短編 | ナノ

 天の川と踊れ

 7月7日という日が、彼の誕生日が、緑間真太郎は大嫌いである。




 緑間の両親は、彼に対して、よく言えば放任主義、悪く言えばひどく無関心な人たちであった。もしかしたら、緑間は幼い頃から年の割には大人びていて、手がかからない子だったからかもしれない。それに反して、2つ年下の妹が生まれつき体が弱く、甘えたがりであったからかもしれない。そんなことはまるで関係なく、ただ単に、両親は妹だけが可愛くて緑間のことはどうでも良いと思っていたからかもしれない(彼自身はその可能性が一番高いと思っている)。とにかく、そこにどんな理由があれ、緑間の両親は彼に有り余るほどの金は与えど、愛情を注いでくれることはなかった。だから幼稚園に入ってお誕生日会というものを知るまで、緑間には誕生日は祝われるものであるという感覚が一切抜け落ちていた。
 幼稚園3年間はともかく、小学校に上がると、誕生日会という制度がなくなったせいで7月7日はまた緑間にとってどうでも良い日に成り下がった。もちろん親しい友人がいたりクラスメイトともある程度の交流をしていれば祝ってもらえたのかもしれない。しかし、ゆがんだ家庭で育った緑間は世間を斜めに見る言動が多く、両親の気を引きたいと願ううちに口癖になってしまったおかしな語尾や、片鱗を覗かせ始めたおは朝信者っぷりやらも相まって、小学6年間をずっと独りぼっちで過ごすというある意味偉業を成し遂げてしまったのだ。結局、その6年間彼の誕生日は七夕祭りに出かける両親と妹を見送るだけの日でしかなかった。

 それが劇的に変化したのは、帝光中学校に入学してからのことだった。

 帝光中に入り、緑間は赤司という男と出会った。クラスメイトであった彼は緑間の口癖やその頃には完全に確立していたおは朝狂を馬鹿にすることはなく、むしろ緑間の良さが分からない両親や小学時代のクラスメイトの方が馬鹿だと言い放った。そして緑間の手を引いたのだ。バスケ部に入れ。俺がお前の才能を引き出してやる、と。緑間は惹かれるように部に入部届を出し、そして青峰と紫原、桃井、灰崎という仲間に出会った。
 その年の7月7日、緑間本人も忘れていたその日、彼がいつも通りに部室に入ると歓声と爆音に襲われた。何事かと身構えた彼は咄嗟にラッキーアイテムのた○ぱんだのぬいぐるみを抱きしめ、しばらくしてから歓声は赤司たち5人が彼の誕生日を祝う声であること、爆音はクラッカーの音(何故か青峰と灰崎が持ちきれないほどの量を一気に鳴らしたためえげつない音量になった)であることに気付いた。そして差し出されたものがいわゆる「プレゼント」であることを知った時の緑間の呆気にとられた表情は、主に青峰と灰崎により後々まで語り継がれることになるのだが、それはまた別の話である。 
 とにかく、誕生日教えねえとか水臭いじゃねえかだのまあ仕方ねえし祝ってやるよだの勝手に調べさせてもらったが問題はないよなだの今日の帰りにおいしいおしるこ屋さん寄ろうねだのその後皆で俺ん家にお泊りねーだの(ちなみに最初から順に青峰、灰崎、赤司、桃井、紫原の発言である)口々に言われ、13年目を迎えた彼の人生の中で、初めて、緑間真太郎は誕生日が嬉しいと心の底から思ったのだ。 それは、2年生になっても変わらなかった。むしろ黄瀬と黒子という仲間が増え、前日から赤司の家で夜通し祝ってもらった記憶は、誰にも言わないが死ぬまで忘れない大切な宝物になった。

