夜空の星のように煌めく金の髪に手を伸ばし、ゆったりと揺れ見詰めてくる鮮やかな瞳が細められるのを自身のに映しながら何度も撫でる。ふわり、と弧を描く形の良い唇が嬉しそうに名を呼ぶ。魔女、とういうその名は彼が口にすれば他者が口にするのとは違った響きを持つ。彼だけの、特別な音。絶対の安心と信頼、それから甘えを孕んだその音は何よりも心地好い。ただの記号でしかなかったものだというのに。
「そういえば、魔女さんは社宅じゃないんだよね」
「社員ではないもの」
「あ、そっか」
社宅ならそっちでも会えるかなと思ったんだけど。
されるがままに撫でられていた彼が思い出したように口を開くのに微笑みを返す。手のひらに頭を摺り寄せてくるのは無意識のことなのか、触れる体温がこちらに移ってくる。人よりも低いらしい体温に気付いた彼が驚いて、手を握り温めてきたのは記憶に新しい。思い出して密かに笑っていれば、彼が不思議そうに目を瞬かせながら首を傾げた。そうして、彼はいつも名を口にする。まるで、そうして声で言葉を形にすることによって存在を確かめるかのように。その度に応え微笑むのだ。お互いを確かめるように。
「気になるなら、見る?」
「??」
「わたしの、部屋」
ひとつのベッドと、ひとりにしては大きなソファ、カウンターキッチンの中にある備え付けの棚はほぼ空っぽ。色味のあるものと言えば、彼がくれた観葉植物が窓辺に置いてあるだけの、それだけの部屋。唯一の嗜好品であろう紅茶の缶も白と黒だった。ここへ来るまではどこかそわそわとした空気を纏っていた彼も、今はその空気も失くし、何もない部屋に元より大きな瞳を更に大きく丸くさせて小さく声を漏らした。言いたいことは良く分かる。シンプルを通り越し、いっそ生活感の無い部屋を見るのは初めてなのだろう。しかし、必要の無いものを置いておく趣味は無なく、人よりも長い寿命の中、多くのものを持つことは難しい。定住先を持たず、一定の周期で各地を転々としてきた身をしては、無い方が移動が楽だった。
だからか、昔はあった筈の趣味も、好みも今は無いに等しい。色々なことを、少しずつ忘れていく。ひとりの時間が長ければ長いほど、零れ落ちていくものは増えていった。そのことにすら何ら感情は生まれない。忘れてしまったのだと思う。
かろうじてふたつあったカップに紅茶を注ぎながら、ソファに座る後ろ姿を見る。それがどうしてか変わりつつある。彼に会ってからだった。
「クラウドのおかげ、かしら」
口をついて出た小さな呟きは宙に消える前に拾われ、呼んだか、という問いに変わる。彼はいつも声を拾ってくれる。どのような些細な、今にも溶けて消えてしまいそうな言葉だとしても、その双眸をこちらに向けて問うてきた。何がどうして、それがとても愛しいと感じる。これも、彼が思い出させた。
「貴方が特別だということよ」
「魔女さんも特別だよ」
温かな湯気が揺れるカップを受け取りながら彼が笑う。美味しい、と零す声を聞き、応えつつも頭の中では言葉の意味を探している。魔女と称される要因となった自身の種族の事か、それとも彼にとってのということか。長寿だと言ったことは誰にも無く、彼も例外ではなかった。それ故に前者であることは無いに等しい、となると答えは自ずと見えてくる。その事を彼が自覚しているとは思えず、かといって直接聞けるかと言えばそうではない。そう思いながらも、ほわほわと頬を緩める彼を見ていれば、何でも良くなってしまうのだけれど。
(今は、こうしていれるだけで…とても、贅沢ね)