その先のふたりの在り方について

週に一度、職場にとても見目麗しい人が来る。その人は必ずカウンターの一番奥に座り、ひっそりと酒と食事をして眩しそうに店内の様子を眺めていた。古ぼけた明かりの下、赤みがかった光を取り込んで尚、熟れた葡萄の様な鮮やかさで甘い緑の瞳は煌としている。繊細な硝子細工みたく複雑なそれに宿る感情はまるで移ろう季節ようだ。
グラスを掴む長い指の先、とろりと揺れる酒気を取り込んだその人の唇がゆったり弧を描く。見てはいけないものを見た気がして目をそらした。もし悪魔がいるのならば、きっとあの人の様に美しく、そして艶めかしくあるに違いない。とろける眼差しで、甘く囁く唇から零れる魅惑の声に逆らえる者など厳格な祓い人しかいないだろう。もしかするとそれすらも堕とすだろうか、それほどに彼は美しい人だった。老若男女問わず惹きつけるその人にやられる内のひとりであることは、言わずとも分かることだろう。

不意に視線が合い微笑まれる。突然のことに驚くも、店員と目を合わせたとすれば注文に他ならない。酒の追加だろうかとその人が好む銘柄を手に取れば、嬉し気に目を細めたのでやはりそういうことだ。甘い展開を期待するわけではないが、少しくらい夢を見ても許されたかった。例えば、注ぎ終えたら呼び止められて名前と勤務時間を聞かれてしまうだとか、座って話さないかたとか、そういったことだ。
想像は自由だと内心で乾いた笑みを零しながらグラスを満たし、栓をする。視線は、上げない。

「なあ、お姉さん名前は?仕事何時に終わるん?」

静かに伸びてきた手が、空いている方の手に触れた。熱くも、冷たくもない体温が妙に馴染む。驚いて引こうとした手は、けれど存外強い力で掴まれ微動だにしない。じっとこちらを見つめる輝きは、今まで見ていたものとは違う感情を孕んでいる様に感じた。掴まれた手に力を込めてしまい、図らずとも握り返す形となったが、彼は穏やかに笑みを深くしただけだった。 正常ではいられない思考の中で絞り出した声は震えていたかもしれない。

待っている、とだけ優しく囁いたその人の手が離される。何事もなかった様子で酒に口を付ける姿に込み上げる恥ずかしさと戸惑いもそのままに、取り敢えず頷いてその場を後にするしか出来なかった。夢を見るくらい、などとただの戯言が現実になるなど、もしかしたら明日死ぬのかもしれないと思えてくる。せめてもの慈悲という可能性も有り得るだろう。そうであればもう少し彼と話してからにしてもらえないだろうか。人生で一番強く神に祈ったかもしれない。

「急にごめんな」
「いえ……何か用でもあったんですか?」
「ん?話がしてみとうて」

彼は、本当に待っていた。月明りに照らされ仄かに光る瞳が細まる。月光を取り込み反射するかの様なそれは酷く幻想的で、この世のものとは思い難く感じた。煌々と目元に光りが集まり、瞬く度に輝きが舞っていると錯覚してしまう。始終楽しそうにするその人はまるで無邪気な少女の様に笑んでいる。けれど、振り返り月を背にする姿はやはり、俗世の存在とはかけ離れていると思えた。美しいとも、恐ろしいとも感じる。 伸びてきた手が腕を掴み、そのまま手先へと滑り落ちてきた。壊れ物に触れるかのように、けれど決して離さないと言いたげにしっかりと、手に、指に絡む。それは先ほど店内で触れた時よりも熱く、重なる部分が火傷してしまうと錯覚するくらいだった。

自宅までの距離は然程無い。こうして女も働きに出るようになった世ではあるが夜分では危険なことに変わりはなく、あまり離れていない方が良いと言ったのは店主の妻だった。その為、とっくに通り過ぎた自宅を思いながらも握った手を離すことが惜しいと言い出せないでいる。もう少しだけ、これが最後かもしれないからを重ねて握った手の感触を心に刻む。良い思いをしたいと考えるのは、自分だけではないだろう。