 とても、仲が良かった筈なのに。
 歯車が狂いだしたのは、2年の全中で帝光中が二連覇を成し遂げた頃からだった。

 最初に抜けてしまったのは灰崎だった。もともと粗暴な面が無きにしも非ずだった彼だが、黄瀬とのポジション争いの結果ついにその素行が見過ごせないものとなり、すでに主将の座に就いていた赤司によって退部を言い渡された。その時緑間だけが最後まで反対していたせいか、黄瀬と黒子に距離を置かれるようになってしまった。
 続いて青峰がおかしくなった。強くなりすぎた彼は最早バスケに何の楽しみを見出すこともできず、部活に来ることが少なくなり、相棒たる黒子ともろくすっぽ喋らなくなってしまった。緑間は何とか彼を部活に連れて行こうとしたが、姿を見ただけで悪態をつかれるようになっただけで何の成果も挙げられなかった。
 そして「キセキの世代」が完全に瓦解することになった運命の日。
 それは、緑間が3年生になった7月7日、よりによって彼の誕生日その日であったのだった。




 3年に進級したころからぎすぎすした雰囲気はひどいものだったのだが、それでも全員緑間の誕生日のことや彼に自分たち以外誕生日を祝ってくれる人がいないことは覚えていたらしい。たとえ同情や妙な義務感からくる行為だとしても、その日、部室でケーキを用意してクラッカーも鳴らしてくれた友人たちの気遣いが緑間には純粋に嬉しかった。それに面倒くさそうな表情を隠しもしていなかったが、そこには青峰と灰崎までいたのだ。これ以上に望むものはない、と緑間は胸中で独り言ちた。そこまでは平和だったのだ。
 結局のところ、何が原因だったのか今になってはよく分からない。気が付けば青峰と黒子の口喧嘩が始まっており、そこに灰崎が茶々を入れたり紫原や黄瀬が妙な形で参戦していったりしたせいで、部室内には文字通り一触即発の危うい雰囲気が漂い始めていた。そして、赤司も苛立っていたのかもしれない。決定的なことを、絶対に言ってはならなかったことを口にしてしまったのだ。

「俺たちが求めるのは全中三連覇だけだ。それ以外はいらない。だから全中までは形だけでも部員として在籍していろ。ほかでどうしようと部活に影響が出ない限り俺は咎めない」

 その言葉を聞いた瞬間、黒子の顔から表情の一切が抜け落ちるのを緑間は確かに見た。そして悟った。
 ああ、もう元には戻れないのだな、と。

 その時緑間には何もできなかった。副主将なのに、赤司の言った言葉を諌めることも、ましてやフォローすることもできなかった。ただ、クラッカーの残骸をかき集めてゴミ箱に押し込み、半分も減らなかったケーキを備え付けの冷蔵庫にしまって部室を出た。泣かないようにするだけで精一杯だった。だから、去り際に「すまない」と言ったときに残ったメンバーの顔から血の気が引いたことも知らないし、知っていたとしても多分どうしようもなかった。その日緑間は3年間で初めて部活を休んだ。
 次の日から緑間は部活こそ休まなかったものの、分かりやすいくらいにはキセキのメンツを避けて過ごした。しかし、一週間ほど経った頃、いまだに部室の冷蔵庫にケーキが手付かずのまま残っていることを知り、廃棄してそれからはいつも通りに戻った。誕生日が嬉しかった1,2年の頃が、何百年も前のことのように思えて仕方がなかった。
 この日、緑間真太郎は自分の誕生日がどうでも良いを通り越して大嫌いになってしまったのだった。






 その後、彼の誕生日嫌いは高校に入っても治ることはなかった。その当時先輩との仲がお世辞にも良いものとは言えず、中3の誕生日の経験のおかげでより偏屈ぶりに拍車のかかってしまった性格のおかげでクラスメトや
チームメイトから浮いてしまっていたこともあり、緑間は高尾に聞かれようと自分の誕生日を頑として教えようとしなくなっていた。もちろん両親と妹が今更祝ってくれるはずもないし、キセキからメールや電話が来ることもない(黄瀬など、どうでも良いことは頻繁にメールしてくるくせに前後1週間音沙汰もなかった)。だから高校1年の7月7日は、誰も緑間のことを祝うことなく過ぎていった。緑間自身、それで構わなかった。
 構わないと、自分に言い聞かせていた。










