研究室からの帰りに投げ掛けられた言葉に振り返る。ゆったりと流れ揺れる長い銀の髪と、その奥から覗くきらきらとした青い瞳の持ち主は、落ち着いた声で臆することなくその呼び名を口にする。こうも当然のようにあっさりと言ってしまえるのは彼だからか、歩み寄る長身に薄らと微笑み返した。伸ばされた彼の手の中で淡い輝きを湛える赤い球にひとつ瞬き、それから受け取るべく手を差し出す。珍しのね、と手の内に落とされた球を撫でながら呟けば、返されるのは素っ気ない声。
「偶然だ。いらないなら返せ」
「いるわ。ありがとう、セフィロス」
ふい、と逸らされた顔に笑みを深める。用は済んだ、と言わんばかりに踵を返す彼の隣に並べば、怪訝そうな視線が降りかかった。何も言わず、ただ見下ろしてくるのは好きにしろということか、一度目を伏せて歩き出す。背の高い彼と目線を合わせることは難しいが、わりと向こうから視線を投げかけてくれるので煌めく双眸を見ることは容易い。足早に去ってしまえば良いものを、歩調を合わせることからも彼の優しさが窺えた。
音の少ない研究区画から、社員や神羅兵たちが多く行き交う場所へ出る。ふたり並び歩くのは珍しいのか、英雄と魔女、と囁く声があちらこちらから聞こえてくる。特に気にすることもなく聞き流し、いつまでついてくるんだと目で問うてくるセフィロスに肩を竦め僅かに口角を上げた。これと云って用事もなく、これからの予定もないのでただの散歩だ。クラウドに会いに行くことも考えたものの、一般兵がどこで何をしているかまでは流石に把握していない。彼の事を知っているようで、実際は何も知らなかった。それが、少し寂しいと思う。
何も言わないことを咎めることもしないセフィロスの視線が外れた。言及を諦めたのだろう。今の時間から家に戻るのは些か勿体ない気がして、拒絶をしない彼に甘えてついて歩いているだけだと知れば彼はなんと言うだろうか。流石に、自室へ戻ると言うのなら別れるが、どうやら向かう場所は違う。訓練室、と気付いたのは扉の前に着いてからだった。殆ど来ることのない区画は珍しさが勝り、つい見回してしまう。
「遊びに来たの?」
「訓練室を遊技場と言うのはお前くらいだ」
首を傾げ見上げれば呆れを含んだ声が返ってくる。動くたびに揺れる美しい銀の髪に触れ梳くように指を通しながら笑んで見せれば、小さな溜め息を吐かれてしまった。いつもセフィロスを誤魔化すときと同じ仕草、同じ微笑み。何か言いたそうな彼を他所に扉のボタンを押す。軽い音を立てて開いた扉の向こうには先客がいた。見たことのある顔ではあるが話したことはないふたり。見るからに人の好さそうな彼らは、入り口に立つこちらに気付ききょとりと目を丸くした。セフィロスが呼び、顎で外を示すのに応えた男性は意図を汲み取ったのか手にしていた大剣を背負って歩み寄る。大柄なその人は穏やかな目で彼を見た。セフィロスも長身で背格好はしっかりしているが、その人は彼よりも体格が良く厚みがある。ソルジャーだというのは言わずとも分かった。
「任務で呼びに来ただけなのね」
「誰も遊びとは言っていないだろう」
隣に立つセフィロスを見上げ、その腕を軽くつつく。あからさまに眉を寄せるが、それだけ。彼は、決して振り払ったりなどしない。されるがままで、ただ頭を振るだけの彼を物珍し気に見るアンジールと呼ばれた男性の目がこちらに向けられる。いつものように微笑みを返し、首を傾げてみせる。優しい双眸にしっかりと見つめられた。
「あんたは、」
「魔女子さんだ〜!そうだろ?」
アンジールが全て言う前に視界に入り込んだ青年に瞬く。溌溂とした雰囲気と人懐っこさを纏う青年は喜色を孕んだ瞳を向け、まるで人が好きな犬の様にずいと近付いてきた。きらきらとした眼に映る自身は驚くこともなく、彼を前にして笑みを形作っている。我ながら表情が無いと思う。それに気付いているのか否か、応えるように満面の笑顔を送る彼が、少しだけ羨ましいと感じた。
「ザックス」
咎めるように呼ばれ首根っこを掴まれたザックスは、気にすることなくこちらの言葉を待っている。その眼差しは、どこかクラウドに似ていた。何を言ってくれるの、何をしてくれるの、そんな期待に満ちたそれ。クラウドよりも押しの強さが目立つ彼はゆっくりと瞬いた。
「貴方が子犬のザックスね」
少し前にセフィロスから聞いたことのある名前だった、と記憶を辿り思い出した。確かに、言われてみればその通りだ。ふ、と笑みを零したセフィロスが僅かに顔をそむける。その言葉に、頬へ朱を散らしたザックスが気恥ずかし気に目を逸らした。そう呼ばれることをあまり良いと思っていないのだろうか、それもそうだろう。彼はれっきとした男性なのだから、子犬という愛らしい名は複雑と言えよう。けれどその呼称でなければ、覚えていなかったかもしれない。
「人を覚えないお前が、よく覚えていたな」
「子犬って可愛いもの」