「なあ」
「はい」
「家、こっちで会っとうん?」
「……え、と」

少しして切り出された言葉に狼狽えてしまった。もう通り過ぎたとは言えず、見下ろしてくる艶やかな瞳から逃れる様に一瞬だけ視線を外し、それから何でも無い体を装い笑んだ。しかし、ここで良いと言うはずの口は眼前の威圧感に開けないでいる。無言で見つめる彼は笑って誤魔化されてはくれないらしく、掴んでいた手に力を込めて来る。今この状況でなければさぞ胸の高鳴る思いだろうが、蛇に睨まれた蛙か、悪さの知られた子供か、居心地の悪さしか感じられない。
溜め息とひとつ暗がりに溶かした彼が来た道を戻っていく。その背はどこか拗ねているようにも見えた。

「まあ、教えるんは嫌かもしれんけどぉ……」
「あの、」
「普通に送らせてくれとぉてもええやん……」
「あの!」

今度は彼の方が子供の様だった。呼び掛けに応えた面白くなさそうな色をした瞳が向けられる。直ぐに逸らされてしまったそこに宿る感情は何となくだが読み取れた。疑問、落胆、哀愁。一緒くたにいた色はそれでも尚、美しく煌めいて見える。視線ひとつで言葉を引き出させてくるのだから狡い人だと改めて思う。

「手を離すのが惜しくて……すみません」
「それだけ?」
「その……勿体なくて」

小さくなっていく言葉とは裏腹に、彼の唇は大きく弧を描いていく。嬉しい、と言葉にはない気持ちがぶつけられた。初めて話す人に何を言っているのだろうと思う自分に構うことなく、ただただ嬉しいとその瞳が物語っている。
この双眸に捉えられると洗いざらい話さなくてはいけない気持ちになった。息をするように言葉を引き出されてしまう。月の光を浴びて煌めく艶やかな色は、心の内を簡単に暴いていく。その視線で心を直接撫でられ促されているみたいだ。
先ほどとは打って変わり機嫌を浮上させた彼は繋いでいた手を、指を絡めるそれに変えた。長い指が優しく撫でるので、背筋がむず痒くなる思いがする。思わず顔を逸らした際に見えたのは、静かな微笑みだった。

「今度は家の近く教えてな?」

小さく頷いたことに満足気な顔をした彼が足取り軽く歩き出す。その長い脚と自分のとでは絶対的な差が有るにも関わらずついて行くことがそれほど大変でないのは、彼が歩幅を合わせてくれているからだった。時折こちらを見ては歩みを合わせ、目を細める。それは子供の様に幼い仕草でもあり、獲物を狙う獣のそれでもあり、ちぐはぐに見えてどちらもしっくりと彼という枠に収まっている。
整った横顔を見上げ、夜の静寂に溶けゆく淡い輝きの瞳が瞬く様子に感嘆の息を零す。溢れんばかりの煌めきとは違った魅力を宿すそこは、自分と似た系統の色をしているというのにあまりにも違った。人が持っているものは羨ましく思うとよく言うが、それを差し引いたとしても彼の持つものは特別じみていた。気付けば目で追ってしまう色から、意識して目を逸らす。 その間にもアパルトメントの近くまで戻ってきていたらしく、ひとつ声を上げて足を止めた。同じくして立ち止まった彼を改めて見やり、名残惜し気持ちのまま、けれど努めてあっさりと手の力を抜く。ここまでだという意図に気付いている彼は残念そうに表情を崩した。どうして、と問うよりも先に未だ繋がれたままの手を引かれ、勢いのまま傾ぐ身体を受け止められる。間近に迫る体温と甘い匂いに、頬に熱が集うのが分かった。絡められたままの指に力が入ってしまうが、嬉しそうな笑みを深められるだけに終わる。
離れがたい。言葉ではなく態度で言われていると気付かないほど鈍くはない。まだここにいて欲しいと、都合よく解釈しているだけではない、彼もそう望んでいるのだと自惚れても良いのだろうか。

