貴方へのひとつの願い

退屈な催し物を煩わしく思っているのは一人だけではなかった。周りに見向きもせず隣で船を漕ぐ愛娘の頭を撫でる観世音は欠伸を噛み殺す。二郎神の小言を右から左へと聞き流し、その目を彼女へと向けた。仕事が忙しく中々会うことの出来なかった彼女は暫く見ないうちに確実にすっかりと天蓬好みに育っている様に、預ける人物を間違えたかと今更ながらに観世音は首を捻る。しかし、当の本人達が幸せでそれで良いのなら構うことはないか、と一人ごちた。女性の顔をするようになった彼女は天蓬の御陰だろうて、その点は褒めてやるべきだ。艶を帯びた横顔の彼女を見遣り不敵に微笑む観世音に、傍で控える二郎神は胃の痛む思いに腹部を摩った。また何か良からぬ事を企んでいるであろう上司と、それを知ることなく微睡むその娘に目をやり、呆れ顔で首を横に振る。




「俺の娘をイイ女にした礼はしねぇとな…」


「顔が笑っておりませぬぞ」




窘められる観世音はそれすらも聞く気が無いのか、頬杖をつき下を見下ろす。丁度良く騒がしくなった様子に微かに口角を上げた。察するに喧嘩だろう、見慣れた人物達が騒ぎの中心にいる。予想していたことに笑みを深くした観世音は身を乗り出し下へと意識を向ける。至極楽しそうな面持ちに眉間の皺を増やした二郎神は溜め息を溢してから肩を竦めて首を横に振った。喧騒に目を覚ましたらしい彼女も観世音を真似て身を乗り出したが、直ぐに頬を膨らませて不機嫌そうな顔で観世音に張り付く。意図することに気付いた観世音は彼女を抱え席を立った。咎める二郎神に適当な言い訳を告げ、不貞腐れる彼女の背を撫で微笑んだ。












広場での騒ぎから抜け出し金蝉の私室まで着いてきたは良いが、何かを忘れている気がして天蓬は首を傾げた。悟空とはしゃぐ捲簾を横目見た金蝉は、微動だにしない天蓬に訝しげな視線を送り、次いで声を掛けようとするも、それよりも早く天蓬の方が口を開く。顔を顰めて咎めれどマイペースな天蓬は聞いてすらいないのか、いつもより少しだけ慌てた様子で部屋を出ようとドアノブに手を掛けたが、ドアの前の気配に数歩後ずさった。




「おい天蓬…お姫様はご機嫌ナナメだぜ」


「ですよね…」




突然訪ねてきた観世音に驚きもせず頬を掻く天蓬は苦笑しながら、観世音の小脇に抱えられたのに手を伸ばした。天蓬よりも少し下くらいだろうか、見るからに不機嫌そうな彼女を大事そうに抱える天蓬を見ながら金蝉は思う。不思議な色の髪に飾られた蓮も同様に有り得ない色をしている。また面倒ごとか、と顰め面を崩さぬ金蝉とは真逆に、気になって仕方の無い悟空は物珍しそうな視線を捲簾の背後から投げ掛けていた。彼女を渡した観世音は、もう此処に用は無いと早々に退散し、静かな部屋には金蝉の聞きなれない天蓬の甘ったるい声だけがする。事実を知っている捲簾だけは、慣れたように笑みを湛えている。




「翠蓮」


「………」


「ついうっかり忘れてしまって…すみません」


「…ばかー」


「許してください、翠蓮」




誰かこいつらを何処か違う場所にやってくれ、というのが金蝉の本音だった。何が楽しくてこのようなもの見せられ聞かされなければならないのか、と眉間の皺を増やす金蝉を宥めつつも、捲簾は彼女の頭を梳く様に撫でる。まるで親子にも見える3人に、机に肘をついた金蝉が溜め息を吐いた。もう好きにしろ、と内心で文句を述べながら。




「なーなー天ちゃん、そいつ誰?」


「彼女は翠蓮。観世音菩薩の娘さんです」


「……は?」


「翠蓮ってゆーのか!俺、悟空!!」




大きく手を上げ飛び跳ねる悟空を抑えながら驚愕の声を上げた金蝉に、天蓬はいつもの様に笑ってみせる。本人からではなく知人から聞かされた事実に腹を立てているのか、それとも面倒事が自分に回って来なかった事への嬉しさからか、拳を作り肩を震わせる金蝉を見遣る捲簾は、話を聞いてもらえずしょげる悟空の頭を撫でてやりながら煙草に火を点けた。ちらり、と視線を送る悟空に気付いた彼女が不思議そうに首を傾げ興味を示しているみたいだったが、嬉しそうに笑顔を向ける悟空に驚き天蓬の白衣の中に隠れてしまった。そんな彼女の背を摩ってやり、天蓬は金蝉を見る。




「教育係として僕が面倒を見ているんです」


「だとしても随分とご執心だな」


「愛おしくて仕方ないんです」


「何処までが本気だか…」


「最初から最後まで、ですかね」




そう言ったものの、天蓬の彼女を見詰める目は何よりも雄弁に彼女への想いを語り、言葉はいらないというのは金蝉にも見て取れた。軍事オタクであった天蓬をここまで懐柔させ気を向けさせる彼女は一体何者だと思えど、観世音絡みであれば何でも有りなのは甥である金蝉が一番良くわかっていた。幾度と無くその被害を被ってきた体験談であるのだから。

天蓬に抱かれている事により機嫌の回復してきたらしい彼女の視線を感じながら書類に手を伸ばした金蝉だったが、この面子の中で静かに書類を片付けることなど出来る筈も無く、彼が乗せられるまであと少し。




「綺麗な人…」


「悟空のお父さんですよ」


「誰がだ!!」




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