STORY | ナノ

▽ ひとりぼっちの夜


がたがたがた、と窓が激しく音を鳴らす。
それと共に外で風が暴れるように吹き荒れている。
俺は隣で震えているナノから離れないようぴったりと肩をくっつけながら部屋の隅っこで座っていた。
なにか物でも飛んできたのだろうか。窓を叩くような音が大きく鳴り響いた。それに合わせてナノの体も大きく揺れる。
「…怖い?」
ナノの顔を覗き込むようにして尋ねた。
「ううん、ぼく怖くないよ。だってチドリがいるもん…」
そう言うものの声には力がなく、こちらに向ける目は潤んでいて説得力がない。少しでも怖さを軽減出来るよう俺はナノの手をぎゅっと握り締めた。するとナノは安心したのか少し震えが収まった気がした。
ここ、夜のナノの家に俺とナノ、二人しかいなかった。というのも俺がナノの家に遊びに来ている時に台風がこの地域に直撃。ナノの両親は今日朝から出掛けており、帰ろうというところで電車が台風の影響で遅延。今日中には帰れないとのことだった。つまりナノは家で一人ということになる。夕方までは全く怯えるそぶりを見せなかったのに、不安になったのか親が帰れないと分かった途端に震え出した。こんな様子で置いていけるわけないので、俺は帰らずずっとナノの傍にいる、というのが今までの流れだった。
ナノは泣き虫だ。いつもだったらすぐに泣くのに、今こうやって堪えているのは本当に偉いと思う。
「チドリ、体調は大丈夫?」
涙ぐみながらナノがこちらを見た。
俺は生まれつき体が弱く、よく雨の日なんかは寝込んでいるのだが、最近は治ってきたのかそういうことは減ってきた。というか、季節を感じると体調を崩すのだ。その点台風は季節なんてものをこれっぽっちも感じないから平気だった。
「大丈夫。ナノは寒くない?」
「寒くないよ。でもお腹空いた…」
お腹を擦ってナノは言った。
そういや電話が掛かってきて以降なにも食べてなかったことを思い出す。急なことだったから作り置きなんてしてないだろうし、俺だけならともかくナノはなにか食べないと辛いだろう。だからといってまだ子どもである俺は料理なんて作れない。
どうしよう、そう考えた時、突然ぴんぽーん、と呼び鈴が鳴った。
突然のことにナノは体を大きく揺らす。その呼び鈴は気のせいというわけでなく、確かにこの家に誰かがいると確信して一定置きに鳴り続けた。
この家の住人でもないのに出るのは申し訳ないが、ナノがこんな様子じゃあ出るに出られないだろう。俺は一つの決心を固めると立ち上がった。
「ナノ、俺出てくるからここで」
「まって」
するとナノは俺の服の袖を引っ張って止めた。こちらを見る赤い瞳には、まだ涙が溜まっていた。
「ぼくもいく…。一人にしないで…」
「…分かった。一緒に行こう」
俺はナノの手を引っ張って立ち上がらせると、部屋を出て玄関へと向かった。
玄関の前に備え付けられた電話を手に取る。
「どちらさまですか」
特に愛想もない淡々とした声で外にいるだろうインクリングに話し掛けた。
その声は、フチドリ?
そう返ってきた声は、紛れもなく自分の母親のものだった。



「お邪魔しまーす!」
元気よく挨拶するとナノは雨具から雨粒を払い落とし、丁寧に靴を脱いで家に上がった。
あの後母に言われて俺とナノは雨具に着替え、ナノの家の隣、俺の家に向かうことになった。雨が苦手な俺達はただ隣の家に移動するだけでも雨粒に当たらないよう一苦労だ。下手すれば命にだって関わる。
そもそも母が迎えに来たのは他でもないナノの親から連絡があったらしい。母とナノの母は昔からの友達らしく、家に二人は心配だから、とお願いされたそうだ。
「寒かったでしょう。簡単なものだけど暖かい物作ったわ。二人で食べてね」
至って穏やかな声で母はナノに言う。ナノは喜びながら満面の笑みでお礼を返していた。
対する俺は靴を脱いで家に上がるなり止まってしまった。そんな俺を不信に思ったのか、ナノはきょとんとして振り返った。
「どうしたのチドリ。早く食べに行こうよ」
「あ、ああ…。すぐ行く」
ぎこちない返事。だがナノは気にすることなくリビングに向かった。俺も呼吸を整えて、ナノの後を追った。

