君は万年食べ盛り
山と盛られた洋菓子を前に写真を撮る綺を眺める水上はコーヒーを啜った。人からすれば煌びやかで魅力的なそれらも、別の視点からすると何の感情も抱かないものである。後者の部類である水上は、確実に前者である綺の緩み切った顔を眺めながら頬杖をついた。色とりどりに鮮やかな菓子類の並ぶワゴンと柔らかいレースのカーテン、意匠の細かく繊細な飾り窓に煌めく照明。どこを切り取っても可愛らしく、映える印象が強い店内の隅に列挙した全てに縁遠い水上が座ることになった理由は至極簡単なことだった。目の前でケーキを頬張る気の抜けた顔を隠しもしない綺が無料券を持っていたからだ。学校も任務も訓練もない完全な休日に、新刊を求めて外に出た水上を捕まえたのが、買い物に出ていた綺である。人懐っこい笑顔で駆けよられては流石の水上も無下にはできない。落ち着きなく纏わりつく綺をいなし、話を聞いたのは一時間ほど前で、本屋で目当てのものを購入したのが四十分前のことだ。そうして、手を引かれるまま店に入り今に至る。友人と行くことを提案した水上だったが、無料券の期限を引き合いに出され無に帰した。
綺を前にすると諦めが肝心という選択肢が追加される水上は、よく知った後輩とはまた違った愚図りをされる前に了承するしかない。縋りつき駄々を捏ねていたと思えば水上の返答に満足して喜び跳ねる綺に、水上は苦笑で応えたのだった。甘やかしている自覚はあるが、やめる気が無いこともまた気付いていた。
その薄い身体のどこに収める場所があるのか、皿の上の最後の一口を、これまた小さな口に放り込み眉を下げる綺とは裏腹に、水上の皿の上は未だ手付かずだ。申し訳程度の洋菓子の他は全て軽食が並べられ、正確を表すかの如く綺麗に盛り付けられている。水上は甘い物が苦手というわけではない。人並ほどに手を付けるし、頭を使うこともあり比較的親しんで生きてきた。ただ、それらを美味しく食べられる限度は人よりも早く訪れる。胸焼けがする量を食べ続ける綺に、いっそ尊敬の念すら湧いてくるな、と水上はようやく菓子にフォークを入れた。
「うっま〜!これリピる!こっちもやば〜」
「それ、取ってきたろか」
「ま?三つね!」
元気よく立てられた指に苦笑した水上が席を立つのを見送り、フォークを銜えたまま背を目で追った綺が小さく笑う。断られるだろうと思っていたところで返事が是であったのは嬉しい誤算だ。了承を得るまで愚図ろうかと考えていたが、そこまで実行する必要はなく、水上に好かれているなと改めて実感するだけに終わった。食べる手を止めて頬杖をついた綺の形の良い唇は綺麗な弧を描き、緩んだ目尻が甘やかに細まる。上機嫌にならずして何になろう。女性に交ざり肩身の狭そうな面持ちをしつつケーキを選ぶ背中に撮影ボタンを押した。音は聞こえていないはずが、不意に水上が振り向く。何かを感じ取ったと言わんばかりの梔子色が、怪訝そうな眼差しを投げ、薄い唇が音も無く何かを申している。生憎と読唇術など使えない綺は数度瞬き、首を横に振った。対して肩を竦めた水上が、また唇を動かす。たった二文字の短いそれは、綺でも容易に理解できた。
「あ・ほ」
「上サマすぐそーいう!」
頬を膨らませているのは見た目だけの行為だと水上はよく知っている。大して怒りも気にもしていない綺が、次の瞬間には皿の上のケーキに釘付けになることも、まるっとお見通しだった。喉の奥でひとつ笑った水上が席に戻るのを迎えた綺の目は、予想に違わず皿の上に向く。頼まれていたものの他に綺の好きそうな物を並べた皿を置き、水上も自分の取り分に手を付ける。高いだけあり、軽食の味も申し分なかった。これが無料になるのだから、綺に感謝しなくてはいけないなと正面の赤髪を見る。締まりのない顔でケーキを頬張る姿は、水上の目に普段よりも幼く映った。早々に全てを平らげた水上はのんびりとコーヒーを啜りながら目の前を見つめ、頬杖をつく。見ていて面白いと言えば恰好だけでも不機嫌そうにして眉を顰めるのだろう綺を想像して笑った。
