その楔は海の色をしている

開けられている窓から入り込んだのだろう緩やかな風が前髪を攫い、額をくすぐる感触に目を覚ます。既に仕事へ行ったらしい、いつもは隣でいつまでも眠っているはずの彼の姿はもうない。体温もとっくに失われているシーツは僅かに慣れ親しんだ彼の香りが残っていた。自然と温度の上がる室内で快適にいられるようにか、穏やかな気候と風を感じられる環境にされていたので見事に寝過ぎてしまった。本来ならばもう少し早く起きて、今頃は選択も大詰めだっただろう。珍しくも雨が続き溜まった洗濯物はいくらふたり分だとしても多い。一人暮らし用の小さな洗濯機にとってはさぞ大仕事になるに違いなかった。この国の良い所は洗濯物が良く乾く点だ。今から干したとしても本日中に乾いてくれる。そうと決まればさっそく取り掛かるとしよう。心地良い風と外を行き交う人の声を感じながらベッドから抜け出した。


洗濯機が仕事をしている間に床へと向かい合う。ここへ来てからお世話になっているそれにシートを取り付けた。掃除機の方が楽なのかもしれないが、物臭な自覚が有るので導入したら最後、掃除をしなくなる未来が見える。この便利な掃除シートが今のところ一番なのだ。彼でも簡単に出来るところも高評価である。そもそもあまり物の置けないアパートに掃除機の収納場所を確保することも困難で、狭い室内ではメリットが見い出せない。このご時世、探せば小さく軽く簡単で高性能なものもあるだろうが、ああいうごちゃとしたものにはやはり手を出そうとは思わなかった。頭部分の付け替えも面倒である。綺麗になれば良いのでわざわざ今の満足した状況から変える必要もないだろうて、そうこうしている間にあっさりと掃除を終わらせ台所へ向かった。
作り置いてくれたのか、朝の彼の残りか判別しにくいコーヒーをカップに移して牛乳を注ぐ。一目見た冷蔵庫の中身は寂しいもので、昼食にしてしまえば全て消えてしまうといったところだ。互いに忙しく満足に買い物に行けなかったこともあり、常備菜すら底を尽いている。帰宅してから作る気力も持ち合わせがなかったため、ほとんど外で済ましていたように思う。唯一生きているのはバカリャウくらいだった。これを切らしたら彼が物凄くがっかりするので然るべきではあったが。
洗濯が終わったら買い出しか、とカップの中身を空にした所で洗面所から洗濯機の呼ぶ音がした。あともう一回頑張ってもらわねばならない。中身を入れ替え再度ボタンを押す。大袈裟なまでな音を立てるのを聞いてから洗濯籠を抱えバルコニーに出た。アパートに付いたそれはたかが知れた広さではあるが全てを干すわけではないので何も問題はない。慣れた手付きで籠の中身を減らしていたら下から声がかかる。身を乗り出した先にいたのは近所の奥さんで、市場の帰りなのだろう、両手に大荷物だった。恰幅の良いその人の声は良く通る。

「今日の夕飯は決まってる?メルカードに良いイワシが入ってたわよ!」

そう言う彼女の手にも膨らんだビニール袋が握られていた。洗濯を干していたら間に合わない気がしてきたのでとても困る。彼のためにも大量に買い込んでおきたい、と思いながらイワシ柄の下着を吊るした。いつどこで買ったのかが謎な下着が数枚、彼用の引き出しに入っているのである。
さて、イワシは欲しいが洗濯物を放り出して行くわけにもいかない。機械が止まってから干し終わるまでにかかった時間は今までで最短のように思える。財布と鞄を引っ掴み、色々とおざなりのまま部屋を飛び出す。日本と違い外出時にきっちりとしなくても良いのが幸いした。小走りで坂を下りる途中、先ほどの奥さんに帰りに家へ寄るように言われて手を振るだけで応えた。
半ば駆け込んだ市場は地元の人だけではなく観光客でも賑わっている。和気藹々と買い物を楽しむ人たちの間を掻い潜り目当ての店へと辿り着けば、でっぷりとして脂の乗ったイワシが出迎えてくれた。室内灯を浴びて光るそれらは心なしかいつもより煌びやかに見える。これは彼の喜ぶ顔が容易に想像出来る。数多く仕入れたとして問題は無いため、店頭のほとんどを買ってしまった。事情を知っている店主は豪快に笑っておまけまで付けてくれた上に、買い物を済ませる間は店に置いといてくれると言うのだから持つべきものは顔馴染みの店主である。支払いを先に終わらせ次は野菜を、と踏み出して直ぐに立ち止まって携帯をポケットから引き出す。買う量が多く下手をすればひとりで持ち帰るのは困難を極めるだろう。時間が合えば仕事終わりの彼にここへ寄ってもらえないか連絡を取ることに決めた。普段はあまり電話に出ない彼も仕事時であれば比較的繋がりやすい。あまり良くないとは思うものの、メールでは気付かない可能性が跳ね上がる。果たして出るだろうか、という不安は2コールで杞憂に終わった。

