるのか分かってるのか」
「撃たれるかもな。殺されるかもしれない」
「分かってるくせに、なんで」
「撃ちたければ撃てばいいからさ」
は? と拍子抜けた声が漏れる。
同時にまた怒りが沸いてきた。渡されたスシコラを強く握り締める。
「好き勝手言って…馬鹿にしてるのか! お前はどれだけ大切にされているかを知らない。お前がいなくなって、悲しむインクリングのことを知らない…!」
「知ってるさ。でもオレが死ねばあんたは救われるんだろ?」
至って真面目に、真っ直ぐに、フチドリは言った。
なにを言っているのだろう。お前を殺してオレが救われる、なんて。ただオレは、リーダーを救う為に、ただそれだけで。
そこでオレははっとした。そうだ。他人を不幸にして得る幸せ。それがつまり、こういうこと。
「誰かを救うことに、誰かの為に動くことに躊躇なんていらねぇんだ。あんたがなにに苦しんでるのか知らない。あんたのチームがどういうことになってんのか知らない。俺どころかナノだって知らないんだ。なんでかって、当たり前だ。あんたがそれを伝えてないから。なにも言ってないから! 言わなきゃなんにも伝わんねぇんだよ!」
フチドリは、オレが持つスシコラの銃口を自ら自分の胸に当てた。力強く。他の行動は許さないと言わんばかりに。
「俺はどれだけ大切にされてるか、理解しているつもりでいる。でもこれで、あんたが救われるなら、それでいい。だから撃て。撃てよ! これがあんたの選んだ道だろうが!!」
この時、オレが思ったことはなんだっただろう。
なんて酷い奴と思った。大切に思ってくれる仲間の考えを無視して自分を犠牲にするなんて、と。
でも違う。これって、オレだ。今のオレ。自分が幸せ者だと言い聞かせ、周りを気にせず手助けに走っていたオレ。昔、オレのせいで死んでしまった子を、罪を、救いと呼んで自分を犠牲にすることで償っていると思い込んでいるオレ。でも違う。そうやって思い込んで、自分が幸せ者だと思い込んでいることで現実から目を逸らしているだけだ。リーダーの為だと、リーダーの幸せの為だと、オレはフチドリを殺そうとした。違う。それじゃ駄目なんだ。誰かを犠牲にして得る幸せなんてない。誰も幸せにならない。みんなが、自分が、納得して幸せになれる道じゃないと、ただ後悔していくだけ。あの頃と、同じになるだけだ。

「…。…お前は、本当に嫌な奴だな」
「心外だな。あんたと同じことしただけだぞ」
「本当に嫌な奴。そうやって、みんな救っていって、ずっと空回りしてたオレとは真逆だ。…本当に、むかつく」
フチドリは手を緩めた。もはや力が入らなくなったオレの腕は、ぶらりと垂れ下がる。
ひたすら文句を言い続けるオレにフチドリは眉を潜めるが、立ち上がるとオレに手を差し伸べた。オレはありがたく手を取り立ち上がる。
今まで嫉妬を向けられることはあってもしたことはなかった。でも今なら嫉妬をする理由が分かる気がする。ああ本当、羨ましいよフチドリ。オレが出来ないことを簡単にやってのけるお前が。
「でもまぁ、助けられたのは事実だから。ありがとな」
いつも通りの、とはいかないけど、今出来る精一杯の笑顔を向ける。
「あんたもスイレンも、クロメのことは潰す気満々なのに変なとこで律儀だよな」
「そりゃお礼くらいはする…ってレンも?」
「スイレンも助けてくれたのは事実だからって、お礼はしっかりしてたぞ」
その言葉を聞いて驚いてしまった。だってレンは絶対お礼なんてしないのだ。リーダーやナノにはどうか分からないが、オレには絶対。別にお礼を言われなくて怒るなんて短気なことはしないが、常識だし誰かと話した時それは失礼だ、とノワールに来たばかりの頃は口うるさく言っていた覚えがある。
そうか。オレが言ったこと、覚えててくれてるんだな。
そう思うと嬉しくなって、自然に笑みが溢れた。なにかを察したのか、フチドリは良かったな、とだけ言った。
なんだか気恥ずかしくて咳払いする。
「そ、それにしてもやっぱ気付いてたんだ。クロメを潰そうとしたこと」
「なんかしてきそうだなとは思ってたんだ。でも今ので確信した」
「あーあ。ニサカ、鎌かけられたのか。なんかショックー」
「乗せられやすすぎだっつの。てか戻すんだな。一人称」
「え? …あ」
はっとして口を塞ぐ。
誰もかも親しまれやすいように昔に変えた一人称。つい素に戻ってしまっていたようだ。
でも、なんだかしっくりくる。いつの間にかこっちの一人称の方が好きになってしまっていたようだ。ミイラ取りがなんとやら。
「いいよ。こっちでいい。ニサカ、こっちの方がお似合いだ」
そう言うと、フチドリはそうか、と言うだけだった。
ニサカのこの考え方はすぐには直らないかもしれない。なんせ昔から根付いてきた思考だ。もはや宗教。直らないかもしれない。
でもこのフチドリとの出来事は、いい勉強になったと思う。
結局、ニサカは救われてしまったのだ。敵である、フチドリに。
ああやっぱ嫌いだなぁ、と心の底から思った。



