◎ 【第183Q派生】孤独の王は兎を殺す夢を見るか
兎は嫌いなんだ、とその男は言った。
「見てるとね、殺したくなるくらい虫唾が走るんだよ」
「……何だ、唐突に」
あまりにも場違い過ぎる話題に、緑間は飛車を置いた指をぴたりと止める。
「何が言いたい」
「んー、だって、それ」
次の手――歩兵に指を乗せながら赤司が指す先には緑間の本日のラッキーアイテム、うさ吉(命名:青峰)が鎮座している。たまたま自宅にあった桃井が朝練のときに持ってきて、駅前の洋菓子店のケーキ三つと引き換えに緑間に譲り渡された代物だ。それからずっと緑間の隣にいる。
ああ、もしかして嫌いなものを一日中見せられて機嫌が悪いのか。緑間はそう思い当たってうさ吉を自分の背に隠した。
「それはすまなかったのだよ。もっと早く言ってもらえればお前の目に触れないようにしたのだが」
「ああ、別に構わないよ。お前が持っている分には、構わないんだ」
「は?」
飛車が歩兵に掠め取られる。
「だってお前も兎だからね」
緑間の手から角が転がり落ち、赤司の足元で止まる。
彼がそれに気付いて拾おうとする前に緑間は椅子を蹴倒して立ち上がった。
「お前、それほどまでに俺が嫌いだったのか!?」
「――えっ?」
赤司にしては珍しい素っ頓狂な声が上がったが、緑間は気にも留めない。
「いつからだ!?一年からか!?だとしたら俺はお前に相当の我慢を強いていたということになる。何故早く言わなかったのだよ。言ってくれたら俺も距離のとりようというものが――」
「ちょ、ちょっと待て緑間!落ち着け!ほらヒッヒッフー!」
「お前が落ち着け!」
青峰や黄瀬が聞いたら目を剥くようなコントじみたやり取りで緑間も少しクールダウンしたらしい。椅子に座り直し、やや怯えた目で赤司を見つめる。
「……俺が嫌いなら無理して付き合ってくれなくとも良いのだよ」
「だから、どうしてそうなるんだい」
赤司は盛大にため息をついた。
「俺が嫌いな人間と一緒にいるほど寛容な人間だと思うのか?」
「いやまったく」
「自分で聞いておいて何だが、お前も大概失礼だな緑間」
「事実だろう」
自分相手にここまではっきり言い切ることが出来て、何故妙な不安に捕われてしまうのか。そういう点で緑間の言動はいつも赤司の斜め上を行き、そんな彼が赤司は嫌いではない。
ちなみに赤司の嫌いではないは大好きの同意語にあたる。
「大丈夫、俺はお前が好きだよ緑間。――お前が俺の手の中の兎である限りは」
不満げながらも納得した緑間に向かって、赤司はそう微笑んだのだ。
今同じ笑みを、決勝戦に向かう赤司は浮かべている。そして言い放つのだ。
「僕は勝つよ」
ああ、この瞬間の絶望といったら!
緑間に目を伏せる以外の何ができたというのだろう。どんな言葉が思い付いたというのだろう。否、ただ彼は左手を震わせるしかなかった。その手で、隣に立つ仲間に縋り付くくらいしか言葉にならない悲しみを表す術は存在しなかったのだ。
(赤司、お前は俺「たち」が勝つとは言わないのだな)
分かりきった事実を紡ぐかのように彼は言う。彼一人が勝つのだと。周りにどれだけ人が集まろうとも、彼の世界は彼一人で完結してしまっているのだ。
それはすごく寂しくてむなしいことだと緑間は思う。仲間の温かさを知ってしまった今、一人で良いなんて口が裂けても言えない。緑間は秀徳というチームを愛している。
だから悲しかった。
赤司はこの温かさを知らない。知ろうともしていないのだ。孤高の王というべき、緑間の大切な友人は。
(ああ、願わくば)
赤司に届く言葉を持たない緑間は祈るしかない。
相棒の肩に顔を埋め、先輩たちに小突かれながらする祈りではないかもしれないけれど。
(そのプライドを失った時に、お前が隣にいる人間の温かさに気づきますように)
そして少しで良い。
秀徳高校の緑間真太郎ではなく、お前の友人である俺を思い出してくれますように。
ひそやかな願いは、リノリウムの床に跳ねて消えて行った。
相棒も先輩も振り切って洛山のベンチへ向かうと、赤司が一人で座っていた。
「赤司」
思ったよりも穏やかな声が出たことに緑間自身驚く。その声に反応してのろのろと顔を上げた赤司は、初めて留守番を任された子供のように見えなくもなかった。
「ねえ真太郎」
ぽつりと声が響く。
「次は僕たち、絶対に勝つよ」
くしゃりと歪んだ笑顔に、感じたのはどうしようもない愛しさだった。もしかしたら先輩たちも高尾もこんな気持ちで自分を見ていたのかもしれない。この不器用な、泣き顔を。
緑間はほんの少し口角を吊り上げる。
ああ、もう大丈夫だ。
「お前はいつまでここにいる気なのだよ。お前の仲間が待ちくたびれているだろうから、早く行ってやれ」
「分かってるさ。ただ、親愛なる友人の顔が見たくてね。――真太郎」
赤司が緑間の左手をとった。指先を緩く掴んで奴は宣う。
「僕が兎嫌いな理由、教えてあげる」
そのまま緑間の手を勢い良く引き、一瞬自分の腕の中に閉じ込めた親友に向かって赤司は囁いた。
「―――」
洛山の控室に去っていく背中を見つめ、緑間は呆れたようにため息を零した。
まったく、喰えない男だ。
(同族嫌悪さ、と奴は笑った)
一番赤司のことを心配してるのはきっと緑間なんだろうね
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