「どないしたん?」
「買い物の量が多くて、帰り寄れそう?」
「あと少しで終わるよぅ。待っとうて」
ゆったりとした余裕のある声音から、仕事が落ち着いたことを察する。先週はあまりにも精気が無かったので疲れているところを悪いとは思うが、背に腹は代えられない。朝から口にしたのはカフェオレだけの空腹を訴える胃を満たすべく、到着するまで何か軽く食べていようと市場を見渡した。肉が食べたい。

腹ごしらえを済ませても未だ彼から連絡が無い。魚屋の店主に状況を話せばまだ預かってくれると言うので、目星だけでも付けておくかと肉屋を覗いていたら後ろから肩を叩かれ振り返った。ほんの少し息を弾ませた彼が、申し訳なさそうな顔で立っている。乱れた髪を手櫛で整えてやりながら言葉を待てば、嫌がることなく享受する彼がズボンの前ポケットに触れて微笑んだので首を傾げた。何かあるのだろうか、けれど彼のことなのでもしかしたら忘れたと思っていた端末が入っていただけということも有るので対して気にすることもなかった。

「少し寄るところがあっとう。堪忍な」
「それは良いけど、着いたら連絡してよね〜」
「あ、忘れとうた」

更に眉を下げるので首を横に振って手を繋ぐ。責めてはいない、と言外に伝えたことが分かったらしく、表情を緩ませ握り返してきた。大きな手は暖かく、かなり急いでくれたことが分かる彼をどうして怒れようか。市場の閉まる時間にも間に合っているので何も言うことは無い。強いて言うなら早く買い物を済ませて帰らないと夕飯が遅くなってしまう。ここの人たちは食に対しての時間が遅いこともあり、開始時間が夜分であろうと気にはしない様ではあるものの、自分的にはあまり遅くては就寝時間に関わるため渋るところだ。そして何より遅くに食べると太る。ただでさえここへ来て腹部の肉が危険なことになっているのでこれ以上は何としても阻止したいところだった。
なるべく野菜を多目に、と覗いた八百屋は色鮮やかな野菜が所狭しと並び目にも美しく映る。どれにしようかと悩む横から彼が食べたいものを示してくれるのでとても助かった。扱い難いものでも彼が使うと言うので購入に迷いはない。こう見えてわりと料理を楽しむ人なのが幸いした。
直ぐに彼の両手を塞ぐほどになった袋を難なく持ちながら後ろをついてくる様子に感心してしまう。線が細く儚げで力仕事とは無縁の雰囲気を漂わせるこの人は、その実結構な力の持ち主だ。握力も腕力も想像よりずっとあるのは勿論のこと、衝撃にも耐えうる足腰と体幹をも兼ね備えている。全盛期、所謂、大航海時代に世界を牽引した海の覇者の時分とは比べ物にならないほど全てにおいて衰えたと言うが、今でこれであるからして昔の凄さたるや、察して知るべしである。流石はケーキ感覚で世界を半分にした国の片割れだ。この甘やかな容貌の下に隠れた激情はさぞや凄いものだったのだろう。じっと見上げた先、滑らかに光るクロムスフェーンの瞳が眩しそうに細まった。今や見る影もないとは一体誰の感情か。


