瓶詰のきらめき

強い日差しが三門市を包む。降り注ぐ陽光は地面に濃い影を落とし、温められた風は湿度を孕む所為で一定の不快感を与えた。乾いた風ならば幾分かは過ごしやすいだろうが、生憎と多湿である日本では叶わぬ願いである。肌に滲むじっとりとした汗と耳に届く蝉の声が、紛れもなく夏を伝えて止まない。ただ、道端に点在する一種爆弾のような存在が、それも中盤に差し掛かったことを物語っていた。腹を見せていれば事切れていると聞いたのは地元の祖父母かはたまた偶然見た教育番組か、幼い時分の僅かな記憶を頭の隅に浮かべながら、水上は足元のそれをなるべく遠くへと蹴り飛ばした。軽い音を立てて転がっていったそれは民家の石垣にぶつかり、何でもないもののようにあっさりと排水溝へと落ちる。一滴たりとも鳴き声が上がらなかったことから寿命を全うしていたことを知り、塵程度にも湧かない情を同じく排水溝に捨てた。邪魔だから生死の確認をする以前に排除しただけの水上は、隣で嫌そうな顔を隠しもしない綺に眉を顰める。元はと言えば綺が生死を問わず苦手だと泣きを見せたことが発端だった。遠ざけているというのにその反応を水上へと向けるとはあんまりだ。水上は綺に倣って嫌そうな表情のまま、ほんの少しだけ咎める視線を綺へと投げる。視線を受けた綺が、あからさまに顔を背けた。いくらか黙ったまま見つめ、視線を外した水上に綺は胸を撫で下ろす。取り立てて批難するようなことではなく、すぐにどうでも良くなった水上の目がまた道路へと落とされる。道路脇に転がるそれに、あれくらいの距離なら放っておいても良いかと頭を掻いた。
綺が虫を苦手とすることは想像の範囲内だった水上は、蝉に対して大袈裟なまでに距離を取る様子が面白かった。水上とて全て平気というわけではないが、自分より怖がる者や嫌がる者を見ると途端に冷静になる性質だ。あからさまな嫌悪を顕わにする綺を見てしまえば、代わりに遠ざけることくらい容易い。

「まっ、あーっ動いた!」
「耳元で叫ばんとってくれる?」

放っておいて問題のないはずの個体が突然、螺子を巻いた玩具の勢いでけたたましく鳴き始める。最後の力の使い所の間違いを感じながら、迫りくる小さな体を蹴り飛ばした水上は、再度排水溝への華麗な得点を決めた。
萎れた野菜じみた面持ちの綺は完全に水上の後ろへと身を隠した。生憎と踵の高い靴を履いていてはふたりの身長差は指の第一関節分ほどしか生まれない。後ろにいると気付かなかった、という台詞は一生聞くことも投げ掛けられることもないだろう。
それでも必死に隠れようとする綺を好きにさせた水上はまた一つ、道端のそれでハットトリックを決めた。


安心と安全を手に入れた綺は、水上の腕を掴みながら目に入ったのぼりにひとつ瞬く。個人商店だろうか、ひっそりと建つそこに見たものは、暑い盛りには頼もしく感じるものだった。今日日、その辺で出会うことの少ない懐かしい形状をしている。
一度目にして意識してしまえば喉の渇きは主張を増す。存在に気付いいない水上の腕を引き、示した綺に梔子色が一瞬消えて、ゆったり現れた。驚きというよりは感嘆に近い声が零れ、満更でもない様子の水上が、買うかと綺を見る。断る理由など在りもしないと答えよりも先に店の人間に二本注文した綺の後を追った水上が小銭を取り出した。


瓶を回収するための箱が横に置かれている、店先にある年季の入ったベンチに並んで腰かけたふたりの手の中で炭酸が弾ける。青みがかった硝子が陽光を反射して生まれる煌めきを交えていくつもの気泡が消えて行く様を見つめる綺はヘーゼルの瞳に喜色を浮かべていた。明瞭ではない硝子越しに綺を見とめた水上は瓶に口を付けながら、満足気な様子の綺に表情を崩す。
口の中で弾ける甘い炭酸は渇いていた喉を潤す役目など一瞬でしかないが、季節を感じさせるので水上は嫌いではなかった。最後に口にしたのはいつ頃だろうか、記憶の糸を手繰り寄せる水上の隣で、早々に飲み干した綺が瓶を振る。綺は一昨年の夏に祖母がスーパーで買ってきたものを飲んだ時が最後だった。重かっただろうに、幼い頃の綺がよく飲んでいたから懐かしさに購入したと笑っていた祖母を覚えている。幼い綺は封の役目をしているラムネ玉を上手く落とせずいつも祖父にやってもらっていたので、今となってもその手付きは覚束無い。今回は幸いにして水上があっさりと開けて寄越したため、綺がもたつくことはなかった。同時に、今後も代わりに開ける存在が出来たことにより綺の腕前は上達しないことが確定した。
瓶に当たり音を立てる小さな玉が特別に見えていた時分はとうの昔に通り過ぎたが、きらと光を浴びる姿はいくつになっても綺麗だと思う。のんびりと口を付ける水上の横で、今一度瓶を振った綺の膝に、結露した雫が落ちた。

「欲しいんか?」
「欲しい」
「そか。おばちゃーん、ペンチある?」

あっさりと、悩むことなく頷いた水上が飲みかけの瓶を綺に預けて店の中に声を掛ける。きょとりと瞬く綺を他所に目当ての工具を借りてきた水上が瓶の上部を掴んだ。最近のラムネ瓶の飲み口はプラスチックが付いている。ラムネ玉を押し込むための付属品が取り付けられているところだ。到底、手では開けられないそこも手段を変えて挑めば容易に開くらしい。お世辞にも手際が良いとは言えないものの、こじ開けた水上に手を出すように促され、開いた手に逆さまの瓶から落ちた玉が乗った。冷えた硝子が手中で揺れるのを見つめる綺から自分の瓶を受け取り飲み切った水上の手には変わらず工具が握られている。先ほどよりも慣れた手付きで外したそこから取り出されたラムネ玉がもうひとつ綺の手にやってきた。
瓶の工具を返した水上は腰を掛けることなく綺の正面に立っている。いくらかの涼を得たが、それも一時しのぎでしかない。木漏れ日の落ちる下ですら太陽は肌を炙り焦がしてく。滲む汗を手の甲で拭う水上を、ラムネ玉越しに見る綺は中に在る歪んだ姿を目に映しながら、勿体ないと思った。今この瞬間は欲しくて堪らないこの硝子玉も、家に帰り引き出し内に仕舞えばいつの日か存在すら忘れてしまうのだ。何年、何十年も先で見付けたそれは、きっとどうして入っていたかすらも、まるで覚えていないに違いなかった。総じて物事に対して興味の薄い水上も、なんだそれはと言うだろう。やはり勿体ない、と思った。

「上サマ、行きたいとこできた」
「おー」

腰を浮かせて綺が水上の隣に並ぶ。空いている腕を取って引けば、暑いと文句を口にしながらも振り払うことのない水上が大人しく綺の後ろをついてくる。水上はどこへ行くとは聞かなかったが、何をしたいのだと目で訴えていた。

「ん〜思い出作り?」
「なんやそれ」

数時間後、綺の知り合いの職人の手によって簡素ながらも洒落た揃いのストラップの一部となったラムネ玉を片手に、水上は感心したように青春しているなと呟いた。

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