新しい世界をふたりで迎えて
不意に意識が浮上して、随分とはっきりした頭のまま枕元のスマホに手を伸ばす。まだ陽の昇らない時間。とっくに切れてしまっていた空調をつけ直すか迷い、このくらいなら窓を開けた方が良い気がしてカーテンを掴む。まだ薄暗い海からさざ波だけが届いて、穏やかなそれに自然と気分が凪いでいった。少しの間目を閉じたままそうしていたが、ふと開けてみた先、空と水平線の境が薄らと色を淡くしているのに気付く。折角なので朝日でも見に行くか、と上着を羽織った。ここにいる時にしか出来ないのでやれる時にやっておこう。音を立てないように玄関の扉をくぐり、涼し気な風に頬を緩めた。慣れた道を下れば直ぐに柔らかな砂が素足を撫でては落ちていく。波打ち際を進んで、砂浜の端、テトラポットに囲まれた堤防に足を向けた。普段はあまり行くことは無いけれど、ゆっくり腰を落ち着けるには良いだろう。自分ひとりしかいない空間はまるで全部を独り占めしている気がして少しだけ得した気分になった。けれど、それと同時にひとり取り残されたとも感じてどこか胸の締め付けられる心持ちにもなる。誰かと共有出来たのなら、また違う気持ちになるのだろうか。
気温のお陰で冷えたコンクリートに腰を下ろす。緩やかな海風が触れていくのが心地よく、膝を抱えて目を閉じた。部屋にいた時よりも近い波の音は子守歌の様で眠気を誘われる。そのまま身を任せていたが、後ろから聞こえた靴音に目を開けた。そうして、掛けられたのは慣れ親しんだ人の声だった。
「ナマエ」
こんなところで何を、とでも言うような少しだけ困惑の混ざった音だ。ぐ、と顔を上げて仰ぎ見たその人は驚いた様子でこちらを見下ろしている。肩を叩こうとでもしたのか、行き場の無くなった手が宙をさ迷っていた。今から潜りに行くところだったのだろうか、上着の中にはダイビングスーツを着込んでいる。
ややあって隣に座った彼は、いくら地元でもこの時間にひとりは危ないと眉を下げた。何事もなく会えて良かった。そう安心した声色で言われ、申し訳なさと同時にあたたかい気持ちにもなる。つい零れた笑みに、笑い事ではありませんよ、なんて彼は大袈裟なくらいの反応をくれた。僅かに空いていた距離を詰め、気持ち彼へと寄りかかる。ひとつ瞬いた彼が、穏やかに微笑んだ。
「朝日を、見ようと思って」
「朝焼けの海も素敵ですからね」
「クリスに会えて良かった」
空と海の境界が鮮やかに輝いて、遠いところまで光が射していく。ほんのりと淡く燃えるような色が飛び込んできた。塗り替えられていく世界に感嘆の息を吐いていたら、肩に僅かな重みが加わる。何、と目をやり見えたのは彼の上着で、気遣ってくれたのだろう彼は一瞬だけ笑んで、直ぐに海へと視線を戻してしまった。くすぐったい気持ちのまま上着を握りしめ前を向く。太陽が顔を出し、辺りはすっかり明るく先ほどまでとは別世界だ。寄せる波で揺れる水面が煌めくのはまるで宝石を思わせる。
ふたり何も言わず身を寄せ合い、圧倒する光景に目を奪われるばかりだった。しばらくして彼が満足気に息を吐く。
「色々な朝日を見てきましたが、誰かと共に迎えることがこんなにも美しく満たされるものとは…」
また恥ずかしいことを言っている気がする。高揚した声で紡がれる言葉を聞きながら、確かに誰かと見ることがこんなにも心にくるものだとは思っていなかったとふわふわした気持ちのまま頷く。
「貴女とだからですね、ナマエ」
顔が上げられなくなってしまった。