君とお得で一石二鳥

気になっていた映画の公開日が先週だったと気付いた綺は、思い立ったが吉日の言葉のままに家を出た。昼を少し過ぎたこともあり、綺はついでに買い物を兼ねようと普段よりも遠くの商業施設まで足を運ぶことにした。映画館の併設されているそこはまさに一石二鳥だと、国語の授業で聞いた覚えのある四字熟語を覚えていた自分を褒める綺の機嫌はすこぶる良い。残暑も終わり、過ごしやすさの増した気候は夏の暑さで鈍っていた足取りを軽やかにする。遠くだろうと何の苦でもなかった。綺も例外ではなく、気に入っている靴を履き、新作のトップスに袖を通して鼻歌を零さんばかりの様子だった。通り過ぎる風が纏う涼しさはより一層、綺の身も心も軽く清々しいものへと変える。夏も同じく過ごしやすければと思う綺だったが、しかしそれはそれで少し物足りないかと笑った。暑いからこそ楽しめるものもあることを思い返してひとり頷く。
まだ冷房が効いている電車を降り、多客の目立つ改札を抜けて人の波に紛れる綺と周囲とは、行き先が同じようだった。休日ということもあり、映画館のロビーもかなりの賑わいを見せている。それでも常時より多く感じることを不思議に思いながら綺は人の間を縫い、上映時間の映し出された画面を仰ぎ見た。綺が目当ての時間はまだ余裕があるらしく、急ぐ必要の無さに満足気に笑んでカウンターに向かう。気のせいではなく、普段よりも男女の組み合わせの多さに首を傾げた綺が視線をさ迷わせた先に見付けた看板に、疑問の答えが示されていた。納得した綺だが、残念なことに看板の内容が適用されることは無い。

「カップル割りか〜ちぇっ」

派手な色使いのそれを読み上げ、破格の値引き額に肩を落とす。ひとりの綺にとっては何の関係もないものだ。男女の組み合わせが多い理由を知った綺の心境はといえば、最期まで気付かないでいたかったという一言に尽きる。年齢に関する割引であれば諦めもつくが、上手くすれば解決できる点が不服なところだ。珍しく眉を顰めて唇を尖らせ看板を見つめる綺は節約がしたかった。秋になるにつれて様々な新作が押し寄せて来ることを思うと、何をどうせずとも綺の懐事情は火の車になることは決まっている。せめて秋の新作の仕事が舞い込めば少しは物欲も落ち着くだろうが、今の所は話は来ていない。気に入っているブランドの情報を追いながら並ぶ綺の肩に誰かが触れた。視界の隅に入り込んだ靴を、綺は目にしたことが有る。記憶が正しければ該当する人物はひとりしかいない。弾かれるように顔を上げたヘーゼルの瞳に、予想通りの梔子色が移り込んだ。綺の中の水上と映画館は縁遠いものであり、結びつくことはほとんど無い。疑問を浮かべた双眸が水上へ深々と刺さる。遠慮の欠片もない真っ直ぐな眼差しに多少の居心地の悪さを感じたのだろう、眉を顰めた水上の口が引き結ばれた。

「俺かて映画くらい見るわ」
「家派ぽい」
「普段はな。今日は気になっとんのあってん」

そう言って水上が示す映画は、今まさに綺が買わんとしているものと同じだった。綺は飛び跳ねんばかりに喜び水上を引き入れる。逃がすものかと腕を絡め、目を白黒させる水上に件の看板を示す。小さく読み上げた水上の理解は早く、綺が何も言わずとも納得していた。水上とて節約できるのであればしたいところである。綺の提案に乗らない手は全くと言って良いほどなかった。ここで出会えたことは双方にとって僥倖と言えるだろう。
先ほどまで降下していた機嫌を上げた綺が水上を見る。会えたことで割引の恩恵を受けられるというのは勿論、加えて水上が綺を見付けた際に気付かないふりをするのではなく声を掛けることを選んだことも、綺は嬉しかった。逆の立場であれば綺は考えることもなく見掛けた瞬間に水上へ声を掛けに行くが、水上の性格からすると違う。面倒に思えば素知らぬ顔ができる性質だ。好かれているなどと口にすれば次から素通りされることになるため、綺は口を噤む。けれど笑みは隠せず、にこにことしたまま水上の頭を撫でる綺の意図が分からず目を丸くしていた水上は、本能で何か悟った様子で怪しむ視線を返した。笑顔で有耶無耶にする綺に、小さく溜め息を吐いた水上が看板を顎で示す。

「カップルの証明でなんやろか」
「さあ? ハグとか?」
「ハードル低いな」
「手っ取り早いじゃん」

列に並ぶ人数が多く、前方で何をして証明しているかは分かっていない。看板にすら方法は表記されておらず、心構えをさせない意図がうかがえる。偽装できるからだろうか、しかし本当にがめつい、ないし割り引かれることに対して真剣な者はさして構うことは無いだろう。端末に目を落としている綺を横目見た水上は、よっぽどのことでなければ実行を厭わない。何であろうと些細なことを気にする間柄を通り越しているふたりには大きな問題ではなかった。手早く割引をもらい、上演時間までに飲み物を買うことしか綺と水上の頭にはない。

「相手が上サマならだいたい余裕っしょ」
「頼もしいことで」

屈託なく笑う綺に呆れた様子で言葉を返す水上も存外満更ではなさそうなことを、綺は心の内に仕舞っておくことにした。

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