「またこうやって、会いたい」
「わ、たしも……」

窺い見た彼は表情を明るく華やかなものにしていた。ふわりと花を飛ばさんばかりの微笑みは、こちらの気持ちまで明るくする。温かい気持ちに満たされ口元を緩ませていたが、見るからに上機嫌のまま繋いでいた手の甲に口付ける彼に、言葉にならない悲鳴を上げた。

「また、な」

何を期待していたのか、あの日から2週間が経った今でも彼を見ることは無かった。店にすら顔を出していないのでただ仕事が忙しいだけと思うことが普通ではあるが、もしかしたら体調を崩していることも、と余計に勘ぐってしまう。からかって満足した、とは思えないあの夜の眼差しを思い出し何とも言えない気分になる。
定位置である奥の席も、賑わいもあり他の客で埋まっていた。
まるで海の様な人だ。強く押し寄せあっという間に浸食すると同時に、あっさりとあっけなく、けれどしっかりと痕を残し引いていなくなる。あの強い輝きを持つ瞳で心に爪痕を残していくだけで、本人はどこにもいない。狡い人、ただただそう思った。
夜の帳も落ちきり、それどころか建物の向こうに朝日が顔を見せる頃にようやく店が閉まる。どうやら祝い事があったらしく、店主の友人ということもありこの状態であった。無礼講だと客に勧められるまま飲み続けた酒はとうに消えたが、においはどうしても無くならない。早く帰宅して身綺麗になりたい、と仕事に向かうであろう人々の中を通り抜け家に向かう。今日明日と休みな上、特別に賃金を増やしてもらえたため文句は言わないが、疲れたと息をすると同時に零してしまうのは止められない。睡魔に抗いながら集合住宅の階段を上がる。一刻も早くこの酒と煙草に塗れた服から解放されたい一心で鞄を漁り鍵を探す視界の隅、何か大きな物が掠めて視線を上げた。
扉の前、抱えた膝に頭を預けて船を漕いでいるその人に、思わず出掛けた叫び声を無理矢理飲み込んだ。取り落とした鍵が地面に当たる音が、静かな空間に大きく響く。僅かに動いた瞼がややあって持ち上がり、音の正体を探ろうと見回している緑の瞳がこちらを捉えた。眠気の残るぼんやりとした輝きが明るいものへと変わり、朝日を取り込み煌めき弾ける。ひとつふたつ瞬いたそこには喜色と安堵が浮かんでいた。身体を伸ばして立ち上がった彼は少しだけ掠れた声でおかえりと笑った。未だ消化出来ない驚きのまま、ただいまと返す。

「迎えに行ったけど、帰るの無理そやなて」
「それでここで待ってたの?」
「会いたなっとぉ。あかんかった?」
「そうじゃなくて……凄い冷えてる」

ほんの少しだけ困った様子で眉を寄せ首を傾げる彼に慌てて駆け寄る。触れた手はすっかり冷えて、強く握りながら嬉しいと笑えば安心した面持ちで微笑んでくれた。会いたいと思ってくれたことは本当に嬉しく、もし恋人の関係であればすぐにでも抱き締めていたことだろう。自分も会いたいと思っていた、同じ気持ちだということもあり舞い上がる思いだった。
けれどこのままではいられず、落とした鍵を慌てて拾い中へ促す。この時間までここにいると言うことは彼も休みなのだろう。一刻も早く眠りたいとばかり考えていたが、ここで彼を放っておくことは勿論、帰すことも出来はしない。何か温かいものを淹れて、彼さえ良ければきちんとした所で寝直してもらいたかった。自分は床でもどこでも構わない。湯を浴びれさえすれば寝る場所など些細なことだ。本当に良いのかと視線で問い掛けてくるので頷くことで了承し、嬉し気に微笑んだ背に続いてやっと我が家に帰宅した。
物珍しそうに見回す彼をそのままに、温めた牛乳にブランデーを少し垂らす。自分のものには蜂蜜を入れた。 「これ飲んだらもうひと眠りして」
「お前は?」
「私はこのにおいを何とかしたいから」
「寝るとこ、使ってええの?」
「うん。まあ、そんな上等なものじゃないけど」
「お前はどこで寝るん?」
「床」

