雲間より注ぐその先は

明け方頃、窓を叩く音に意識が浮上した。耳に届くそれは静かに、軽く、規則的という言葉とは無縁の様子で思うままに街中を包み込んだ。地面の色を変え水面に波紋を広げる姿を、夢見心地のまま想像してまた微睡みに身を委ねる。徐々に増していく音からしてしばらくは止むことはないだろう、と隣の温もりに寄り添いながら今一度意識を手離した。
雨の中、肩を並べて歩く夢を見た。鮮やかな色合いの揃いの傘を手に、誰もいない静寂の広がる街を行く。決して強くはない、けれど絶えず注ぐ雨音に溶け行く彼の声に聞き返し、濡れることも構わず互いに身を寄せ笑い合う。何の変哲もない夢だったが、それが嬉しかった。歩き慣れた坂を上りきる頃に傘を叩く滴が数を減らし、厚い雲間から差し込む光に閉じたものを手に彼が振り返る。雨に濡れ露を纏う景色の中で、穏やかでありがならも煌めく陽光を浴びた彼が微笑む様は何よりも美しかった。耳慣れた言葉に呼ばれ頷く。手を引かれるがままに顔を寄せ、どちらともなく唇を寄せ目を閉じた。

「……夢か」

心地好い感覚に浸る間もなく覚醒する。惜しい気持ちを抱きながら見た隣の温もりは未だ眠りの内に身も心も落としているようだった。こちらに背を向けるその人を横目見た後、カーテンの向こう側に耳を傾ける。窓に打ち付ける音は弱々しいが、細やかな囁きにも似たそれは絶えず聞こえた。止む気配はなさそうだ、と窓の隙間から入り込む湿度が肌を滑る感覚に布団を引き上げる。
雨の中を歩くことは嫌いではないが、様々なものが籠って感じる交通機関はあまり好ましくない。こういう日は遠くへ行くものではないため、何の予定も入っていないことに、どこか優越感にも似た感情を抱いた。確かに、家で怠惰に過ごすだけで締め括られるであろう休日を思うと些か勿体なく感じるが、彼と一緒ならばきっと充実したものになるだろう。
遅い昼食をとり、ソファーに並び映画を観る。次の小旅行の予定を立てる。夕方になれば台所で肩を並べて夕食の準備をするのだ。もしかしたらその時間帯になれば雨も止んでいるかもしれない。食後にゆったりと散歩をしても、と考え彼に目を向けたところで夢を思い出す。美しく微笑む彼の姿を、あの一枚の絵画の様な光景を現実で見ることができたら、と。何とも抗い難い誘惑である。しかし、その為だけにいつ止むともしれない雨の中を出掛けて欲しいとは言い出しにくかった。自然と外出の予定ができればあるいは、と唸る旋毛に温かいものが触れた。

「どうした?」
「ごめん、起こした?なんでもないよ」
「ええよ。ほんまに?」
「夢を思い返していただけだから」
「どんな夢?」

微睡みの淵より抜き出せきれない緑の輝きに甘さが宿る。夢に出てきたと知るや否や、その瞳は喜色を帯びたものへと変わった。おやつを強請る猫の様な仕草で懐き、話の続きを促してくる。そのまま、旋毛に押し当てた唇を額へと移し、寝起き特有の暖かさを持った腕を背中へと回してきた。抱き寄せやすいだろうと自ら身をずらせば、また一段と緑が甘やかになる。

「それで、雨上がりにキスをした」
「俺もする」
いそいそと、掬うように重ねられた唇は、一度離れたと思えばすぐに深く合わされ直される。隙間の無い口付けは呼吸すらも奪わんとしているかのようだ。そのまま食むので、くすぐったさに捩った身を、逃がすまいと強く抱き締められる。

