誰がわかるというのか
※途中からモブ視点
撮影が終了すると同時に帰宅する、と言っても良いほどに普段からあっさりとスタジオを出る綺だったが、新作の話が思いのほか盛り上がり常よりも遅い時間まで残っていた。未成年を交えていることもあり解散せざるを得ない綺は、後ろ髪を引かれながらも外に出る。肌寒さのはの字も感じられない気温は夏の到来を知らせた。少し前までは薄桃色の花が舞っていたが気付けば跡形もなく、代わりに青々とした葉が茂り、湿度を孕んだ風に揺れている。
通り過ぎた、排気ガスを含んだ重い風が綺の長い髪を乱雑に掻き混ぜた。絡む髪を手櫛で整える綺のポケットに入れられていた端末が二度震える。夜分だとしても遠慮する友人は少なく、人よりも多く通知の来る綺はさして気にした様子もなく端末を引き摺りだした。派手なラメがふんだんに散りばめられたカバーはつい先日買い替えたばかりのお気に入りだ。光を反射して眩く煌めく様は見ている気の気分を上げるには十分である。派手だと言われたが駄目とは言われなかったことを思い出し、重ねて機嫌を良くした綺が画面に目を落とす。丁度良く考えていた人物の名前が表示され、綺は思わず瞬き、小さな声を零す。何年経とうとも連絡を入れる頻度は綺からが大半を占めているため、相手からというのはどれだけ経てども珍しい。何かあったのかと開いた画面に表示された簡素な四文字に首を傾げた綺の頭には、送る人間を間違えている可能性が浮かび上がる。隊員の誰かの直ぐ近くに綺の名前があったのかもしれない。返信を見て気付くだろうか、同じく手短にどうしたのか問う。時間を経たず返ってきたものは綺の考えとは裏腹に、相手を間違えていないことを告げていた。どこかの店のアドレスと、最初に送られてきたものと同じく助けを求める単語が並んでいる。もう一度瞬いた綺は地図アプリを開いて店を検索した。現在地よりあまり離れていない店へと足を向ける綺は、ついでにホームページを表示し、どこにでもある居酒屋のそれに首を傾げる。飲み過ぎでひとりでの帰宅が困難にでもなった想像はつきにくい。綺の知る水上という男は自分を制することが上手く、そのような状態になるまで外で飲酒をすることはなかった。隊の面々で集まっているのであればわざわざ綺に助けを求める必要は無い。つまり現在の水上は組織外の人と店に行っていることになる。となれば前述の通りの人間である水上が飲みすぎて前後不覚の様態になる筈がなかった。綺は首を捻り、不思議そうに瞬く。ただ、水上が連絡を寄越すということは何か理由があるのだろうと、疑問を抱くことの無い綺の足取りに迷いはなかった。出来上がっているサラリーマンたちの波を抜け、チープな光の輝く扉を開けた。
飲み会だと誘っておいて実は合コンだと知った瞬間の水上の顔は酷いものだった。好きでも嫌いでもないが、行きたいものではないと言っていたのを知っているし、水上も伝えていたことを覚えているに違いない。分かっていて、覚悟の上で水上を呼んだのは相手側からの希望だったからだ。何でも、入学当初より水上のことが気になっている女子がいると言う。大学とボーダーを掛け持っているため会う機会が乏しければ顔すらもあまり見られないと言われてしまえば、こちらの良心が刺激されるのも無理はない。幸いにも自分は水上とほとんどの講義が重なっている上、よく話もする、いわゆる友人という枠に入れられている。そのことを知っている女子たちに囲まれ、お願いと言う名の強制じみた要求をされてしまえば、自分など蛇に睨まれた蛙だった。水上に彼女がいる話を聞いたことは無いため、丁度良い機会ではないかと思ったのも事実ではあるが。
「謀ったな」
「こっちにも事情があるんだ。許せ」
「覚えとけや」
日頃、凹凸のない平坦な声色とは違い、突き刺さるようなそれが、如何に水上がこういった席を不得手としているかを如実に表していた。本当に申し訳ないと思ってはいるが。わが身可愛さという言葉がある。後々の女子たちからの冷遇を思うと水上からの一時的な痛みを我慢する方がよっぽど良い。水上のことが気になると言っていた女子の隣にさり気無く誘導し、反対側に腰を下ろして退路を断つ。自分が隣に座ることで水上も不審には思わないだろう。興味なさげにメニューを見下ろす温度の無い眼差しに、ひとつ息を吐いた。
