短編 | ナノ

 相席の恋人

緑間真音は重度のおは朝信者である。そんな占い好き(そんな言葉で片付けられるほど可愛い信じかたでもないが)の彼女は、幼い頃から運命の相手と結婚するのだと言ってはばからなかった。出会えなければ結婚しない、と。
両親は当然そんな娘の将来を危惧した。見た目はともかく性格には相当難有りの娘だ。本気で独り身を貫きかねない。事実、緑間は友人たちとバスケットボールにのめり込み、男には見向きもしない中学時代を送った。
だが幸いなことに、彼女曰くの「運命の相手」は高校になって姿を現したのだ。
高尾和成。
それが、緑間の運命の相手である。





朝食もそこそこに慌ただしく出勤して行った同棲相手を、緑間はやや寂しく見送った。
高校二年生の時から付き合い始め、大学を卒業して同棲するようになって二年が経つ。当初こそラブラブ(死語なのだよ)な生活を送っていたが、最近では高尾の仕事が忙しいらしく、なかなか二人の時間がとれることはない。朝早く出勤し、日付が変わる頃に帰宅する恋人に不満を抱くこともあるがそれだけ高尾は会社で重宝されているのだ。
実際、たまの休みに家にいるときも高尾のケータイは引っ切りなしにメールの着信を告げている。相手は上司だったり同僚だったり部下だったりと様々だが、よくもまあ人に好かれる男だ。緑間からしたら折角の休日を邪魔されて不満がないわけではないのだが、そのたびに高尾が申し訳なさそうにしてくるのでイマイチ文句も言えずにいるのだ。
今日もまた高尾が手を付けなかった朝食を始末し、細々とした家事をしていると緑間自身にも出勤の時間が迫ってきた。医療機器メーカーに勤める身として遅刻は厳禁だ。駅で待ち合わせをしている同僚にメールを送りながら慌ててパンプスをつっかける。
本日の蟹座は運勢7位、ラッキーアイテムはシルバーのペンダント。
まあまあの一日になりそうだ。





太陽がすっかり沈み、眠っていた光たちが我先にと輝き始めるそんな時間。スーツ姿の緑間はレトロな喫茶店の前でメニューとにらめっこをしていた。
高尾は今日も遅くなると昼にメールがあった。なら喫茶店でコーヒーを飲んで帰ったって罰は当たるまい。そう思ってドアベルを鳴らした一ヶ月ほど前から、会社からの帰り道にあるこの喫茶店でコーヒー一杯とケーキ(その日の店長オススメ)を頼むのが緑間の日課だ。
だが今日は退社間際に次のプレゼンのメンバー紹介があったためいつもよりも来るのが遅くなってしまった。おかげでケーキは売り切れのようである。緑間は数分程メニューを眺めていたが、代わりにクレープを頼むことで妥協することに決めた。
軽やかなベルの音と共にドアを開け放つ。時刻は午後七時を迎えようとしており、夕食時故か店内はひどく混み合っていた。ざっと見渡す限りでは空席が見受けられず、今日はついていないと緑間は内心肩を落とす。クレープ、食べたかったのだよ。
しかし、おは朝の女神はしっかりと緑間に微笑んだようである。

「あちらの御席が空きましたのでどうぞ」

馴染みになったウェイターが案内してくれる後ろで緑間は小さくガッツポーズを決めた。これもおは朝の導きなのだよ。ラッキーアイテムありがとう。シルバーのペンダントは彼女の胸元で燦然たる輝きを放っている。
異変はその時起こった。
時計の針が七時を指した瞬間、一瞬だが緑間の視界が歪む。次いで襲った刺すような頭痛に強く目をつぶって頭を左右に振った。
こんな頭痛に見舞われるなど疲れているからに違いない。最近仕事に根を詰めすぎた自覚はあるところだし、帰ったら早く寝てしまおう。
待っていたって高尾との会話なんて無いに等しいのだから。
そう決めてまだ痛む頭を押さえながら目を開けた緑間は、は、と間抜けな声を上げて固まってしまった。
人がいない。
先程まで満席であった筈の店内が閑散としている。閑古鳥どころの話ではない。店員さえいないのだ。

「……い、一体何なのだよ……!?」

気付けば自分はしっかり席に座っていて、目の前にはコーヒーまで置かれている。ほのかに湯気を立てる煎れたてほやほやだ。
緑間は混乱して頭を抱えた。頼む、誰か仕事疲れが見せた白昼夢だと言ってくれ。白昼という時間帯ではないがそこはそれだ。この現象に説明がつくなら何だって良い。
混乱の極みに立たされたまま、とにかく一度店を出ようと腰を上げる。だがその動作は半分も行わないうちに中止される羽目になった。

