手のひらの中の想い

あの襲撃から立て続けに事が起こり、どこも酷くばたばたと慌ただしく、学院は騒めき立っていた。その中でも大きい、朱雀四天王の裏切りは瞬く間に広がり、確証も無いまま誰しもが残る四天王たちに対して猜疑の目を向けている。

自分はと言えば、演習場での一件から何故か外での任務が増え、クラサメたちと会わない時間が多く、詳しいことを聞けていない現状だった。どうして、彼が大変なときに其処にいられないのだろうかと肩を落とす他無い。今も、朱雀領にある街に来ている。周辺に出没する魔物退治と銘打っているが、反乱分子がいないかの偵察も兼ねているのだろう。魔物はあまりにもあっけなく倒すことが出来たので、本命は後者にあると踏んでいる。




「おい、ナマエ」

「…っ、グレン…どうして?」




ぼんやりと考えていた背後から声を掛けられ振り向いた先の人物に目を丸くする。学院から離れたところで会うのは何も不自然では無い。追われている彼が何故、と思うこともあるが何か考えがあっての行動だろう。場所を変えたいと言われ、共に任務についていた士官の目を盗み彼の後に続く。後は学院に帰るだけなので特に何か言われることも無いだろう。任務終わりにそのまま街に残った者もいるくらいだから。

鬱蒼と生い茂る木々は姿を隠すのに丁度いい。ひと際遮蔽物の多い場所で振り返った彼は、元気そうだなと笑った。貴方も、と返す気にはなれず曖昧に笑んで肩を竦める。



「ふたりで話すのは初めてか」

「なんでこんな危ないこと…見つかったら大変なのに」

「お前は、疑わないんだな」

「クラサメが貴方を信じているから」

「だから、お前をあいつから離したのか…」




名前を口にして苦笑する彼に首を傾げる。意味ありげな言葉の真意をは分からない。きっと、聞いても答えてはくれないだろう。仕方なく疑問は隅に置くことにして、世間話をしに来たのではあるまい、と手で話を促せば、肩を竦めて応えられた。急かすなとでも言いたいのか、けれど彼にはあまり時間が残っていない筈だ。何も言わず、高い位置にある瞳を、じ、と見つめる。ひとつ息を吐いた彼の双眸に宿るのは酷く真剣な色だった。




「頼みがある。あいつの心を、支えてやってくれ」

「皆さぁ、私にクラサメのこと頼みすぎだよ」




言われなくても誰のことか分かった。本当に、彼は皆から愛されている。そんな彼のことを頼まれることはとても嬉しく思うが、同時にこれから何かが、取り返しのつかない何かが起こると言われている、そんな気がした。自分はただの候補生で四天王でも何でもなく、彼らの問題とは全くの無縁で、この先彼らに何があっても関わることは無い。だからこそなのだろう。グレンの瞳を見れば分かる。




「最悪の事態になったとき、きっと、あいつにはお前しかいない」




その言葉の意味を知るのは、そう遠くないことだった。













クラサメの眠るベッドサイドに腰掛け、ただ時間が過ぎるのを感じていた。誰に言われたのか思い出せないが、彼の傍にいて欲しいと頼まれている。カヅサかとも思い聞いてみたが、心を支えろとまでは言っていないと返され、それならきっと、朱雀四天王の誰かだろうと思った。彼らはとても仲が良かったと聞いている。そう、良かった、のだ。目を覚ます気配の無い彼に目を細め、そっと息を吐いた。彼は生きている。それが何よりも嬉しかった。

暫くそうして何もせずじっと見つめていれば、ほんの少し彼が身じろいだ。ようやっと目を覚ました彼はどこかぼんやりとして、今の状況を掴めないでいるようだった。無理もないと思う。彼は、親しかった3人の記憶を一気に失ってしまったのだから。いくら忘れたとて喪失感は拭えない。一緒にいるのが当たり前だった、それこそ毎日を共にしていたと言っても良い人たちを一気に失くしては、今まで何をしていたのか混乱することもあるだろう。あまり親しいとは言えなかった自分でさえ、彼らがいないことは心から何か抜け落ちた感覚がした。クラサメの抱えるものはそれ以上に違いない。心を支えろというのは、この時のことを言っていたのだろうか、と今はもう思い出せない人を思った。

腑に落ちない様子のクラサメを横にさせたエミナに意味ありげな視線を投げられ肩を竦めながら、不思議そうにこちらを見上げる彼に向き直る。頬を覆う痛々しい包帯に触れようとして手を掴まれた。




「私は、クラサメが生きていて良かったと思う」

「……ああ」

「頑張る理由が、貴方だから…」




まだ上手く力が入らないのか、握ろうとしてくれた手は僅かに震えている。じ、と見詰めてくる何も見えない深い色の瞳を見ていられなくて、閉じさせるようにその目を覆った。睫毛の当たる感触がくすぐったい。




「ずっと、傍にいるから。何があっても、クラサメの味方だから」




返事は無かった。それで、良かった。

瞳を覆う手のひらを、雫がひとつ、触れた。




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