こういった、所謂、相手探しの場が不得手とは言え大勢が所属する組織に身を置いているだけもあり、上手くやり過ごすことは得意らしい。当たり障りなく会話をこなす水上を横目見て胸を撫で下ろす。勉強ができるだけの頭の良さではなく幅広い知識を持つ水上は、様々な話題にも卒なく対応した。ぶっきらぼうで冷たい印象を受けがちだが、実際はかなり柔軟でフラットだ。優しいところもあると気付く人はちゃんと気付くのである。この水上という男の良さに。気が有るという女子も如何様かにしてその一面に触れたのかもしれない。楽しげな様子の女子が上手くいくことを願いながら酒を追加する。
そうして、視界の大半で盛り上がる友人たちに気を取られている内に、僅かな視界の中で端末を弄る水上がいることに、自分もその女子もまるで気付くことはできなかった。
退店の時間も迫り、次の店に行く者と抜ける者とが別れ始める。自分はそのまま次へ参加するつもりだが、水上はきっと女子と抜けるに違いない。そうなるように周りの女子が仕組むはずだ。避けも入り気が大きくなったらしい女子は、大胆にも水上の腕に触れて身を寄せながら問うていた。対して水上はと言えば、さり気無く身体を離しながら考える間もなく帰る支度を進めている。好感触に見えない様子に、思わず瞬いた。好みそうなタイプだと思っていたが、どうやら違うのかもしれない。しかし、何だかんだ気の良い水上は送れと言われれば嫌そうにしつつも女子とふたりになるだろう。後押しをすべく口を開こうとして、それよりも先に明るい声が頭上に飛んできた。よく通る軽やかな声に何事かと皆が目を向ける。大勢の視線を浴びようが、声の主は一滴たりとも気にする様子はなかった。随分と派手な格好をしている女子が立っている。髪も顔も服装も何もかもが派手だったが、まるで違和感が無い。それが彼女という存在なのだと言われているみたいだ。艶やかなグロスで彩られた唇で自信有り気に笑う姿は目を引いた。
「上サマおまたせ〜お迎えだよ〜ん」
「悪いな、仕事帰りに」
「近かったからよゆ〜」
きらきらと蛍光灯を反射する指先が眩しい手を振る相手にぎょっとする。それは自分だけではなく、テーブルにいる全員が一様にどよめいていた。まるで結びつかないふたりが親しい間柄であると初見で気付くことができるだろうか、自分には到底無理だ。今までのことがただの作業にすぎない、と言わんばかりにあっさり席を立った水上の手が肩に乗せられる。意地悪そうに笑い、悪魔の言葉をそっと落としてくる。頷くしかできないのを良いことに、満足そうに目を細めた水上が今一度、肩を軽く叩いた。見上げた彼は女性の荷物を持ち、空いた方の腕を差し出している。あまりにも慣れた仕草に眩暈のする思いだった。差し出した腕に必ず、細く白い腕が絡むと分かっていての動作だ。当然、女性が腕を通す。重ねて自然に顔を寄せて言葉を交わす姿は甘えきっていたが、水上は嫌がる様子はない。
「み、水上……その人は?」
「彼女」
ふたりの関係について自分が問わねばならないことは一目瞭然だった。意を決した問いに対して事も無さげに言う水上にまた眩暈がする。水上の彼女が派手ギャルだったなど、天地が引っくり返っても正解できる問題ではない。どちらかと言えば苦手の部類に入るだろうし、全く以て関わることもしないだろう。実際に彼女と同じ系統のモデルなどを見ても手応えはなかった。騒がしいのは好まないと言っていた先週の昼食時はなんだったのか。端末の画面を見ながら早口に話す彼女は水上の言う騒がしい枠に含まれないとでも言うのか、考えれば考えるほどに水上が分からなくなる。
この二の句も告げられない状況の中で、水上と彼女だけが普通だ。
「ほな、お疲れさんでした」
まるで講義が終わり解散する際の気の無さを感じる声音を残して水上が店を出た。そういえば、最初からそれほど飲みも食べもしなかったことに気付き、合コンだと知った瞬間から迎えに来てもらうことを決めていたように思う。彼女がいるから、今後は誘うなと釘を刺す為に。
静まり返っていた場が、扉の閉まる音を合図に蘇る。餌を投げ入れた池で騒めき立てる鯉の群れのようだとは的を得た表現だろう。隣では水上を狙っていた女子が茫然としていた。水上が好むだろう装いも、彼女の登場で正解か不正解か分からなくなってしまった。
かくいう自分は、詰め寄る女子たちの恐ろしさとふたり分の飲み代を抱え、涙を耐えるしかなかった。