ずっと微笑んでいてね
悲惨な状態になっていた天蓬の部屋を片付けながら、彼と金蝉の会話に耳を傾ける。難しい話のため内容は良く分からないが、二人の表情や声色から読み取れる空気に、あまり好ましくないことだと云うのは理解出来た。そこまで空気が読めない訳ではないので黙ったまま抱えた本を棚に仕舞っていく。いつもなら天蓬が悟空を褒めて微笑むのに好い気がせずさり気に割って入るが、今はそれすらも気にならなかった。重い空気に息が詰まりそうだ。動いていた方が気も紛れ少しは楽だと感じた為、ただ只管に片付けに没頭する。こんな時、捲簾が居てくれたら、なんてここ数日姿を見ていない彼を思った。
「翠蓮………翠蓮?」
「え?…あ、何?」
「何かありましたか?」
「何もないよ」
「嘘、ですね。僕には言えないことですか?」
緩く引き寄せられ大人しく天蓬に身を委ねれば優しく背中を撫でられる。白衣の中に納まってしまえば肺いっぱいに彼の匂いが充満して酷く落ち着いた。天蓬の声は先程までの真剣味を帯びたものではないが、代わりに少しだけ寂しそうなものに聞こえる。いつの間にか部屋には二人しかおらず、金蝉達が帰ったことすら気付けなかったらしい。それ程までに話を聞かず周りに気付かずに動く自分が可笑しいことに天蓬は気付かない訳が無く、それ故に心配を掛けてしまっていた。金蝉との会話から窺えるように最近は色々と忙しい彼は私だけに構っているわけにはいかない。余計な負担を掛けてはなるまい、と天蓬を見上げて笑顔を作る。高い立場にいる天蓬は沢山の難しい事を抱えているし、彼の下にいる人達も彼を慕い頼っているため、そちらにも気を配らなくてはいけないのだ。天蓬を求めているのは自分だけでは無いのだから、一人独占してはいけない。けれど、今だけ、二人でいるこの時間だけは、少しで良いからこうして甘えていたかった。私だけを見てくれる天蓬でいてほしくて、シャツを掴んだ。
「もう平気だよ。ありがとう」
「翠蓮は大人になりましたねぇ」
「そんなこと…ないよ」
「ありますよ。少し寂しいです、なんて」
距離を置こうとする彼女にそう言って微笑めば直ぐに視線を合わせてきた。不安に揺れる金眼が痛々しく、彼女は何かを我慢している事などすぐさま把握出来る。酷い甘えたがりでスキンシップの多い彼女がこうもあっさりと離れていくのは心寂しいものがあった。こちらの立場や状況を等を理解してきた為か、自分が甘えて構ってもらうことに後ろめたさを感じているのだろう。それで自分に、周りの人々に迷惑を掛けているのだと思い込んでいる。様々な事を覚え沢山の知識を吸収することは良いことであり褒めるべきではあるが、何も言わず一人で抱え込み自己完結しようとするのは頂けない。彼女の全てを教えて、話してほしいのだ。特別な彼女だからこそ。
控えめに白衣の裾を掴むいじらしい姿に一つ微笑み、離れてしまった華奢な身体を抱き寄せる。隙間無く抱き締め、そっと顎に手をかけ上を向かせれば、微かに赤く染まった頬がよく見えた。潤み揺れる金の双眸に唇を寄せ、そのまま彼女の唇まで滑らす。柔らかく弾力のあるそこを数度食み、閉じられた唇を舐め上げた。その際に薄らと開いたそこに歯を立て、小さく揺れた肩に目を細めながら彼女の咥内に舌を差し込んだ。空気を読み取ったのか、シャツを掴み甘受する彼女の震える身体を撫でてやりながらも、戸惑う舌先を思い切り吸い上げた。思わずといった様子で声を漏らした彼女は、瞳をとろりとさせながら、応えようと背中に手を回してくる。爪先立つその背を支え、無防備な太股に手を這わせた。
「んっ……なに、」
「そろそろ良いかと思いましてね」
「なに、するの?」
「特別なこと、ですよ」
熱に浮かされた様にぼんやりとした瞳で見上げてくる彼女を抱き上げ、白い首筋へと跡を残す。仰け反ったが為に露になる細い喉にもう一度噛み付いた。決して逆らうことのない彼女は素直に腕を回し、身を屈めてキスを強請る仕草は教え込んだ通りどころかそれ以上だ。小奇麗にされたソファに寝かせた彼女に覆い被さり、首に回された腕に跡を残して薄ら笑った。
流石に寝室を使えるようにするべきか、と自身の上で静かに眠る彼女の髪を梳きながら、銜えていた煙草を灰皿に押し付ける。その僅かな振動で意識が浮上したらしい彼女が小さく名前を呼ぶのに目尻を擽ることで応え、軽い身体を引き上げた。戯れに唇を重ね、擽ったそうに身を捩る彼女は格段に艶めいて見える。
「気分はどうですか」
「平気……でもなんか、ふわふわする」
「ふわふわ、ですか」
「天蓬がくれるの、気持ち良いし、好き」
うっとりとした表情で首に擦り寄ってくる彼女に敵う気がしない。なんて殺し文句だ、と額を押さえ天井を仰ぐ。それを不思議に思ったのか、覗き込んできた彼女を手の隙間から盗み見て、首を傾げまるっきり油断しているその唇を奪い身体を入れ替える。そんなにイイのなら好きなだけくれてやろうじゃないか。