 その年の、緑間が高校2年に進級した年の誕生日は、丁度7月の第一日曜日にあたっていた。秀徳高校バスケ部の休養日である。そんな日はたいてい高尾に連れ出されるか黒子や火神、青峰たちとストバスをするかなのだが、今日ばかりはそんな気分にはなれなかった。だから朝起きた時から携帯の電源を落とし、部屋に引きこもって図書館で借り溜めしていた本を読みふけっていた。そして、お昼過ぎになった頃だ。近所迷惑な勢いで呼び鈴が連打され、何事かと慌てて扉を開けた緑間は、紫原と大坪という身長的に太刀打ちできないコンビに拉致された。
 …拉致された。

「紫原!大坪主将!一体何事なのだよ!!」
「ミドチンうるさい、来れば分かるしー」
「悪いな緑間、おとなしく着いてきてくれ」
「はあ!?」

 まったく意味が分からない。分からないが、抵抗しても開放してもらえるとは思えない(特に紫原)。結局緑間は諦めて二人に担がれるままにされた。目隠しまでされたがもうどうでも良い。というか紫原お前何故ここにいるのだよ。お前高校秋田だろう。大坪主将もいくら都内の大学に進んだからと言って何してるんですか。
 それから車に乗せられ、20分ほどは移動しただろうか。
 よいしょー、という気の抜けた声とともにどこかに座らされる。ついでに大坪の相変わらず体重ないな、ちゃんと食べているのかという言葉に条件反射ですみませんと謝ってしまった。WC前の合宿で1,2年生全員を巻き込んでの食トレをさせられたのは記憶に新しい。
 閑話休題。
 じゃあいくぞ、というなにやら聞き覚えのある声とともに緑間の目隠しは外された。
 そして、同時に中1のあの時とは比べ物にならないほどの轟音が緑間の鼓膜を叩いた。

「ハッピーバースデー、緑間!!」

 文字通り椅子から1pは飛び上がった緑間は、ひどい耳鳴りのせいでくらくらする頭を抱えながらあたりを見回す。
 デジャヴというかなんというか、やはりこの音はとんでもない量のクラッカーから発生したものだった。あの時と違うのは違うのは、両手にクラッカーを抱えているのは青峰と灰崎だけでなく黄瀬と火神、高尾、宮地もであることと、やや呆れ顔をしている黒子、大坪、木村が仲間入りしていることだ。
 
「…何事、なのだよ」

 緑間は状況が掴めず呟く。いや、頭では分かっているのだ。だってここはストバス後に何度かお邪魔したことのある火神の自宅で、目の前のテーブルには奴の手作りと思われるご馳走が並び、その真ん中にはこちらは紫原お手製と思われるホールケーキが鎮座しているのだ。さらに言うならそのケーキには「ハッピーバースデー 緑間」なんてチョコプレートまでついているのだ。だから、分からないのではないのだ。
 ただ、感情が追い付かないだけなのだ。
 いくら仲直りしたといっても緑間にとって中3のあの日はトラウマで。自分の誕生日がまた誰かを、自分を不幸にするのが怖くて誰にも告げろことができなくて。寂しい、と泣く自分の心を見ないふり、気付かないふりで過ごしていくのだとずっと思っていた。
 だから、嬉しくて、怖くて、泣きたくて、彼は、

「真太郎、お前にずっと謝りたかったんだ。2年前の、この日のことを」

 最初の歓声以来、沈黙が漂う空間で口火を切ったのは
赤司だった。

「あの日は、純粋にお前の誕生日を祝うつもりだったんだ。2年の全中以来、お前には苦労をかけっぱなしだったから、少しでも喜んで貰いたかった。なのに、つまらない口喧嘩に苛ついて、あんなことを言ってしまった。いつも通り、お前がフォローしてくれるだろうと思って。僕は馬鹿だった。あの日は真太郎のための日だったのに、お前に、一番嫌な役目を押し付けようとしていた。お前に甘えきっていたんだ。すまない、真太郎。本当に、すまなかった」
「赤司…」

 思いがけない赤司も謝罪に緑間が戸惑っていると、桃井が続いた。

「わたしもミドリンに謝らなくちゃならないわ。ごめんなさい、ミドリン。私が大ちゃんを止めなくちゃいけなかったのに。止められなくて、何も、できなくて…!大ちゃんを部活に連れて行く役目も本当は私だった。私が赤司君に頼まれていたことだった。なのにクラスが同じだからってミドリンに任せて、何の手伝いもしなかった。ミドリンを追い詰めてた。ごめんなさいミドリン、ごめんなさい」
「それを言うなら元凶は俺だろ」

