たとえこの幸せの先に

少しの間姿を見せなかった捲簾が酷く傷だらけで戻ってきたその日、事の全てを知った天蓬は無言のまま大切な本を数冊、力のまま破り机へと叩き付けた。触れることを許さない空気に身を縮め、私はただ只管に黙っていた。あっけらかんとした様子で何事も無かったかの様に顔を見せた捲簾に天蓬が青筋を立てたのを私は見逃さず、少しの恐怖にタオルケットに包まり外界からの音を遮る。中々に沸点の低い彼がこの状況に耐え切れる筈も無く、纏う空気は冷たく刺さるようであり、色の無い瞳には憤慨がありありと見て取れた。いつもは優しく温かい声も、今はただ冷たく吐き出されるだけ。



治療をしている間に悟空を呼んでくる様に言われ、脱兎の如く部屋を出て、金蝉の部屋への慣れた道をひた走る。廊下に漂う重苦しい空気に呼吸が上手くいかず、息は直ぐに上がった。嫌な予感がして、何か不穏な事が起きるのではないかと胸がざわつく。一人でいるのが怖くて、上がる息のまま悟空に抱き付いた。驚くことも無く抱きしめ返してくれて、応と笑った彼を連れて足早に天蓬の部屋に戻る。荒治療だったのか、包帯の巻かれた捲簾が床に伸びていた。




「翠蓮、少し出掛けてきますので捲簾を見てて下さいね」


「う、ん…天蓬」


「はい?」


「嫌な感じがする…行かないで」


「大丈夫ですよ」




キスを一つ。それだけして部屋を出て行ってしまった天蓬を見詰める。私が何と言っても彼は絶対に聞き入れてくれないだろう。机の上の無残な本がそれを物語っている。椅子に縛り付けられたままの捲簾が悟空に天蓬の後を追うように言い、一瞬だけ視線を机に向けた。追わなければいけない意味の分からない悟空だったが、素直に了承し飛び出していく。行動力のある彼の方が適任だと云うのは分かっているから、何も言わず黙したまま小さな背中を見送った。悟空がいったからといって何事も無しに終わるなんてのは有り得ないだろう。それでも、天蓬を一人にさせるよりはよっぽど良い。ああなってしまった天蓬は酷く挑発的になってしまうのだ。胸のざわめきにそこを押さえながら、元の場所、タオルケットの放られた上に座り込む。膝を抱えているのに気付いた捲簾に呼ばれ顔を上げれば、こちらに来いと目で言われる。少しだけ目尻の下げられた優しい眼差しに吸い寄せられるように近寄り、傷に障らぬよう気を付けながらその膝に乗り上げた。そっと身体に寄り掛かり首筋に頬を寄せれば、手の使えない彼は頭に頬を押し付けることで応えてくれる。ただ黙ったまま優しく、けれどしっかりと押し当てられるそれに目を閉じ息を吐いた。温かくて、さっきよりも少し安心する。




「これ解いてくれよ」


「それはだめ」


「天蓬の言い付けは絶対、だもんな」


「うん」


「良い教育してるわ、あいつ」




身動きの取れないながらも肩を竦める捲簾から少し離れ、見詰めながら首を傾げる。何か可笑しな事を言ったのだろうか、苦笑する彼を真正面から視界に入れ数度瞬いてから、またその肩に頭を預けた。天蓬とは違う身体つき、細いながらも筋肉がしっかりとついているからか、少し硬く、だからだろうか確実な安心感がある。無数の傷の残る捲簾は、どうということも無いとでも言う様子でこちらの頭に頬をくっつけてきた。慰めてあやすみたいな行為は、一人でいる時に彼がしてくれていたことに今気付いた。いつもこうして、捲簾は気に掛けてくれる。




「心配か」


「天蓬、すぐプッツンするから」


「ははっ、違いねぇ」


「怪我して帰ってくるね、きっと」


「そんときゃ消毒液ぶっ掛けてやれ」


「ばか、って?」


「そゆこと」



今頃の天蓬を想像して二人で盛大な溜め息を吐く。悟空が上手く気を逸らしてくれていると良いのだけれど、と追っていった小さな背中を思い出しながら目の前の肩に額を擦り付ける。気を抜いている普段であればこのまま眠ってしまうだろうが、今は嫌な程に意識がはっきりとしていた。彼が帰って来なければおちおち眠れもしない。早く帰ってきてほしくて、名前を呼んだ。









暫くそうしていれば、明るい声が近くなり、無遠慮に扉が開け放たれる。刺々しく冷たい雰囲気の抜けた天蓬はいつもの様に笑顔で捲簾を見た。




「僕の翠蓮に何をしているんですか貴方は」


「お前な……」


「誑かされてはいけませんよ。おいで、翠蓮」




捲簾の戒めを解くように悟空に言いつけた天蓬は両手を広げ微笑み私を呼んだ。
勢い良くその腕に飛び込み強く抱きつく。殴られた跡のある彼の頬に手を伸ばし労わるように何度も撫でた。眉を寄せ天蓬を見上げれば、誤魔化すみたく曖昧な表情を作り、大きな手で私の両目を覆った。それから軽いキスをする。




「心配を掛けてすみません。少し、お休みなさい」


「まだ、だめ…手当てしないと…」


「僕は大丈夫。おやすみ、翠蓮」




あんなにもはっきりとしていた意識の筈が、天蓬の腕に抱かれ、そっと囁かれて優しく口付けられれば容易くぼんやりとしてくる。心からの安心がそうさせるのかもしれない。天蓬に凭れ掛かり胸に頬を押し付け安堵の息を吐いた。ゆっくりと髪を梳く天蓬が捲簾に何か言っている気がする。心地の良い感触に目を伏せているうちに抱き上げられ、ソファへと運ばれてしまった。それを大人しく見ていた悟空が、直ぐ傍に肘をついて太陽みたいに笑った。じゃれつく彼の頭を撫でて微笑めば、その笑顔はより一層輝く。




「ちゃんと天ちゃん助けたかんな!」


「うん。ありがと、悟空」


「へへっ。安心して寝ろよ!」


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