「どうしたの?」
「え、あ、の…その、」
「大丈夫。食べたりなんかしないわ」
からかう様に言えば、意味が理解出来なかったらしい彼が、きょとりと目を丸くして首を傾げる。あら、と数度瞬き、少年が新しく入った兵士だということに気付いた。そうでなければ、自分が魔女と呼ばれていて、人を食べて若いままの姿を保っているという噂を聞いているからだ。そのような事実はないが、姿が変わらないことは本当なので好きに言わせている。神羅に務める9割が知っている噂話だろう。
目を泳がせ困った様な表情を全面に出した彼にもう一度微笑み、どうしたの、と問うた。警戒を解くように、努めて優しい声で囁きかける。ひとつ、間を詰めても彼は動かず、少し手を伸ばせば触れられるまでの距離を許してくれたようだ。
「あの、迷ってしまって…集まりが、」
「ここは広いものね。じゃあ、一緒に行きましょう」
眉を寄せたまま見つめてくる鮮やかな緑に安堵の色が混ざる。その様子に目元を和らげれば、恥ずかしかったのか、気付いた彼は表情を改めてしまった。少々残念に思いつつもう一度エレベーターのボタンを押せば、控えめな声で呼び止められる。どうかしたのか問うように首を傾げ言葉の先を促し、言うか否か迷う態度を見せる少年に手を差し伸べた。おいで、と言葉無しに呼び、素直に寄ってくる金の髪をそっと撫で、見た目よりもずっと柔らかなそれを梳くように指を通す。
近くにいたらしいエレベーターは、直ぐにやって来てするりと開く。こちらとエレベーターを交互に見る彼に、ああ、と心の内で声を漏らす。
「もしかして、酔ってしまう?」
「…はい」
そのまま手を引き階段の方へ足を向ける。時間はかかってしまうが、彼にとってはこちらの方がうんと良いだろう。意図に気付き目を輝かせる彼に何度目か分からない微笑みを見せれば、ほんのりと頬を染めはにかんだ。控えめに手を握り返されたことに心が弾むような感覚がして、自身のことだというのによく分からずなんだか不思議な気がする。大人しく後ろをついてくる少年を横目見ながらぼんやりと思った。
集まりに遅刻することは彼も分かっていたことらしく、遅れてきたことに対して口を開こうとした兵士に身体を強張らせたのが伝わってきた。説教ものだろうが、こちらに気付いた兵士は勢いを殺し一瞬たじろいだ。それを見逃す筈もなく、手を引いていた彼の背にそっと触れ、兵士の方に微笑みかける。ヘルメットの下、表情を引き攣らせながら言葉を探す兵士よりも先に用意していた台詞を告げた。
「ごめんなさい、わたしが引き留めたの。彼を怒らないでちょうだい?」
「ま、魔女殿がそう仰るなら」
「絶対、ね」
念を押すべく笑みを深め、少年の頭を撫でる。如何にも彼がお気に入りですと示すために。状況の飲み込めない彼だけが、きょとんとこちらを見たままされるがままになっている。神妙な面持ちで頷いた兵士に礼を言い、手を添えていた背を軽く押した。軽く振り返った少年に片目を瞑れば、気付いたのだろう、小さく頷き返される。列に入れ、とだけ彼に告げた兵士に返事をする姿を見やってから踵を返す。
「ありがとうございます!…魔女さん!」
「引き留めてごめんなさい。また、ね」
「はい!」
段々と遠くなる声に顔だけ振り返って微笑みをひとつ。元来た道を辿る足取りは心なしか軽く、久方ぶりの嬉しいという感覚をくすぐったく思う。きらきらとした金糸の髪と真っ直ぐ見つめてくるまあるい双眸、幼さの抜けない可愛らしい声。ついつい可愛がってしまうのは自分だけではない筈だ。自分自身の目的の為に身を寄せた神羅で思わぬ嬉しい出会いをしたな、と喜色を見せながら最後にもう一度彼を振り返った。