優しく生かされている

本の雪崩に巻き込まれた捲簾は、それの張本人であり今後の上官になる天蓬に怪訝な視線を向けた。草臥れたシャツと薄汚れた白衣のその人が優秀な元帥と言われ誰が信じるだろうか。ずれた眼鏡を直し印鑑を探し机を漁る後姿はどう見ても頼りない普通の青年である。普通の、というのは部屋の汚さを除いた話であるのは言うまでも無い。書類を片手に扉に背を預け天蓬を見ていた捲簾だったが、煙草の臭いの篭った部屋から香る微かな花の香りに鼻を鳴らした。元を辿れば、部屋の隅に辛うじて確保された一角に女性が丸くなっている。淡い白緑色の髪をしたそれに驚き目を見張った捲簾に、印鑑探しに勤しむ天蓬が気付くことはない。その様な天蓬に断ることなく彼女の傍に膝を付いた捲簾がその口元へと手を当て呼吸を確認し、規則正しいそれに安堵の息を吐いた。




(にしても、イイご趣味だこと…)




人畜無害な綺麗な顔をしてやることはやっているのか、頭の良い奴の考えは何処へ行っても分からないものだ、と肩を竦めた捲簾は眉間に皺を寄せる。悠長に机を探り続けている天蓬を横目見、それからこのまま床で寝るのは躊躇われる彼女を比較的まともなソファに運ぼうと肩に触れた。瞬間、捲簾の頬を何かが掠め、膨れ上がった気に尻餅をつく。まるで触れるな、とでも言うかのように渦巻く花弁に唖然とする捲簾に、事態に気付いた天蓬が慌てて声を張り上げた。




「止めなさい、翠蓮!」


「や…天蓬……天蓬!」


「僕はここです。さあ、おいで」




大きな金眼に涙をたっぷりと溜めながら必死に名前を呼ぶ彼女に天蓬が掛ける声は優しく、状況の掴めない捲簾にはむず痒いものだった。ふわり、と花弁が風に乗るかのように軽く、彼の元まで飛んだ彼女を抱き締め背を叩きあやす姿に何度か瞬いた捲簾が口を挟む間もなく交わされる会話に何とも言えぬ顔をせざるを得ない。




「天蓬じゃなかった…」


「驚かせてすみません」


「天蓬…天蓬…」


「もう大丈夫ですよ、翠蓮」




細い肩は恐怖に震え、白くなるまでに握られた指が痛々しい。まずいことをした、と内心少し焦る捲簾に目を向けた天蓬は、また飛ばされるのかと苦々しい顔をする彼の懸念とは裏腹に申し訳なさそうな笑みで謝罪を述べた。拍子抜けと言っても良い、平静を取り戻した捲簾は乾いた笑いを零し立ち上がる。どうということは無い、と首を横に振り、天蓬にしがみ付き離れようとしない彼女に視線を合わせるべく身を屈めた。なるべく優しい声を心掛け、天蓬が呼んでいた彼女の名前を口にする。捲簾を見ること無く胸元に縋り付いていた彼女だったが、涙で濡れた双眸を恐る恐る彼に向けた。鮮やかな金の瞳は潤み艶を帯びていた。




「悪かったな、驚かせて」


「……ぅん」


「俺は捲簾。これから天蓬元帥のとこに世話になるんだ、よろしくな」


「……けん、れん」


「彼女は観世音菩薩から預かっているんです」


「菩薩からぁ?」


「ええ。こう見えて、教育係なんです」




そういって笑う天蓬に捲簾は眉を顰め目の前の彼女に視線を戻す。先程までの怯えた色の無い目を向けてはいるが天蓬から離れる気配は全く無い。随分と懐かれている様子に瞬いた捲簾は自身の顎に手をやり、彼女をまじまじと見詰める。見た目は自分よりも少し下くらいではあるが中身はそれよりも下か、何も知らぬ子供とも言える彼女の頭を撫でた捲簾が安心させようと笑った。少しは警戒心を解いてくれるか、と思っての行動だったが、まだ慣れないのか肩を竦め天蓬の胸元に顔を埋めてしまう。嫌々、と首を横に振り白衣の中に潜り込む彼女に天蓬は何のてらいもなく服を広げその中に招いた。




「すみません。彼女はまだ他の人に会ったことが無くて…」


「は?」


「僕と観世音、それと二郎神以外と接触が無いんです」


「とんだ箱入りだな、こりゃ」


「懐きやすいので、直ぐに慣れると思いますけど…」




おどけた様子をしてみせた捲簾ではあるが、内心では訝しげな視線を投げていた。いくら菩薩の命とは言えここまで入れ込み面倒を見る性格とは思えない天蓬がこうも溺愛しているのは何か裏があっての事なのだろうか、と捲簾は口を噤んだまま二人に目を向ける。白衣の中に抱え込んだ彼女の背を撫でながら煙草に火を点けた天蓬は、捲簾の視線に込められたもの気付いているのか否か、曖昧な笑みで煙を吐いた。微かにバニラの香る煙と、彼女本人が醸し出す甘い花の匂いがアンバランスな二人を表している様で、けれど当人達にとっては当たり前のことであると言われている様で、訳が分からない気持ちになりながら捲簾は頭を掻いた。



(メンドーなとこに来ちまったぜ…)





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