落花

(おとされたはな)





「こいつを忘れてたぜ」




ジープを走らせ西に向かっていた一行は、突然聞こえてきた声に眉を寄せた。少し前に聞いた、インパクトの有りすぎた人物の声にジープを止め訝しげな視線を向けながら空を仰いだ。一行の周りを囲う様に射した一筋の光は、あの時の悟空の金枷を嵌めたものに似ている。その中から一行目掛けて落ちてきた何かが、三蔵の頭に直撃した。







観世音の私地にある蓮池で悠々と揺蕩い微睡みに身を委ねていたが、不穏な気配と観世音の言葉に意識は一気に覚醒する。嫌な予感しかしない為に慌てて蓮池から出ようとするものの、それよりも早く光に包まれ息を詰めた。足元が無くなった後にやって来た浮遊感は内蔵が浮く感覚と気持ち悪さをもたらし自然と眉が寄る。そのような中、何も落とす必要は無いだろう、と悠長に考えていられるくらいには肝が据わったのだろう。一瞬か、長い時間か、認識するよりも先に何かの上に落ち、衝撃に小さな声を漏らす。いくら軽いとは言えかなりの高さから落ちれば衝撃は増すだろうて、自分の声とは他に凄い音が聞こえた気がした。




「俺の代わりにそいつを貸してやる。大事にしろよ?」

「聞いてないよ……菩薩」

「今言った。上手くやれよ、翠蓮」

「無責任な……」




いつもと変わらない不遜な態度の観世音に小さく抗議してみるも適当に返され光は途切れてしまう。完全に切られた繋がりに溜息を吐いていれば、すぐ傍で物凄く不機嫌な声が聞こえ、視線を向けた先には煌く金糸の髪と深い紫の双眸があった。盛大に寄せられた眉間の皺に、自分が大変な状況にいることに気付くことが出来た。どうやら彼の上に落ちてしまったらしく、他の3人が腹を抱えて笑っている。慌てて上から退き、頭を下げ謝罪を述べれど舌打ちが返されるだけ。昔と変わらない見慣れた表情をする彼だが、やはり纏う雰囲気は記憶の中の彼とは異なる。それぞれの面影が残る中、誰とは言わないがとある人にはそれはもう強い想いがあるというもので、正直に言ってしまえば会いたく無かったが為に無意識に視線が逸れた。思い出の中の彼と生きていたかったのだ。違う人間だと分かっていても彼と同じ魂が、胸を締め付ける。今の彼に何があったのか、過去も何もかも上から見ていたが故に全てを知る自分を彼の元に落とした観世音の真意を図る事は敵わない。いつまでも立ち止まっているな、とでも言いたいのか。しかし自分はまだ、あの人に縋りながらでなければ立っていられないのだ。それはきっとこれからも変わらないだろう。何故なら、あの人と同じ魂を持つ目の前の彼が、あの人と同じように自分を想ってくれる事など有り得ないのだから。新しい一歩を踏み出せる強さは、自分の中に存在しない。




「さんぞー、どうすんの?」

「俺が知るか」

「けれど置いていくわけにはいきませんよ。…貴女、お名前は?」

「翠蓮、です」




好奇の視線に晒され居心地の悪さに身を竦めながら彼らを見る。昔の彼らを思い出させ懐かしく思う反面、全く違う空気に微かな戸惑いは隠せない。人当たりのいい笑顔を向けてくる八戒に曖昧な笑みを返し直ぐに目を逸らした。見ていたくなかった。違う人だと、あの人では無いと分かっていても縋ってしまいそうになる。あの人とは違う色の、けれど同じ柔らかな湖面色の双眸から逃げ、視線を三蔵へと移す。煙草を吹かし我関せずを貫き通す彼を、同行に対しての肯定の意と捉え、今一度頭を下げれば小さく鼻で笑った。何と気位の高い人なのだろうか、と思いつつジープを撫でる。あの頃はあまり接したことは無かったが、あの事件の後は会う機会が増え話をしていた為にまた会えて嬉しく思う。随分と可愛らしい姿になってしまっているみたい、と微かに笑みを零してから備え付けられているタイヤに腰を下ろす。応える様に車体を揺らしたジープをもう一度撫でた。




「色々と至らないと思いますが、よろしくお願いします」




軽い動作でタイヤに座る女は人でも妖怪でもない空気を纏い、制御していても伝わる神気は肌を刺激する。観世音がこの女を遣わせた真意を知る事は出来ず、もしかしたら何も考えていない可能性もあるが、それすらも知るのは敵わないだろう。何がどうであれ足手纏いにさえならなければどうでも良いと云うのが本音だった。観世音の傍にいたのだから旅の目的を知らない、などという馬鹿なことはないだろうて、それなりに自己防衛が出来なければ困るのは自分だということも分かっている筈だ。目が合えば静かに微笑むだけの女に何かを言う気は起きない。下界では見ることのない淡く透ける白緑の髪を持ち、悟空に似た金の瞳に薄ら帯びる暗い色が微笑みとのアンバランスさを主張している。到底、人間とは思えず、かと言って妖怪では有り得ない清らか過ぎる空気に、女には異質と言った言葉が似合うだろう、と新しい煙草を取り出した三蔵は火を点けた。今までは無かった甘い花の香りは何をせずとも女から香るものであり、慣れぬそれも放っておけば嫌でも慣らされるに違いない。悟空の質問攻めに遭う様子を横目見ながらジープを出すように告げ、煙を吐いた。下僕が増えたと喜べば良い、そう思う三蔵が微かに唇の端を釣り上げる。




「女性が増えて華やかに、賑やかになりますねぇ」

「…言ってろ」




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