テーブルの上にはスープやサラダが乗ったお皿が並べられていた。
いただきます、と手を合わせると、ナノは一口、二口と次々に口の中に入れていく。本当にお腹が空いていたようだ。俺も、スプーンでスープを掬って口に付けた。トマトの味がする。トマトスープだろうか。それは暖かく、美味しかった。
「美味しい?」
母がナノに尋ねる。
「はい! すっごく美味しいです!」
ナノは笑顔で答えた。その様子に、母は安心したように微笑み返す。
「あまり料理は得意じゃないから、美味しいのならよかったわ。おかわりもあるから遠慮なく言ってね」
その後ナノは本当に遠慮なくおかわりをしていた。いつものナノなら想像も付かない食べっぷりで、鍋に残っていたスープもすぐになくなってしまった。
皿の上の物を全て食べ終えると、ごちそうさまでした、と手を合わせる。ナノは食器を盆の上に乗せるとキッチンまで運んでいった。母に偉いわね、と褒められて嬉しそうにしていた。
戻ってきたナノは元の位置に座り、笑顔のままで俺を見た。
「いいなチドリ。いつもこんな美味しいご飯食べられるんだもん」
屈託のない笑顔。純粋で、裏表のないその言葉に、え、と言葉を詰まらせることしか出来なかった。
俺の様子に気付いたのか、ナノは首をかしげてどうしたの? と聞いてくる。すると母はくすりと笑って、俺を見た。
「ありがとう。そんなに言われると嬉しいわ。ね、フチドリ」
そう俺に微笑み掛ける。
その微笑みはすぐにナノに向けられ、しばらく二人で談笑していた。
俺はその様子を、ただ隣でぼーっと見ていることしか出来なかった。

お布団二つもないからごめんなさいね。でも大きいし二人で一緒に寝られるわよね?
そう言って通された寝室。そこには大人用の布団は敷いてあって、枕だけが子ども用で二つ備え付けられていた。
早々にナノが布団に潜って暖かいとはしゃぐ。だがすぐに動きを止め、扉の前でただ立ち尽くしている俺に目を向けた。
「チドリどうしたの?」
「え、いや、俺も寝ていいのかなって…」
「いいに決まってるよ。ほら、きてきて」
そう笑って手招きをする。それでも尚動こうとしない俺を見てナノは顔を曇らせた。それを見て焦った俺は若干戸惑いながらもナノに従って布団に潜った。…こういう表情されると、なにか悪いことをしてしまったみたいで苦手だ。布団は二人で入ると決して広くはないが、体格上狭いと感じることはなかった。
「チドリ、なにかあった?」
俺に向き直ってナノが聞く。あまりに直球で少し戸惑って首を横に振った。
「ならいいんだけど…。なんかいつもと違う感じがしたんだもん。もしかしたら具合悪いのかなって」
どうやら俺の不審な行動は体調によるものだと捉えられていたらしい。場違いながらもその勘違いにほっとして、俺はごめん、と謝った。その様子にナノは微笑むと、しばらくしてすぐに眠ってしまった。
対する俺はなかなか寝付けなくてナノに背を向けて出来る限り端っこに寄って自分の身を抱き締めた。
思い出す限りでは、だけど。
思い出す限りでは、母に料理を作ってもらえたのははじめてだった。
笑顔を向けられたことも、布団を用意してもらえたのも、はじめてだった。
昔から自分が食べるご飯といえば、冷蔵庫の中に入っている調理のされていない生の野菜を噛ったりするだけ。親はいつも自分達の部屋に籠るか仕事に行っているかでいないし、自分の居場所はいつもリビングの隅っこだった。
隅っこで膝を抱えて座って、ただただ窓の外をじっと眺めている、つまらないインクリング。
母は他人の目を気にする人で、外に出ては目付きのせいで喧嘩を吹っ掛けられ、いつも傷を付けて帰ってくる俺を見てなにやらこそこそと話し出す他人の噂話に敏感だった。
俺としては母に迷惑を掛けるのが嫌で、全く外に出なくなってしまって、そう考えるとナノと知り合ったのは奇跡に近い。
母は、そんなナノの目も気にして俺に笑い掛けてくれたのだ。
決して俺だけの為じゃない。
こんなこと普通だ。慣れきったことで、今更どうこう言うことじゃない。
だけど何故だか、今日だけは凄く泣きたい気持ちになった。
それもきっとこんな台風のせいだな、と八つ当たりをして。



2017/09/23



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