満足行くまでとは言えないものの必要なもの以外もしっかり買い足した帰り道、行きに寄るよう言われたことを思い出し、奥さんの家の呼び鈴を鳴らした。分かっていたのだろうその人は袋いっぱいに詰まったオレンジをくれた。親戚から届いたそれを自宅では消費し切れないため周りに配っているのだと言う。若いから沢山食べてほしい気遣いが今は厳しいと思うも、言えずに笑顔で受け取った。流石にしんどいと零した彼は、けれど荷物をこちらに回すことはしない。比較的軽い物しか持っていないのでオレンジを持つことはさして問題ではないが、頑なに首を横に振るため早く帰るしか出来ることはなかった。
お互い思うことは同じか、普段より早く着いたアパートの扉に鍵を差し込む。暗く静まり返った部屋でも、日本にいた時とは違いひとりではないことがどこかくすぐったく、それから嬉しかった。ただいま、と言えば後ろからおかえりと返ってくる。顔は見えないが、きっと優しい面持ちでいることだろう彼を振り返り、おかえりと見上げた。素直に点いた蛍光灯の下、ぱちりとひとつ瞬いて、花が綻ぶ様に優しく穏やかな微笑みでもってただいまと口にした彼は、両手に抱えた沢山の荷物を上手く避けて頬に口付けてくれた。その自然な動作を当たり前のものとして受け入れているのだから慣れたものだと感慨深い気持ちになる。息をするようにキスをして、慣れた様子で外靴を脱ぎ薄いサンダルを履いた背中を見送った。土足で自宅に上がることに抵抗のあるこちらと、靴を脱ぐことに違和感のあるあちらとでの妥協案がこのサンダルだ。派手な色使いのそれは実に彼らしい。軽い足音を立てて早々に台所へと引っ込んだ彼に続いて覗き込んだときには全部の荷物から解放されて調理台にもたれかかっているところだった。ただ伸びをしているだけだと言うのにこの色気はなんだろうか。冷蔵庫から取り出した水を手渡しながら見つめた彼は言わずもがな、ただペットボトルに口を付けるといった行為だけでも絵になった。

「お疲れ。ゆっくりしてて」
「片付けとかせんでええの?」
「良いよ。ご飯まで休んでて」
「手伝うよぅ」
「やっと仕事落ち着いたんだからお休みして」
「お前もやったと違う?」

軽く頬を膨らませながらも大人しくソファに腰を据えた彼は拗ねた視線を送ってくる。すっかり飲み干してしまったペットボトルを投げて寄越したのは精一杯の抗議のつもりだろう。それくらいで怒りはしないと学習しているのか否か、背を向けて寝転がるのでつい笑ってしまった。カウンター式の良いところはリビングの様子が見られることだ。ああは言っても疲れの溜まっている彼が規則正しい寝息を立てるのに時間がかからなかったことが直ぐ分かる。柔らかな癖毛が、入り込んだ風に揺れていた。西日は眩しさを伴い街中を朱に染め上げて、例外なく自宅のバルコニーも飲み込んでいる。暖かな陽に透けて金色に縁取られた彼の髪が、今一度大きく揺れた。


香辛料を多用することが目立つこの国の料理は未だに慣れたとは言えない。元より味の薄い日本食に馴染みがあるのだから道理と言っても良いだろう。彼が日本に対して好意的であったとしても、やはり自国の味付けを好ましく思うに決まっている。今まで扱ったことのないそれらに悪戦苦闘しているのを見かねた奥さんたちが善意で作ってくれたレシピ本はいつまで経っても手放せそうにはなかった。今日も同じく睨み合っている最中だ。料理の中でも遠巻きにしがちな魚介を扱うものが多く、こと鱈に至っては365日違うものが作れるほどに種類は豊富で、近所の知り合いたちに聞いても埋まらなさそうだ。
最低でも彼の好きな物だけでも完璧にしたいと思い練習を重ねた結果はご覧の通りで、淀みなく行われた調理の末に皿を埋めるバカリャウに思わず満足気な息が漏れてしまう。食事には欠かせないソッパも、手軽に摘まめる前菜も準備は万端だった。残るはこのイワシなのだが、はてさてどうしたものかと首を傾げている間に、匂いに釣られて起きてきた彼が肩口から覗き込んできた。寝起きで掠れた声が何とも言えない色香を放っている。それでも肩に懐いてくる様子は可愛いのだから狡い。ゆったりと腹部に回る腕を軽く撫でてどうしたのか問えば、締まりの無い声が返ってきた。猫がする様な頬擦りは、猫よりもうんと大きい彼がしては重みに耐えれずよろけてしまいそうだ。そのようなことは露知らず、構うことなく体重を掛けてくるのであわや、となる寸前にまな板の上の存在に気付いて身体を起こした彼が嬉し気な声を上げた。今度は勢い良く尻尾を振る犬に見える。

「何にするん?」
「それが悩みどころなの」
「なら、俺がやってええ?」
「良いの?」
「勿論」

鼻歌混じりに袖を捲り手を洗うので場所を変わる。決して広くはない台所に些か窮屈そうに思うが、不思議としっくりきた。そのままイワシに手を伸ばすのを見ながら、全て任せてしまった方が良いと思い、残る準備に手をつける。皿を取り出し、カトラリーの引き出しを開けた。人が来るわけでもないそこには4人分ほどしか収まっていない。専ら、時折訪ねて来る彼の隣人用だ。有り難いことにトマトをおすそ分けしに来てくれるのである。今年もまた訪ねて来るだろうか。吹き込む緩やかな風はほんのり夏の匂いがした。


小さなテーブルに乗り切らない数となった料理に、しばらくは残り物で食べていけるかもしれない気がしてきた。彼が好む大皿のバカリャウ料理はどう見積もったとしても4人前がある。ソッパも大鍋で作ってしまったし、アラカルトも皿数は多い。極めつけには良い香りのするイワシとくれば、流石の彼も食べきれはしないだろう。ワインを片手にゆっくりと食事を楽しむこともあり、量を思うと仕舞う際の冷蔵庫の心配の方が勝ってしまった。
生ものだけは片付けておかなければ、と白身魚のカルパッチョに手を付ける。目の前の彼はイワシに釘付けだ。買って良かったと思わせてくれるのだからこちらとしても大変満足だった。狭いグラスの中で揺れるワインが、彼の機嫌の良さを示しているように見えた。

のんびりとした食事を終え、疎らになった皿の上を纏めていく。考えていたよりも量が無いのは、予想以上に彼が腹の内におさめたからだ。その薄い場所のどこにあの量を、と思いもしたが満足してくれたのならば何よりである。デザートに貰ったばかりのオレンジを切り分け盛った皿を突きながら、ゼリーが食べたいとおねだりされたので明日の予定がひとつ決まった。甘酸っぱい果肉を噛みしめて、ようやく一息吐いた心地にソファへ深く腰かける。片付けを後回しにしては永遠に終わらないと目に見えてはいたが、一度座ってしまえば身体は重く立ち上がることはままならない。優しく体を受け止める柔らかさに沈みながら、隣に座っていた彼の太ももに頭を乗せる。何も言わずただただ労わる様に髪を撫でるので、うっかり眠りそうになってしまった。点けたままにしていたテレビをぼんやりと眺め、段々と焦点が合わなくなりそうな瞬間、耳に冷たい何かが触れて我に返る。背筋を抜ける何とも言えない感覚に肩を竦め上を見た先に、構うことなく触れたままの彼の手に一瞬だけ緑が見えた。感じた重みは、それが世間一般的にその辺の店で売っているものではなく、とても高価なものだと示しているようなものだ。僅かに見えたのはごてごてと飾り付けられたものではなく、支えるための装飾だけで、形だけで言えばとても落ち着いたものだろう。その大きさはどこも大人しくはないとは今は心の内に秘めておくことにした。これくらいの大きさのものをすることは多々あるが、彼が手にしていたほどの重さは初めてだ。そもそもが高級店などに行くことすらないため触れる機会は無い。付けた本人は酷く満足気に微笑んでいた。反対を向けと目だけで言われて体勢を変える。動いた際に捉えた大きさにぎょっとしたのは言うまでもなかった。想像より倍はあるだろう。

「似合っとうね」

懐かしむ様に耳を触られ、見下ろす瞳に宿る色とうっとりした声音からこれが形見だと悟った。彼女のための大切な品を自分が身に着けても良いものかと思いもしたが、渡してきたのは彼の方であり、野暮だろうと問うことは止めた。思うところがあってのことだろう。後ろにあるものがどうであれ、今の瞬間の言動は全て自分に対してだということに間違いはない。この人なりに愛そうとしてくれていると考えれば悪くはなかった。形見が贈られたのは些か重く感じてしまったのは黙っておくことにする。
手を伸ばして頬に触れ、そのまま柔らかな癖毛を梳くように指で撫でる。耳にかかるそれを掛けてやりながら、そう言えばと顕わになった彼の耳たぶを摘まんだ。似たような色をしたのをしていた記憶がある。手探りで探した目当てのものは、さして時間もかからず指先に触れた。滑らかな触り心地のそれは、自分の目を彷彿とさせる色をしている。室内光を浴びて、ひとつ煌めいた。