「夢では、一回だけだった」
「俺はいっぱいしたい」

鼻先を擦り合わせて甘えた声を出すことは彼の常套手段だった。弱いことを分かってやっている、とこちらも理解していたが、だからと言って勝てた試しは無いに等しい。九割の確率で負け、稀に残った一割の軌跡によって打ち勝つ。ただし、そのような奇跡は今までで片手で足りるほどしか起きていないのが現実である。
ひとしきりじゃれ合い、満足した彼が窓へと顔を向ける。そうして、雨だと認めたと同時に身体の力を抜いて覆い被さってきた。何もする気は起きません、といった具合に苦笑してしまう。完全に沈み込んだ背を撫で、すぐ隣にある頬に自分のものを寄せる。温かく柔らかい感触を楽しみ何度も押しつけられることにも構わず反応を見せない所からして、二度寝をするのだろうことが分かった。意外な反応に目を丸くする。
彼は水が好きだ。海や川は勿論のこと、プールや湖に噴水、シャワーも全て触れられるものであれば好ましそうにしていた。夏の時期は水浴びだと、それこそ水を得た魚の如く生き生きとする。雨も同じだと思っていたがそういう訳ではないらしい。思うことがあるのだろうか、自らの事を話さない彼に何があったかなど知るはずもなく、されるがままに身を委ねることしかできなかった。触れ合わせ頬が少し冷たい。泣いていると気付き様子を窺おうとして、背を撫でるだけに留めた。無理に聞く必要はないと思ったのだ。

「雨の日は、こうしとりたい」
「そっか」
「音を聞きながらべたべたして、何でもええから話して、他はなんもせん」
「贅沢な使い方だ」
「外に出るんも嫌いやない……けど、お前とはこうしとうなる」
「じゃあ、雨が上がったら散歩に行こうか」
「どこでも行くよぅ」

ふわり、彼が微笑む気配がした。珍しく自分から話してきたことに驚きながらも応えれば、首筋に額を寄せられる。甘える様子が可愛くて、しばらくは好きにさせることにした。
それでも顔が見たくなり彼の方を見れば、目と鼻の先にある緑と視線がかち合う。もう濡れてはいない硝子玉の瞳にかかる前髪が少しだけ邪魔だと思った。こちらだけを映している眼をよく見せてほしかったが、生憎と手は届きそうにない。それとなく気付いてもらえないかと期待したものの、ひとつ笑んで閉じられてしまった。喉を鳴らし微睡む猫の様に、穏やかな顔をさらす彼を呼ぶ。頷きだけで応えられ、後でとでも言わんばかりの寝息が聞こえた。

陽が沈んでいく朱の光に目を覚ます。隣にいたはずの姿は無く、空腹で先に起きたのかと窓の方へ寝返りを打った。揺れるカーテンから流れる緩やかな風には、雨の気配がすっかり感じられなくなっていた。
夕陽の眩しさに負けそうになる瞼をこじ開けた先、窓辺に佇むその人に、眩しさを忘れ大きく瞬く。柔らかで暖かな、それでいて強くもある陽の中で遠くを見つめ微笑む姿は言葉では言い表せそうになかった。豊かな睫毛を染める光が、瞬くたびに粒子となって舞い散って見える。零れ落ちる輝きを集めることが出来るのならば、それはきっとどんな宝石よりも高価なものになるだろう。
身じろぎに軋んだベッドへ、揺れる緑に朱と金とを灯した眼差しが向けられる。愛し気な微笑みと風に遊ぶ金に染まった髪とが相俟って、それは人とはかけ離れた存在に思えた。などと述べたとしてこの素晴らしさが全て伝わるとは思えない上に贔屓目もある、と頭を振った。
図らずとも朝に夢見た光景を酷似した瞬間を拝めたことに感謝をしながら身体を起こす。すっかり寝過ぎてしまった筋肉を解しつつ、夕飯を作る気にはなれそうにない怠惰な気持ちを抱いて床に足を降ろした。

「散歩、行く?」
「あ、ならついでにご飯食べに行こう」
「ええよ。何にしよかね」




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