途端、緩み切った眼差しが冷たいものに変わる。弧を描いていた唇と尖らせたその表情は不満気だった。何に対してかというのは分かっているので問うことはしない。優しい彼が床で寝ることを良しとする筈がないとは予想出来ていた。しかし、それ以外に解決策が思いつかない。代わりに彼が床で、というのは勿論考えたがそれはこちらが断固拒否したいのだ。じとりとねめつける視線を、知りません気付いていませんと躱して着替えを掴んで浴室に逃げた。先に寝ているように言い付けることも忘れない。
勢いで押し切れるとは思っていないが、あれ以上の問答を続けていればこちらが負けてしまうのは明白だった。知り合って時間も経っていない状態で強く出ることは良くなかっただろうか、しかし長い時間を外で待たせてしまったことは、約束をしていないので彼の意志と分かっていても負い目になっている。
湯を浴びながら、これ以上は出てから考えようと不快感を落としていった。


心身共にすっきりして戻ったそこに彼の姿はなく、諦めて寝てくれたかと寝室を覗く。部屋の奥、緩やかな朝日の差し込む窓辺で手元に視線を落としている姿はまさに絵画で見惚れてしまう。本を捲るだけの、何の変哲もない仕草がこれぼどまでに目を引くことがあるだろうか。静謐な空気を纏い黙々と読み解く横顔に思わず息を呑んだ。神聖とも称せるその様は声を掛けるには恐れ多く、ただ見ているだけしか出来なかったが、それよりも先に気付いたその人が顔を上げた。瞬間、纏っていた空気は一気に霧散する。打って変わり柔らかで人懐っこいものへと全てが変化し、待っていたと訴えけてくる眼差しに苦笑した。何をするでもない、寝ているかを確認しただけだというのにこの歓迎である。手にしていた本は既に枕元の本棚へと追いやられ、両手を広げて彼が示す。

「行きませんよ」
「えー」
「大人しく寝てね」
「嫌やー折角家に上げてもろたんにー」
「そりゃあそこで帰せないでしょう」
「一緒に寝よ?」
「駄目でーす」

胸の前で腕を交差させ拒否の姿勢をとったが、何を思ったのか詰め寄ってきた彼に腰を掴まれ持ち上げられた。出掛かった悲鳴を堪えることに必死になっている間にそのまま寝具へと連れ込まれる。なんと強引な、と閉口するのも気にすることなく満足気な緑の瞳が細まった。誘惑されて、と眼前で微笑む完成された表情に勝てる者がいるのならば今すぐに名乗りを上げてほしい、切に思った。

「なんでそこまで」
「俺な、お前んこと好いとぅ」
「冗談では、」
「ない」

壊れ物を手にする様な、脆い存在に触れる様な手付きで髪を梳かれ、頬を撫でられる。溶けてしまいそうなほどに甘やかな瞳には確かに好意が滲んでいた。いつもの緩やかな声で紡がれる好意的な言葉は、思考を駄目にしていくには十分すぎる。砂糖に漬けた果実を煮詰める如く、熱く、とろりと揺らぐ。湯を浴びたからではない身体の火照りにぼんやりとしてしまう。ままならない頭では頷くことしか出来ない。
いくつかの言葉に頷きで返したあと、今まで見た中で一番華やいだ笑みと共に抱き締められた。本当なら言いたいことや聞きたいことがある。けれど、もうこの人なら何でもいい。抱き締められるたびに、その唇が触れるたびに、胸を締め付ける懐かしい気持ちに溺れた。どうして、こんなにも泣きそうなほどに想いが溢れるのだろうか、分からない。分からないが、この人を受け入れたいとしか考えられなかった。


