いつまでも私のすべて
天蓬のところに来てから毎日が楽しくて、嬉しくて幸せだった。お仕事で外に行っている時以外はずっと傍に居てくれて、構ってくれる。色んな事を教えてくれるし、優しく撫でてくれて、しっかりと抱き締めてくれる。温かい瞳で見詰めて微笑んでくれて、名前を呼んでくれる。彼から与えられるもの全てが嬉しくて、欲しくて、落とさないように一生懸命に受け止めて、彼に満たしてもらう。良く出来ましたね、って褒めてもらうのが好きで、抱き着けば優しくキスをしてくれた。身体を繋げる行為もただ只管に幸せで、いつもより少しだけ掠れた声にどきどきさせられて、胸が甘く苦しくなるのだ。一緒にお風呂に入って寝てしまう時間も、本を読む天蓬の膝で戯れる時間も、何もかも全部が宝物。ずっと傍に居てくれて、想いを注いでくれた。これからもずっと傍に居て欲しかった。名前を呼んで欲しかった。けれど、そんな彼が今はもういない。ずっと、会えない。
体調を崩してから、天蓬は時間の有る限り会いに来てくれた。ずっと抱き締めて頭を撫ででくれた。起き上がれない私の隣に同じように寝転んで、視線を合わせてキスをくれた。体調が戻ったらまた一緒に暮らそう、って。沢山遊んで本を読んで、お風呂に入ろうって。抱き締めて寝てくれる、ってそう言って笑った。
「必ず迎えに来ます。約束しましょう」
「……うん」
「僕は、翠蓮が一等大切です」
「わたしも、天蓬だけ…」
そう言って、必ず迎えに来るから待っていてと約束して、指切りの代わりに長い長いキスをしてから飛び切りの笑顔を浮かべた。天蓬が嘘を吐くなんて思う筈が無いから、必ず来てくれると信じて、また一緒にいられるのを楽しみに、私も出来る限りの笑顔を作ったのだ。身体は痛くて、頭も重く、彼が好きだと言ってくれた声も上手く出なくて酷く苦しかったけれど、きっとまた良くなって天蓬と一緒にいられる事を考えたら頑張れた。いくらでも耐えようと思えた。その日は、いつもより遅くまで傍に居てくれた。
あの日から天蓬は会いに来てくれなくなった。仕事で下界に行っているのかもしれない、とそう思うことにした。きっとまた来てくれる。また数日して天界が騒がしくなり、観世音の言い付け通り部屋のベッドで大人しくしていた。良い子でいたら、天蓬は好きでいてくれる。けれどその天蓬はその日も来ない。窓から見える桜が次々に散っていった。そうして、最後には全部散ってしまった。これではもう、天蓬達とお花見が出来ないから、また咲いてくれると良いな。今日も部屋に独りきりだ。
体調は日が経つにつれて順調に回復し、歩き回れるまでにはなれた。もう、身体は痛くないし、声も出る。いつでも、彼の名前を呼べる。仕事の忙しい観世音はほんの少し顔を見せては直ぐに行ってしまう。会うたびに悲しそうな表情をするのが不思議だったし、心配だった。窓から見える、枝だけになってしまった桜は私を心苦しくする。何かを伝えようとする気配に窓を開けたくなるが、外の空気はまだ良くない、観世音が言うからそれは叶わない。何もない部屋に独りでいるのは酷く退屈だったけれど、それよりも寂しさが優った。もうずっと見ていない天蓬に逢いたくて、早く迎えに来てほしい、と強く想い名前を呼んだ。ずっとずっと、呼んだけれど、来てくれることは無かった。部屋に独りきり。
ある日、観世音が部屋に来て、外に出ても良いと言った。やっと外に出れると緩む頬を押さえ笑う私を見詰める観世音の表情は固く、眉間には皺が寄っていた。浮かれる私が、それに気付くことは無い。
「天蓬は?」
「………」
「天蓬は、いないの?」
「ああ」
「お仕事?」
「いや」
「でも、来てくれるよね」
「あいつは、二度と来ない」
逢いたくて仕方のない彼の名前を口にする。良くなったのだから、また一緒に暮らせるのだと、だから早く迎えにきて、と。そう思い、言っても観世音の答えは冷たいものだった。何の躊躇いもなく言い切る観世音に首を横に振る。嘘だと、言葉無しに訴えるが観世音は黙って視線を逸らし、目を伏せてしまう。観世音の言葉はいつも正しいものであり、嘘を言ったことは無かった。それ故に聞こえた言葉が酷く乱暴に突き刺さった気がした。黙する私に観世音は視線を戻し、そっと口を開く。その言葉は、私の心を抉るには充分過ぎるものだった。
「天蓬は死んだ」
言葉が痛い。目の前が真っ白になって上手く息が出来ない。観世音が何を言っているのか分からなくて、少し、後ずさった。
死ぬと云うことは悲しいことだと前に天蓬が教えてくれた。触れない、声が聞けない。ずっと会えなくなって、傍にいられなくなるのだと言っていたのを覚えている。観世音は天蓬が死んだと、はっきり言った。それは、彼にもう会えないと云うことだ。頭の中にその言葉がリフレインする。会えない、という事実だけが脳内を支配して声が出ない。やっと出たそれも文字の羅列でしかなく、言葉にはならなかった。何が何だか上手く理解が出来ず、観世音に詰め寄った。
「嘘!天蓬はくる!」
「来ない」
「一緒にいようって、約束した!」
「天蓬は逢いに来ない」
「ちがう!ちがう!」
「違わねぇ!」
いくら縋り付けど、私の言葉が肯定される事は無かった。今までにない強い声を掛けられ、驚愕の色を目に浮かべながら身を竦める。伸ばされる手に恐怖を覚え、脱兎の如く観世音の横をすり抜け部屋を飛び出し、天蓬の部屋へと走った。部屋に行けば彼に逢える。大きな腕で優しく抱き締めて、大丈夫だと囁いて欲しい。天蓬に、逢いたい。
「…天蓬?」
肩で息をしながらたどり着いた部屋は大きく壊され、所々が焼け焦げ見るも無残な状態だった。人の気配のしない荒れ果てた室内は恐ろしい程に静かだ。踏み入れば、散らばった本が足に触る。割れた窓から吹き込む風が、肌を撫でた。