 泣き出した桃井の言葉を憮然とした青峰が遮る。

「別にお前のこと本気で嫌ってたとかってことはねえ。なんだかんだ言って俺に喰らいついてきたのはお前だけだったからな。まあ、祝う気持ちはあったんだ、あー、だけど、つい、カッとなっちまって…。その、あれだ。あの時は、悪かった」
「つーかまあ完全に元凶は俺だけどな。なんつーの?退部になったことは、まあ、そんなに後悔はしてねえけど、あん時大人げねえ真似したことは反省してるわ。ついでに言うとお前、最後まで俺のこと見捨てなかっただろ。あれ、ちょっと…いや、かなり嬉しかった。サンキューな、シンタロー」
「そ、それなら俺もッスよ!ショーゴ君に突っかかって緑間っちにいっぱい迷惑かけたのに緑間っちのこと避けるようなことしたりして…。あの日も喧嘩に夢中で全然緑間っちの気持ち考えてあげられなくて!ほんとに…ほんとにすいませんッス!!」
「俺もごめん…。ケーキ、ミドチンが食べるかなって思ってとってて…普通に食べられるわけないのに…捨てさせちゃって…ごめんね?ミドチン。ごめん、いつも、いっぱい、ごめん」

 次々と紡がれる言葉たちに、緑間の脳内はキャパシティオーバーを起こしそうだった。というか起こしていた。おかげで仔犬のような面々を前に出てきた言葉は「何故高尾と先輩方が俺の誕生日を知っているのだよ…?」というまったく関係のないもので、黒子が苦笑してネタばらしをしてくれた。

「僕らが高尾君に頼んだんです。緑間君の誕生日を祝わせて欲しいって。そしたら君、誰にも誕生日を言ってないっていうじゃないですか。それで高尾君の発案で急遽先輩方もお呼びして盛大に祝おう、ということになりまして」
「まったく、真ちゃんったら水臭いんだからさ!あとで宮地さんに轢かれちゃうね!」
「ああ、お前ごとな」
「えっ!?ひでえ!」

 ぎゃははと馬鹿笑いする高尾の通常運転っぷりに少し落ち着く。それを見計らったのか、黒子がそっと言葉を落とした。

「ごめんなさい、緑間君。君は優しい人だから、灰崎君を見捨てられないと知っていたのに責めてしまいました。自分のことを責めるだろうとわかっていたのに、よりによって君の誕生会という場で論争を始めてしまった。
 皆君が出て行ってから、君が謝るのを聞いてから気付いたんです。自分たちがどれほど馬鹿なことをしたか、どれほど君を傷つけたかということに。でも僕らは救いようがないほど愚かで、意地っ張りで、子供でした。自分から君に謝ることができず、誰かが謝ってくれるのを待っていた。そしてだれも謝れないまま全中を終えて、ばらばらになってしまった」

 きつく握りしめられたその手を見て、緑間は何だか泣きたい気持ちになった。もう痛まないだろうと思っていた心臓が、妙な音を立てて軋んだ。

「去年の今日、僕らちゃんと覚えてましたよ、君の誕生日だって。でも何もできなかった。変わりなく接してくれる君に甘えて謝ることができず、普段通りを装いながらも、蒸し返すのが怖くてメール一つ送れなかった。ほんとに、僕らは馬鹿で、最低で…!」
「もう、良いのだよ」

 ついに耐え切れなくなった緑間は黒子の手を握った。反対の手で静かに泣き続ける桃井の頭を撫でた。そして微笑む。
 ああ、あと9本手が欲しいな、なんて。
 今にも泣き出しそうな赤司たちを、気を利かせて緑間に寄り添ってくれている高尾と火神を、優しく見守ってくれている先輩方を抱きしめたいな、なんて。

「もう良い。その言葉だけで十分なのだよ」

 とうとう泣き出したキセキたちと笑っている高尾、火神、先輩方にもみくちゃにされながら緑間は声を上げて笑った。
 緑間以外の全員が大坪と火神に教えを乞いながら作り上げた八色+オレンジのテディベアは、まだしばらく出番がなさそうだ。



Fin. 


 





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