空腹に意識が浮上する。辺りはすっかり暗く、星すら瞬いていた。昼過ぎには起きる予定が何故、と隣を見て納得する。眠りに落ちる前の事を鮮明に思い出せてしまった。夢かと思うのも無理はないが、現実であることは自分が一番良く知っている。
食事を用意するついでに考える時間を、と抜け出そうとしたところで手首を掴まれ声が出た。大きな手は強い力で、どこへも行かないでと言っているように思えた。恐る恐る覗き込んだ彼は未だぼんやりとした眼差しではあったものの、じっとこちらを見ていた。

「行かんといて」
「ここにいるよ」

吐息に紛れて消えてしまいそうな声に恥ずかしさや葛藤はどこかへ行き、ただ愛しさだけが残る。甘えて伸ばされた腕に抗うことなく横になり身を寄せた。安心しきった様子が可愛くて、勝てないなと額に口付ける。

「そこやないよぅ」
「ここが精一杯なの」
「なら俺がしよ」


あの日から彼という存在はあっという間に心の内に入り込み、傍にいることが当たり前と思うようになっていった。時間が合えば仕事終わりに迎えに来たその足で家に泊まっていくこともある。自然と増えていく彼の物が何だか嬉しかった。会う頻度も時間も決して多いとは言えないが、それでも幸福だった。最初の頃、店の隅で杯を傾ける横顔に惹かれていた時とは違う胸の高鳴りは、酷く温かく優しいものを生んだ。大切にしたいと、強く望んでいる。
それは彼の方も同じだということは分かっていた。声が、態度が眼差しが、彼の持つ全てが大切だと伝えてくる。想われていると、何をせずとも分かる。
けれどひとつだけ、望まないのか口にしないことがあった。初めて家に招いた日から季節は既に幾度か巡ってたが、未だ共に住もうとも、結婚しようとも言われていない。何か理由でもあるのだろうかと思えど、面と向かって訪ねる勇気はなかった。縋って、乞うて、そうして失敗してきた人たちを知っているからこそ、その一歩が踏み出せない。面倒な女だと思われたくなかった。卑怯だと理解していても、いずれ彼が口にするまで待っていると、決めた。
その日が来ないことを、知らないまま。
「お前に、謝りたい」
「心当たりが多すぎる」
「全部や」
「全部かぁ」

その違和感に気付き始めた頃、彼は姿を消した。気付いた、それがいけなかったのだろう。一言、書き置きを残して、昨日までいた痕跡を残して、心に存在を残したまま。いつか帰ってくるだろう、などとは思えずもういないのだと漠然と思ったのを覚えている。
その彼が今、記憶の中の姿形そのままで立っていた。もうあまり見えていない目でも分かる鮮やかな輝きも変わることなく、美しい。伸ばした手をあの頃と同じ様に握られ涙が出そうになった。人が死にそうな時によくものこのこと顔を見せれたなと内心で悪態を吐くも、最後に一目見られて嬉しいとも思う。もしかしたらあの時聞けなかった、一緒に暮らせない理由を伝えに来てくれたのかもしれない。
互いの指が絡む。当時と変わらない心地に、きっと一生この人を好きでいるのだろうと笑った。もし次が有るならば、その時も彼に会いたい。そうして、またこの人に恋をしたい。その際は一緒に住む約束を取り付けることを忘れないようにしなければなるまい。そうでなければ自分が国だと知られそうになると自らを断つ彼は、またいなくなってしまうだろう。何もかもを知って絶望するのはこれっきりで良い。

「最後に約束して」
「何でも言うて」
「次は一緒に住んで」
「そ、れは……」
「わたしはね、あなたと暮らしたかったよ」

一緒にいるだけでも幸せだった。毎日が輝いていた。共に暮らせたのなら、様々なものを共有して、言葉を交わして、もっと近い存在になれたらそれはきっとずっと尊く輝いたものになるだろう。彼の存在を思うと難しいことだと理解していても、最期くらい我が儘を言って困らせても許してもらえるに違いない。
前向きな返事は期待していなかった。ただ、ずっとそう思っていたことを知ってもらえただけで良かった。おやすみ。目を閉じる寸前、約束と甘い声が聞こえた気がした。




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