「案外出られるもんだな」
伸びをしてフチドリが言う。
あの後ニサカ達は路地裏から出る為に記憶を辿って来た道を戻ってきた。走っていたもののそこまで奥には行ってなかったらしく、ニサカも不思議なくらい周りの景色を覚えていたので、難なく出ることが出来た。とはいっても路地裏は同じ景色が続くので些細な変化に気付かなければ迷っていただろう。さっすがニサカ。やれば出来る子。
「まーフチドリそこまで足速くなかったもんなー。ナイス鈍足!」
「ただインクで足が取られたってだけだろうが! ったく、調子乗ればこれだ」
「まーまーニサカの顔に免じて許してよ」
「野郎の顔なんか見ても嬉しくねぇよ」
「えっ、じゃあ女の子ならいいと!? エンギに告げ口しなきゃ」
「なんでエンギが出てくんだ! めんどくせぇからやめろ、ってかそうじゃねぇ!」
先程の真っ直ぐさはどこへやら。すっかりいじられキャラに戻っていた。
うん。これはクロメのみんながいじりたくなるのもよく分かるな。一つ一つに突っ込むものだから見ていて飽きない。レンもこれくらい砕けてくれたらな、と考えたところでやめた。レンがこれと同じになったらかなりめんどそうだ…。
ようやく出口が見えてきた。開けたところに出られる。そう思ったが、ニサカは足を止めてしまった。それをフチドリは不審そうに見るがすぐに分かったからかなにも言わなかった。
出口に誰かが立っている。イカスカルマスクを首もとに下げ、イカライダーBLACKとタコゾネスブーツのギアがよく似合う、レンよりも焼けた肌と、桃色の目に白いカラー。
「リーダー…」
慣れ親しんだ呼び方。
そう。そこにはチームノワールのリーダーが立っていた。
「ニサカ。なにをしている」
高くも低くもない。ガールでありながら中性的な印象を抱かせる声。
「話と違うじゃないか。私の命令はどうした」
あの頃から変わらない、虚無の広がる瞳がニサカを睨む。
ニサカは、なにも言えなかった。
そうだ。解決したようで、なにも解決してない。ニサカはリーダーからクロメを潰せという命令を受けている最中なんだ。
ニサカがなにも言えないでいると、リーダーはフチドリを見た。お互い、なにも言わない。しかし沈黙を先に破ったのはリーダーだった。
「お前は、クロメか。そうか。お前がニサカをそそのかしたんだな」
「そそのかしたなんて人聞きわりぃな。ただニサカの本音を聞いただけだ」
フチドリは怒気を含んだ声で返した。
そんなフチドリの様子を見て、リーダーは少し考え込んだ後口を開いた。
「このままでは埒が明かない。こうしようじゃないか。お前、チームクロメに伝えろ。ノワールとナワバリの一本勝負だ。負けたらお前のチームは解散してもらう」
驚いた。ただ驚いた。
だってそんなの、実力差がありすぎてクロメが不利じゃないか。情けとしてナワバリにしたのだろうが、最後の三十秒が大切と言われているとはいえ実力の前では無に等しい。こんなの呑める訳がない。
しかしニサカは口出し出来なかった。リーダーの意見に、口出しするなんて許されないと思ったから。
「ああ。分かった」
ニサカが焦る傍で、フチドリは表情を変えず返した。
え、正気か? そう聞こうとするもリーダーによって遮られた。
「日程は追って伝える。ニサカ、行くぞ」
リーダーは翻し歩いていく。ニサカは慌ててフチドリに小さく会釈すると急いでリーダーを追った。
幸いリーダーにはすぐ追い付くことが出来たが、ニサカはこのままでいいのだろうか。クロメを潰す。その命令に従っていって、いいのだろうか。
隣にいるリーダーの目をとらりと見る。
桃色の目は、変わらず虚無を映したままだった。



2017/10/29



[ back ]


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -