短編 | ナノ

 3

月に向かって吼える先輩の姿を、高尾はただ呆然と見ているしかなかった。
お伽話にでも出てきそうなくらい綺麗な円を描いた月に照らされるそのシルエットが徐々に人間離れしていく。最初に犬のような耳が生え、続いてふわりとした尻尾が風をはらんで大きく膨らむ。力強くボールをつく手は薄金色の強い毛で覆われ、真っ直ぐ伸ばされた指の先には鋭く尖った爪が存在を主張している。未だにキキキと嗤い続けるジャックランタンに向けられた瞳は、縦長に開いた金の瞳孔が場違いなまでの美しさを有していた。
「……狼男……?」
「―――下がってろ」
聞いたことがないような低い唸り声をかけられ、身体がすくむ。無言の大坪と木村に襟首を引かれ庇われるような形になり、今日一番守らなければならない人物を思い出して慌てて視線を巡らせた。
緑間は、まだ宮地の真後ろにいる。
「真ちゃ――」
「ジャック・オ・ランターン、別名<提灯ジャック>。そもそもはカブの姿で描かれていた西洋のモンスターだが、時を経るにつれてカブが南瓜に変わり、日本でも親しまれるようになったハロウィーンの代名詞のような存在」
淡々とした緑間の声をBGMに宮地が大きく腕を薙ぐ。鋭い爪が白布を裂き、ジャックランタンの空っぽの胴体が晒される。
「ジャック・オ・ランターンの伝承としては、悪賢い遊び人が悪魔を騙し、死んでも地獄に落ちないという契約を取り付けたが、死後、生前の行いの悪さから天国へいくことを拒否され悪魔との契約により地獄に行くこともできず、カブに憑依し安住の地を求めこの世を彷徨い続けている姿だというものがある。だから<さまよいジャック>とも呼ばれ、どこにも行き場がない彼は」
胴体を失ったジャックランタンの頭が地面にたたき付けられ、粉々に砕け散った。高尾は大きく息を飲んだが、未だ警戒を解かない宮地の前で砕けたオレンジの欠片が次々と収束され、再び形を作り始める。


「――死ぬことのできない、憐れなモンスターなのだよ」


相も変わらず薄っぺらい布で不格好な頭部を支える南瓜の化け物。
宮地は再び爪を振るって今度は頭をえぐるが、地面に落ちた欠片たちはすぐに元の場所に戻り、ジャックランタンは何事も無かったかのようにそこに存在し続けている。
まるで映画の中の出来事のような流れに疑問すら忘れ硬直する高尾たちの前で、ジャックランタンの口が大きく開いた。


「ほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいそのおとこほしいそのおとこおとこなのにおんなのたましいしんだいからつづくうつくしいかみのおんなのたましいうつくしすぎてうとまれたごくじょうのちからほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいつよすぎるちからをあたえられたおとこおんなではありえないちからをもつおんなのさがをたましいをもつおとこほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしいほしい」


びりびりと鼓膜が叩き割られそうな勢いで響く声に高尾は悲鳴を上げて耳を塞いだ。やや離れたところにいる高尾でさえそうなのだ。至近距離で聞かされた宮地は耳をすっ飛ばして頭を割られそうな騒音に耐えなければならなかった。利きすぎる耳(や鼻)というのも場合によっては考えものである。
緑間の言う通り、ジャックランタン――ジャック・オ・ランターンというのは死ぬことができないモンスターである。ハロウィーンの代名詞にされたせいかハロウィーンの日の夜に力をつけ、日付が変わればただの無害な提灯南瓜に戻る。つまりあと三時間耐えればこちら側の勝利となるのだ。だが考えてほしい。たかが三時間、されど三時間。何故かは分からないが目をつけられてしまった緑間を守りながら三時間耐え切れるかと言えば――答えは一つ。ノーしかない。
宮地は焦って背後にいるはずの後輩を振り返ろうとした。この際狙われていない大坪たちには気を回さなくても大丈夫だろう。緑間一人をつれて、何とか三時間屋根の上なり何なりを飛び回って逃げられないものか。こちとら狼男だ、脚力には自信がある。
だがその考えに反して宮地の身体はぴくりとも動かなかった。
「―――がたがたがたがたやかましいのだよ」
ジャックランタンが現れた時の比ではないくらいに重いプレッシャーが空気を満たしている。歪む空気の振動が見える程物理的な力さえ伴ったそれは、「先輩たちと高尾は目を閉じて顔を伏せていてください」との言葉がなくとも頭を垂れさせるだけの絶対性を――本能的な恐怖を煽る何かを有していた。
息すらも止めて状況を窺う宮地の横を、緑間が悠然とした足取りで(多分)通りすぎていく。先程の一喝で騒ぐのをやめたジャックランタンの前で立ち止まったらしく足音がやみ、代わりに「ふふっ」という軽やかな笑い声が耳朶を打った。
「お前に俺を見る勇気があるのか?あるなら見ると良い。さあその空っぽの頭に焼き付けろ。これが俺の――」


「メドゥーサの素顔だ」


きしり、と。ジャックランタンが文字通り固まる音まで聞こえるようだった。
好奇心に抗えなくなり、宮地はそっと片目を開けて緑間を窺う。婉然と微笑むその顔を捕らえた瞬間、喉の奥で空気が引き攣れて呼吸を邪魔した。
顔の造りは変わっていない。宮地がよく知る後輩の、嫌味なくらいに整った顔だ。だが纏う空気が、その表情に載る色香がまるで違う。命すら捧げたいとか、魂を吸い取れるようなとかそんな次元の話ではない。
恐怖。
美貌、色香も過ぎればぞっとするようななどという形容詞が冠される。緑間の美しさはそれを突き詰めて丁寧に完成させたものだった。触れようという気すら起こらない、見ることさえ躊躇う純然たる美。なるほどメドゥーサは恐怖で人を石にするというが、まさか美しさすぎることで生まれる恐怖だとは思ってもみなかった。
色味を失いくすんだ石へと変わったジャックランタンを視界の端に収め、宮地は強く目をつぶった。
「………もう大丈夫ですよ。顔を上げてください」
見上げた横顔はよく見慣れた、清廉で硬質な後輩のもの。
「とりあえずそこの公園に行きましょう。すべて説明します。――ね?宮地先輩」
そこに微かに余韻を残すメドゥーサのごとき微笑みに粟立つ肌を押さえ、宮地は緩慢に頷いた。






END












文中で緑間と宮地先輩がハロウィンをハロウィーン、ジャックランタンをジャック・オ・ランターンと言っているのは、そちらが正式名称っぽいからです。長音入ると古代の発音に近いとか
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