「すみませんが、相席よろしいでしょうか?」

予想もしていなかった他人の声に緑間はびくりと肩を跳ね上げる。振り返って見れば杖をついた初老の男性がにこにこと笑いながらこちらを見ていた。若い頃はさぞかし整った顔をしていたのだろう。白髪混じりの髪も皺の寄った顔も年齢を感じさせない張りを湛えており、流されるように緑間は首を縦に振った。

「では失礼しますよ。店員さん、オムライス下さい。グリンピース抜きで」

よいしょ、と向かいに座った老人の注文を聞いて緑間の口に思わず笑みが乗る。それに気付いた老人が口を尖らせて文句を言った。

「仕方ないだろう、子供の頃からグリンピースだけは苦手なんだよ」
「すみません、つい」
「いやいや、構わないよ。君はグリンピースは好きかい?」
「ええ」
「あんなに苦いのに……食感だって何かべちょべちょしてるし……」

まさにグリンピースを嫌う子供の言い分だ。緑間は再び笑いそうになったが、初対面の人にそこまでするのは失礼かと思ってコーヒーに口をつけるだけに留めた。腹筋はぴくぴくしている。
ややあってグリンピース抜きのオムライスが運ばれてきて、老人は嬉しそうにスプーンを手にとった。
そして緑間を見て首を傾げる。

「君は食べないのかい、真音」
「私は家で夕飯を作りますから……」

普通に答えてから気付いた。

「……あの、私、名乗っていませんよね?どうして名前を知っているのですか?」

それも当然のように真音、と下の名前で呼んだのだ。高尾は相変わらず真ちゃん呼びだし友人たちは苗字で呼び合うのが普通なので、その名を呼ぶのは親類か赤司くらいなものだ。だから緑間のファーストネームなんてそうそう知れたものではないのに。
だがふわふわの卵を口に運んで幸せそうな表情をしていた老人は、ちょっと不思議そうな顔をして当然のように言った。

「当たり前だろう、僕たちは恋人同士なんだから」

―――その瞬間、滅多にない間抜け面で老人をガン見してしまった自分は悪くないと思う。
恋人同士?何それつまりストーカー?自慢じゃないが見た目だけはモデル級に整っている緑間は、中学高校と相当なストーカー被害に遭ってきていた。この老人の言い分はそんな連中のものと酷似している。
思わず身を引きかけた緑間に気付いたのか、老人は慌てて言葉を重ねた。

「違うんだよ、君が思っているようなことじゃないんだ。何て言えば良いんだろうね……うーん……」

真剣に考え込む老人の手元のスプーンからはオムライスが零れかけている。思わずハラハラしながら見守っていると、老人はスプーンを持っていない左手の指をぱちんと鳴らした。

「未来から来ました、君の夫――君からしたらまだ恋人、です」

意味が分からない。
普通だったらそう切り捨てるべき発言だ。さっさと席を立って、場合によっては近隣の病院への通報も辞さないだろう。
だが、

「…………そうなのか」

何故かなんてそんなのこっちが聞きたい。だが緑間は肯定の言葉を返し、黙ってコーヒーを飲み干した。
大丈夫、遠い未来でも自分と高尾は一緒にいる。ここのところ疑心暗鬼に囚われがちだった感情に光明が差したような気がした。
もっと詳しく話を聞こう、と顔を上げた瞬間再び激しい頭痛に襲われる。
ぐっと目をすがめた緑間の頭を撫で、老人は「また明日ね」と笑った。







それから緑間の日課は、午後七時に喫茶店を訪れて相席の老人と話をすることに変わった。
老人はいつでもグリンピース抜きのオムライスを頼み、緑間はクレープを頼む。味は気分によって様々だが大体いちごクリームだ。
そしてお互いそれを頬張りながら他愛のない話に興ずる。
緑間は未来の事象については一切の質問をしなかった。先が分かってしまっている人生なんて面白くもなんとも無い。状況はやや違うが赤司なんかが良い例だ。
だからその代わりに老人個人の思い出についてはよく尋ねた。仕事で辛かったのは何、楽しかったのは何、私といて幸せだと感じたことは何。老人は一つ一つ楽しそうに答え、緑間に似たような質問をする。仕事はうまくいっているか、同僚と仲は良いのか、今幸せか。そんなやり取りを繰り返すうちに、緑間は老人に既視感を覚えるようになっていった。
この人が高尾の未来の姿だと言うのならば当然のことなのかもしれない。だが違う。高尾とは何かが違うような気がして、けれど断言できるほどの確証があるわけではない。
最近高尾が会社に泊まり込みだと言って帰ってくることも少なくなっていたせいか、緑間は再び疑心暗鬼に囚われて唇を噛み締めた。





そして運命の瞬間は訪れる。









(→)





prev|next

back

「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -