惰性で伸ばしている髪に隠れた耳に、自分には不釣り合いな飾りが揺れることになってからまた一年が過ぎた。あの人があれからまたぱったりと来なくなったのは海に出ているからだろうか。船乗りは港ごとに女がいる、というのは父の言葉で、まさか父もなどと勘繰ってしまったのが懐かしい。父はただ近海で漁をしているだけなのでそのようなことが有るわけないのだ。けれどあの人はかなり遠くまで行くと言う。だから、そういうことかと納得するのは早かった。数多くいる内のひとり。まだ両手で足りるほどしか顔を合わせていないのに、図々しくも妬いているのだから面白い話だ。自分にだけと、一瞬でも思ったりして、そんな恋に溺れる少女のようなこと。お門違いも甚だしい。その他大勢の内のひとりでしかないことを自覚しなければいけないのに、それが出来ない理由は言わずとも分かる。いくら外すなと言われているからといって律儀に守る必要のないことを続けて未練がましくも飾りをしたままなのも、あの人が訪ねてきた際に少しでも気持ちを向けてくれたら、なんて不純な思いから。これをしていることできっと美しい微笑みを向けてくれる。そう思うと、割り切ることはまだ出来なかった。一時でも良いからなどと笑えてきてしまうが、愚かにも本心だった。
「遊ばれてるだけなのになぁ」
「誰に?」
水差しの中を覗き込めば馬鹿な女が映っているはずだった。だというのに、そこには柔らかな癖毛を揺らすその人が共に見えたのだから驚きに落としそうになる。声にならない悲鳴を上げ振り返れば、にこやかながらもどこか目が笑っていない火中の人物がいた。下手なことは言えず、先の言葉は何でもないと首を横に振る。些か納得のいかない様子ではあったがものの、鋭い空気を和らげた彼の手がこちらの髪を掬った。露わになった耳にある飾りに頷き、反対側も確認して満足したらしくうっそりと微笑まれ胸が苦しくなる。望んでいたものをこんなにも早く拝ませてもらえるとは思っておらず、作り物めいた美しさの、けれど本心から来ているのであろう無邪気な子供を思わせる笑みが酷く嬉しかった。この調子では割り切るのはやはり難しい。彼が望むなら、出来る限りのことをしたいと思ってしまっている。何もせず、何も言わず、彼の好きにさせていた手が離れていく。うっかり抱いた寂しさから目で追っていまいそうになるのを堪え、誤魔化すために笑った。
「久しぶり」
「ん。元気そうやね」
顎に手をやり数度頷く彼にも変わったところは無く、寧ろ変わらなさ過ぎていた。変わらず、しっとりと濡れた美しさを持って微笑んでいる。寄港して間もないのだろう、頬に触れた指はほんのりと潮の匂いがして、よくよく感じれば濃い海の気配がした。そのまま何かを確かめるみたく頬を撫でられ、目のすぐ下を親指が滑る。そのままじっと見詰めてくるこの人は、未だにこの目が欲しいのかもしれない。よく飽きもしないな、と考えたところで気付く。彼は容易く奪えるはずの目をそのままに、衝動を似た色の石にぶつけ妥協している、と。
「欲しい?」
「素直に言うたらくれるん?」
「今はまだ駄目ですけど……」
「今は?」
思わず零れた言葉に彼が笑うから、将来的にはと答えたらきょとりと幼い顔で瞬いた。なんてことはない、今の自分を思えば環境的にも心情的にも思いつきそうなことだっただけだ。この歳にもなって嫁に出ていないとなればこの先もこのままでいる可能性が大きい。家は弟が継ぐにしろ嫁を貰うにしろ、両親の面倒を見なくてはならなず、それには両目が無いと不便だ。けれど、それが終わればひとつくらい無くても問題は無いだろう。両方欲しいと言われたらそれは少し困るので、そこは要相談ではあるが。
その時もまだ会う関係で、欲しいというのならあげても良いと思った。目を渡しても良いなどとは、我ながら惚れこんでいるな、と心の中で苦笑する。彼にとっては数多いる内のひとりだと分かっていても、良いかなと考えてしまったのだから仕方ない。
「待てませんか?」
「……せやったらそれまで丸ごと貰ってまお」
「はい?」
その真意を知る前に、にんまりと笑んだ彼が噛みつくように唇を塞いできた。