「もう食べないの?」
「お前見とったら腹膨れた」
「そんなことある?」
「あったなぁ」
ふうん、とさして興味なく呟いた綺がケーキにフォークを刺す。少々大きすぎやしないかと考えてしまうのは、運ばれる口が小さいことを知っているからで、僅かな心配から目で追う水上に、綺の口角が上がった。水上の心配は意味はなく、ケーキは綺へ運ばれずに予想に反して水上の前へと差し出される。驚きに瞠目する水上に構わず、笑顔のまま、あーんと綺が言った。幾度か頭の中で反芻させたところで言葉の意味も態度も変化は無い。それどころか、早くと急かされた水上は大人しく口を開くしかなかった。綺には大きいと思われた一口も、水上には丁度良い。甘く纏わりつくクリームを咀嚼し、合間に感じた苺の酸味を飲み込んだところで美味しいか問われる。頷くだけで応えた水上に、綺から満足気な笑みが返された。
「腹いっぱいの人間に食わすな」
「あは」
誤魔化すような笑いに、水上は大きく溜め息を吐いた。
綺が良く食べることと、それが好きであるとは先の一件で確信した。以前より、気付くと何か食べているとは思っていたが、あれよあれよという間に積み上がる皿と盛られたケーキに若干引いた。一人前も食べられず小食だと言われるよりかは好感度は高いが、これは水上にも予想外だった。軽食にも手を出していたので、甘い物限定というわけでもないらしい。水上とて育ち盛りの男子高校生だ。それなりに食べるし、美味しい物にはまあまあ興味があった。同じくらいどころかそれ以上に食べる綺とであれば、様々なところに食べに出掛けることも悪くはない。
何故そのようなことを考えているかと言えば、生駒からとある店の割引券を貰ったからだった。同年代の隊員たちと行ったという店は、規格外の大きさのパフェを売りにしているらしい。話を聞いた際に水上の脳内に真っ先に思い浮かんだ人物は綺に他ならない。調べていたが、想像した通り綺が喜びそうな店だ。既に行った可能性もあるが、一度で満足する水上とは違い綺は回数など気にはしない。行きたい気分であれば断りはせず、その気が無ければあっさりと拒否をする。端末を取り出した水上は、すっかり見慣れた画面を開き、いつものように手短に要件だけを打ち込む。余程のことがない限り綺からの返信は早く、例にも漏れず数秒で既読の印がついた。かつかつと長い爪の音をさせて長文を打ち込んでいるであろう姿を想像した水上が小さく笑う。その水上を、何か酷いものを見たような顔で視線を寄越す後輩の額を指で弾き、浮かれ切った返信に日時を返して端末を机の上に放った。
「まさか上サマが誘ってくれるなんてね〜」
「悪いか」
「嬉しいに決まってんじゃ〜ん」
開口一番、皮肉を浴びせられ眉を顰めた水上とは裏腹に満面の笑みを崩すことなく綺が手を伸ばす。鮮やかな赤で彩られた指先が、水上の深い色をした上着を掴み、そのまま流れる動作で腕を確保した。最早何も言うまい。水上はただ閉口し、綺の好きなようにさせるだけだ。注意などとっくの昔に時効を迎えていた。恋人さながらに腕を組もうと、綺には下心も、それに準ずる疚しい気持ちも何もかもがなく、親しい女友達にするような親愛からくる懐いた行為に他ならないことを水上は知っている。親しい人間に甘えている子供のようなものだと思えば良い。踵の高い靴を履くため転倒防止にもなる、と難しく考えることも放棄した水上は早々に明け渡した腕に絡む綺を見る。心の中で割り切っているとはいえ、人の気も知らず呑気に笑う綺に対して少しでも鬱憤を晴らしてやろうと、水上は真横にある綺の側頭部へ頭をぶつけておいた。
「ぎゃんっ」
「ふは」
潰れた仔犬を思わせる声を上げ、抗議の目を向ける綺が文句を口にしないのは水上に口で勝てないと分かっているからだ。何か言ったところで倍になって返り、反論は言い包められる。恰好を崩して笑う水上に対し、綺はただ見つめるしかできない。大抵の人は折れるその視線も、水上にはあまり効果は無く簡単にあしらわれるため、無言のそれもさして意味はないが、それでも意志を見せなければ綺には何も残らない。せめてもの抵抗に気付いている水上は、しばらく綺の様子を見て遊んでから肩を竦めてみせる。
それは、もうしないの合図だ。目元を和らげた綺がいつものように狡いと呟く。毎度のごとく零される小さな言葉の意味を、水上は汲み取れないでいた。今日こそはと思うも、店を見付けてはしゃぐ綺に腕を引かれてしまえばそれどころではなくなる。尋ねるタイミングを失ったまま、楽しげな綺に急かされ敷居を跨いだ。
落ち着いた店内は、そうと知らなければ巨大なパフェを提供するとは誰も思わないだろう。かく言う水上も半信半疑であったが、入ってすぐ目に飛び込んだ食品サンプルに信じるしかなくなった。にこやかな店員に促され席に案内される間に横目見た他客のテーブルに鎮座する実物に、水上は盛大に顔を顰めた。人数を間違えたのではないか、後悔ずる水上を他所に、大きなヘーゼルの瞳を輝かせる綺の視線が、メニューと水上の間を行き来する。好きなものを選ぶと良い、と手を振って示した水上がもうひとつのメニューに目を通した。飲み物の欄を注視し、一応上から下まで目を滑らせてみたものの、諦めきった梔子色は最上部のコーヒーを捉えている。口の中をすっきりさせる炭酸も考えた水上だったが、腹を膨らませては入るものも入らなくなるのでやめた。無難なところで手を打つしかあるまい。メニューを戻して頬杖をついた。淡々とした水上の視線が注がれる気は未だ紙面と睨み合い、目は左右をうろついている。熱い眼差しを送る眼は蛍光灯の光を浴びて明るく茶に輝いていたが、長く濃く作られた睫毛の直ぐ下、緩くできた影の中では深い緑がちらついていた。周りを縁取るものは薄い青にも見てとれ、よく表情の変わる綺のようだと水上は多くを考えることを止めた頭でぼんやりと思う。母親に似たのだろうか、今はいない綺の片方の親は海外の人だと何かの折に言っていたことを思い出した水上が徐に手を伸ばした。目にかかる前髪を軽く払いのけ、露わになったふたつのヘーゼルに満足気に鼻を鳴らす。突然の行為に綺がひとつふたつ瞬き、それからあと少し待って欲しいと小さく鳴いた。
いい加減に決めろという催促だと捉えたのだろう。これ幸いに違うとは言わず、そのままにして首を傾げてみせた水上の仕草をどう解釈するかは綺次第だ。変に勘ぐられることがなく安堵した水上は心の内で息を吐く。もっと見ていたいなどと、まるで恋をしているような感情に苦虫を噛み潰した気分が水上を苛んだ。そういうつもりではないと誰に言うでもなく思考を振り払い、視線を店内へと滑らせる。確かに女性客が多いが、男性のみというのも少なくはない。甘い物が好きか、それとも挑戦か、バケツを彷彿とさせる器に入ったパフェを前にたじろぐ男子大学生たちには是非とも頑張ってくれと温かい視線を投げていた水上の前で細い手が翻った。次いで、決まったと明るい声が届くので、静かな梔子色を正面に向け、流れる動作で呼び鈴を押した水上がメニューを覗き込んだ。
「このパフェと〜アイスティー」
「アイスコーヒーで」
「いじょーでーす」
