切り取った一瞬を抱いてゆく
肌を炙る日差しが強さを潜めはじめた頃、人の出入りも落ち着いてカウンターで暇を持て余していた。大きな窓から差し込む陽が床を照らして、光を吸い込んだサンキャッチャーがその鮮やかさを振り撒き色を映し出している。空調に揺らされ角度を変えて煌めくそれを眺めて欠伸をひとつ。咎める人も今は奥にいて何も見ていない。行儀悪く頬杖をつきながら窓の向こうに視線を投げる。一面の青が広がる光景はいつ見ても美しく、親しみのある見慣れたものだった。どこまでも続く水平線の向こうにはきっと、太陽を浴びた水面よりもきらきらとした凄いものがあるのだと、幼い頃は思っていた。青が交わるところを見つめながら懐かしさに自然と笑みが零れる。それと同時に来客を知らせるドアベルが鳴った。時計を見やり、そう言えばと振り返った先、扉をくぐる長い髪を結い上げたその人は外の暑さなど知らない様子で生き生きとしている。挨拶をひとつして、珍しくカウンター席に落ち着いた彼が、重そうな鞄から青い表紙のアルバムを取り出した。コーヒーを注ぎながら中身を覗き見る。綺麗にまとめられた写真たちにはとても見覚えがある。もしかして、と呟いた声は届いていたらしく満面の笑みを向けてきた彼が頷く。まだ彼の接客を両親がしていたときから1枚ずつ貰っていたというその写真の数々は、気晴らしに海に潜っては何となく撮っていたものだった。普段は店内に飾られているが、最近は入れ替わりが激しいと感じていたのは気のせいではなかったらしい。
じ、と期待のこもった蜂蜜色に見詰められ僅かにたじろぐ。何を求めているのかはこの流れから手に取るように分かるが、一応どうしたのかと尋ねてみた。嬉しさの滲む声で、写真を貰いたいと返ってきた。その熱意と笑顔の眩しさにくらりとする。最初から駄目と言うつもりは無かったが、駄目だった場合でもこれを見せられてしまえば断ることは出来ないだろう。頷くだけで返してカウンターを出る。店に飾ってあるものは少なく、彼の気に入るものが常にあるわけではないだろう。取り敢えず印刷、という考えの父のお陰で写真は沢山あった。棚の中の籠に入れられ埃を被っていたそれらを手に見せに戻る。軽く埃を落としながら声を掛けた彼は、コーヒーにも手を付けず待っていたらしい。アルバムから顔を上げたとき、盛大に振られている尻尾の幻覚が見えた気がした。
自分のコーヒーを淹れる間こっそり彼をうかがえば、より一層機嫌良さそうに写真を選別している。どういう基準で選ばれているのか分からないが、1枚ずつわりと時間をかけて見ては次へ、その中で何か引っかかるものが有れば山へ戻さず隣へ。時折漏れる嬉しそうな声や悩まし気なものが何だか可笑しかった。
「好きなだけ持っていって良いよ?」
「いえ…1枚ずつで」
「何か理由でも?」
来店につき1枚、ポイントカードのような感覚かそれとも夏休みのラジオ体操の参加スタンプか。ひとつひとつ埋まっていくというのは確かに、人によっては楽しみになる。けれど彼は少し困ったように笑んで、理由と言いますか、とアルバムを撫でた。その言葉に首を傾げる。自分には何も検討がつかない。
「このアルバムを見返した際に、この日は貴女と何を話して、何をしたかを思い返すことが出来るから、です」
さも当然のように言う姿が眩しすぎて直視が出来ない。何故、彼はここまで真っ直ぐに言葉を口に出来るのか不思議だった。まるで無邪気な子供だ。好きなものは好きと言えることが些か羨ましい。嬉しそうに写真を仕舞うのを見つめ、そっと息を吐く。たった1枚のそれで少し大袈裟ではないかと思ったところで、彼の言葉を思い返して一瞬思考が止まる。彼がここでの自分との時間を、やり取りを、残しておこうとしているということ、今ここで終わりにするのではなく未来へ持って行こうとしているのだと気付いてしまった。じわじわと頬が熱くなるのが分かる。他意はない、混じりけのない本心というのは理解していたし、だからこそ質が悪い。こんなことを言われたら意識してしまうだろう。まるで好意を抱かれているのだと、勘違いしてしまいそうになる。ほとほと心臓に悪い人だと内心溜め息を吐きながら、変わらず笑顔を見せる彼に笑顔を返す。他人の未来に自分を持って行ってもらえるのは何だかくすぐったい気持ちだ。未だ写真を見比べながらあれやこれや審議している頭を見下ろす。先ほどの恥ずかしさよりも、直ぐに微笑ましさが勝るのは彼だからこそか。また来年も、過去を手にここに来てくれたら良いのに、なんて思った。