「これを取りに行っとうたんよ」
「修理してたの?」
「金具がゆるぅてな」

言いながら、座ってほしそうな顔をするので身体を起こす。完全に下がって初めて分かる本来の重みに一瞬動きが止まってしまった。恐る恐る目を合わせた彼は笑みを深くして擦り寄ってくる。首に腕を回し抱き寄せた背を撫でて、問うべきか否かを考えた。何も聞かず受け取ることも選択肢の内の、それこそ一番上にあるひとつだが、果たしてそれで良いのだろうか。形見だと言うのなら誰にも触れられることなく自分だけの思い出として大切に仕舞い込んでおけば良い。けれど、それをすることなく修理に出してまで贈る意図が分からなかった。言葉にしてくれないと分からないことが多いが、彼はあまり言葉にする方ではない。他人の考えを察することは難しいことが前提条件であり、加えて国ということもあり考え方はそれこそ理解の範疇を軽々と越えていくだろう。もう少し言ってくれれば、と思ったところで腕の中の彼が身じろいだ。

「あんなぁ」
「ん?」
「これは、楔なんよ」
「何の?」

こめかみに擦り寄ったまま小さく呟くので、撫でていた手を止めて相槌を打つ。向こうから話してくれるとは思っていなかった。離れる気配は無いのでそのまま好きにさせ、まるで子供に御伽噺を聞かせる時にも似た彼の声に耳を傾ける。ほんの少し、甘やかな声を上げて彼が笑った。

「あいつにあげた、最初で最後のでな?再会したら必ず返す約束しとうんよ」

つまるところ、最初から今に至るまで自分という存在はこの品を身に着け、想いを重ね続けてきたというわけだ。楔とは言い得て妙だった。これを持つことで自分は彼の永遠の一瞬という存在となる。ふたりの関係を繋ぐ、大切な楔。
彼女と自分を重ねているため贈っていると考えていたことは間違いであり、彼からしたら持っていることが当たり前なので持ち主に返しているという感覚なのだろう。ただ預かり続けているだけ。
やはりこうでなければ、と満足そうに指で突く所為で揺れるピアスは見た目の通り重い。いずれ耳たぶが裂けても可笑しくはないかもしれなかった。大きな石を掴み、テーブルに置いてあった鏡でその全貌を確認する。深くも鮮やかな緑は、先端に行くにつれて透き通りながら輝いていた。濃い、けれど抜けるような美しさを持つそれは蛍光灯の明かりを取り込み、その輝きを辺りに散りばめている。光の射す角度によって金や朱が煌めいた。この値段を考えることは絶対に止めると心で誓う。金具部分を彩る石も、確実に目玉が飛び出る額に違いない。

「ルアのやつと似てる」
「元々はお揃いやったけど、俺んはあそこに置いてきとう」

自身の石に触れた彼は少し逡巡してから力無く笑った。あそこ、と言うのは聞かずともすぐ理解出来る。大陸の果て、海の始まる岬のことだろう。きっとあの真白の石の下に、彼女と共に在る。それはとても良いことだと思うし、そうあって良かったとも感じているので彼が申し訳なさそうにする理由が分からない。歯切れ悪く言葉を濁す様子に肩を竦めて笑ってしまった。

「もしかして、彼女の所に置いてきたのを貴方の心は彼女だけを想っている、なんて解釈されるとでも思った?」

何気ない言葉に目の前の身体が揺れて固まる。どうやら図星らしく、耐えきれず笑ってしまったことを許して欲しい。泣きそうなほどに柳眉を下げる大きな子供をもう一度強く抱きしめた。

「ありがと、返してくれて」
「うん」
「そんなこと思ってないよ。ちゃんと、ルアは私を想ってくれてるの分かってるから」
「……ん」

大人しく腕の中に納まる彼の旋毛にキスをすれば、くすぐったそうに身を捩るのでもう一度しておいた。これを見るに、彼は最初だけでなくそれ以降の自分とも何かしら約束を重ね続けているに違いない。それを内包しているのがこのピアスと言ったところか、やはり楔と称するに相応しいと思った。
積み重なり続ける約束は彼を縛る鎖となるのか、はたまた原動力になっているのか、どちらか分からないが自分も以前の彼女たちに倣って何か約束でもしてみるか、とうとうとし始めた彼の頭を撫でる。あまり足枷にならないものが良い、そう笑った。




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