注文が全て出て暇だったのか、すぐにやってきた店員が僅かに瞠目したのは、注文の品がふたりでは到底完食しきれないものだったからに違いない。動揺に気付いた水上は素知らぬ振りをして割引券を差し出す。受け取った店員に間違いはないと相槌を打った綺がメニューを仕舞うので、終ぞ店員はそれ以上を言えず注文を通しに厨房へと引っ込んだ。気遣いからひとつ下の大きさを提案したかっただろう店員とは違い、水上は綺であれば食べ切る確信があった。写真を撮って生駒たちに見せなければ、と水上が珍しく机の上に端末を置いた。
「食べるとこ、撮ってええ?」
「めずらし〜良いよ〜」
「券くれた人らに見せんねん」
「あーね」
それなら、と片付けたばかりのメニューを引っ張り出した綺が注文した商品を指差し笑う。意図を察した水上の手にした端末が音を立てた。恐ろしく写りが良い綺とは並んで撮りたくないと水上は端末を伏せる。苦々しい水上の内心など知らず、自分用に写真を撮る綺の様子を眺めていた水上の、頬杖をついた腕にメニューが立てかけられた。同じものを撮りたいらしい綺の笑えという指示など聞く気のない水上は、一瞬片眉を上げ、撮られるだけでも喜べと思いながら溜め息を吐いた。気にせず撮影ボタンを押した綺がメニューを仕舞う。
例え水上が笑おうが笑うまいが綺にとっては些細なことで、撮影を止める理由にはならないのである。
「やっばでか〜!アガる〜!」
「いや、でかない?」
「上サマ撮って!」
よく商品にしようと思い、そしてよく実際に企画が通ったなと知りもしない企業の人間を思いながら、水上は手にした端末の撮影ボタンを押す。顔の何倍かという大きさを前に満面の笑顔でスプーンを持つ綺を画面に収めていく。撮って欲しいタイミングを抑えるあたり流石だと感心する水上の方へパフェを追いやった綺が端末を構えた。何が楽しくて撮るか分からないが、綺が満足なら良いかと思うあたり水上は絆されている。気付いてしまえば言葉にし難い微妙な気持ちが腹の底に渦巻く気がして、水上が誤魔化すように一番上の果物を口に放り込んだ。広がる酸味が思考を明瞭にする感覚がする。
難しい顔で飲み込んだ水上にも構わず、気の済んだ綺が端末を置き、邪魔になる髪を慣れた手付きで結い上げた。出掛けるために丁寧に巻いただろう髪を躊躇うことなく高い位置で結った姿は水上の目に新鮮に映る。普段からふわふわと揺れる長髪を見慣れているため、すっきりと纏められているところは些か違和感を覚えるが、これも悪くはない。綺に似合わない髪型はあるのだろうか、パフェを頬張る様子を眺める水上はぼんやりと考えていた。
思考に勤しむ水上を放り、綺の手は恐ろしいまでに止まることなく器の中身を減らしていく。一人前あたりで早々にスプーンを置いた水上は頬杖を突きながらパフェの行く末を思うことに脳裏を切り替える。水の追加に来た店員が二度見する気持ちはよく分かる。完全に手持無沙汰の水上が時折、思い出したかのように途中経過を写し、その度に余裕がある笑顔を見せる綺が食べないのかと問う。食べ切れないから問うているのではないことは明白だった。水上の推測からして、誰かと何かを共有したい気質のある綺は、自分だけが食べている状況が落ち着かないのだろう。相手が現状を許容している確認がしたいだけだ。ここまで近く親しくなったのだからそろそろ完全に気を許しても良いのではないだろうかと思いながら、水上は綺から投げられる甘えの、小さなサインすらも見逃さずひとつひとつ拾い上げて返してやる。積極的なのか消極的なのか、常時の距離感が嘘のように水上の足元へと投げられる大小さまざまな甘えがどうしようもなく意地らしくて、面倒に思いつつも拒み切れない。水上は、そうして腹の奥底にゆっくりと溜まり続ける感情の発露の仕方を、まだ掴みあぐねていた。生まれてこの方、他人に対して抱くことのなかったそれが好意であることを水上は理解していたが、だからどうすれば良いかなどというのは流石の水上も経験が足りなかった。
「今日はお前に食べさせるために来たんやから、気にせんと好きに食べてまえ」
「ん〜、ふふ」
真っ直ぐ見つめた大きなヘーゼルが丸くなる。驚きに彩られたふたつが喜色に変わるのに時間はかからず、とろける笑みが水上の視界に飛び込んできた。締まりのないそれに片眉を上げて、言外に何だと問う。小さな口いっぱいに頬張る綺は大きく、ゆっくりと瞬き零した。嬉しいときや感激している際の行動だと水上が気付いたのは最近のことだ。それだけで何を言いたいか、何を思っているかを察した水上は綺が恥ずかしい事を言わぬよう、果物を飲み込んだその口元に掬ったクリームを押し付けた。艶やかに色付いた唇にスプーンが当たる。さぞ柔らかいのだろうなどと思いながら小さな咥内へと消える真白のクリームと真っ赤な苺を見送った水上に、出鼻を挫かれた綺が唇を尖らせた。
食べながら器用なことをするものだ。咀嚼し、飲み込んだところを見計らった水上はまたスプーンを運んだ。雛鳥に餌を与える親鳥の気分を味わい切る頃には、器の中身はほとんど無くなっていた。この量になると自分で食べた方が早いと、されるがままになっていた綺にスプーンを返した水上が端末を取る。そして、ここまで来れば綺も何か言うこともないだろう。
最後は映像で残すためにカメラを切り替えて構えた水上に気付いた綺が残る僅かな中身を掬った。溶けたアイスクリームに浸ったスポンジを咥内へと放り込み、最後に取って置いたさくらんぼが、艶やかな唇の向こうに消える。
「完食!ごちそーさまでした〜!」
「ほんまに食い切ったな」
「分かってたしょ?」
「それはそれ、これはこれ」
完全に空となった器を抱えて満面の笑みを向ける綺を写真に収め端末を伏せた水上もつられて笑う。結果が分かっていようと驚くものは驚くのだと言う水上に首を傾げた綺だったが、水上がそう言うのだから、そういうものだろうと追求を止める。それよりも確かな満足感に浸りたいらしく、大して膨らみもしていない腹部を擦った。変わらず平たいそこを見とめ、水上が顔を引き攣らせる。一体どういった消化率をしているのか気になるが、照明する手立てが皆無であるため真相は謎のままだ。食べる為に消化しているのか、とも考えて止めた。
「ホイップ軽めでよゆーだった」
「軽めで済む量ちゃうで」
「スポンジあんま好きくないからそこがな〜」
「全部平らげといて?今言う?」
気の抜けた笑いを零しながら髪を解いた綺が化粧を確認するのを眺める水上の目には、信じられないと書かれていた。底の方は安定感と嵩増しのためにスポンジが敷き詰められていた。総量はホールケーキひとつ分はあるのではと考えていた水上が再度、器の中を見る。がらんどうの容器の底には掬いきれない溶けたアイスクリームが申し訳程度に残っているだけだ。水上もいくらかは食べたが、上の方ということもあり店で売られているケーキの一切れほどしかないだろう。よくもまあ、と水上は綺に胡乱気な視線を向けた。
当の本人はと言えば、視線に気付くことなく乱れた髪を直している。食べている最中に乱れた唇の色味は既に綺麗に整えられていた。その様子を頬杖をついたまま静かに視線を投げていた水上を明るい瞳が捉え、瞬間、喜色に染まった。構われることを好む綺は、水上が綺を見ているだけで嬉しがった。構われていると同義になるらしく、形の良い唇からまろび出る軽やかな声にも嬉しさが滲んでいる。可愛い奴、と思わないはずもなく、心の内の柔らかい部分を突かれるようなむず痒さを感じつつも、水上はそっと首を横に振った。
「しょっぱいの食べたい!」
「マジで言っとる?」
元気良く手を上げた綺の提案に水上の声が震えた。胃袋は全然可愛くない。