彼にはまだ届かない
瞬く間に時の人となった彼らとは会うことはほとんど無くなり、時折、思い出したかのように実験に手を貸してほしいと頼みにくるカヅサやリフレで席を共にすることが多いエミナくらいが最近の交友関係となりつつあった。組を移動したこともあり、元の組で友人と呼べる人たちとも会う機会は少なくなってしまったのだ。
忙しい彼に手合わせに誘われたのは随分と前のこと。朱雀四天王と称され、手の届かないところに行ってしまった。元より接点などない人で、今までの出来事が珍しいことだった、そう思う他ない。これまでの、彼に会う前の日常に戻ったのだと。
日課の訓練を済ませ院に戻る道すがら、丁度噴水の辺りで呼び止められ歩みを中断する。噂をすれば何とやらと言うやつか、少しの間見ていなかった深い色の髪を揺らした彼が手を振っていた。どうしたの、と問うように首を傾げ歩み寄った。捜していたと言われ、ますます疑問が深まっていく。
「手を貸してくれ」
「は?」
はしゃぐ数人の後輩候補生を前に、呆れを含んだ溜め息を吐いたクラサメの後ろで苦笑する。何を言うかと思えば演習の手伝いで、思ってもいなかったことにただ頷くしかなかった。ミワたちはそれぞれ忙しく時間が合わなかったのか、きっと空いていると思ったから声を掛けられたのか、どちらでも良いが、自分に何をしろというのだろう。実戦演習ということで危険も伴う為に見ている目が必要だったとも考えたが、今の彼ならこの人数はどうということ無いはずだ。姿勢を正す後ろ姿を見ながら色々と思考を巡らせるが、真意は聞かねば分からぬまま。けれど、わざわざ聞くことでもないな、と言葉を飲み込んだ。
「クラサメについて行けば良い?」
「ああ、そうしてくれ」
教官とは別れ、魔物を倒す後輩たちを見つめる。あくせくしてはいるものの目立って危ないことは無い。いつでも手を貸せるようにはしているが、この分では必要なさそうだ。黙ったまま彼らを見るクラサメは何を思っているのだろう。横顔を盗み見たが、その表情から測ることは出来なかった。自分が知っている彼はほんの僅かで、知らないことの方が多いのかと思えば、少し、寂しい気もした。それでも、彼を想うことは無くならないと思うと感情とは不思議なものだ。
不意に空気が騒めき、肌の粟立つ感覚に顔を上げる。明らかな殺気に、飛び出したのはふたり同時だった。女生徒を抱えその場を離れた直後、衝撃で地面が割れ砂埃が舞う。目を白黒させる後輩たちを背で庇える位置に移動しながら発生源をたどり、そう遠くない距離で得物を構える人影を視界に収めた。クラサメと面識が有るらしいその人物は、会話をしているのに全くの隙が無い。纏う雰囲気からかなりの手練れだとうかがい知れる。教官を呼びに行くことも考えたが、追撃を受けた際の対処が上手くいくか定かではなく、ここで迎え撃つしか策は無かった。失礼とは思いつつも、教官では歯が立たないだろうな、と心の隅で思う。
幸い、彼の目的はクラサメであり、手を出さなければ一先ずは標的になることはないだろう。しかしそれは、クラサメが立てている間だけ、と言うことになるだろうが。
「クラサメ…!」
「ナマエはあいつらを頼む。絶対に手を出すな」
あのクラサメが押されている。だというのに何も出来ない自分に歯痒さが増していく。相手の斬撃と自分の拳では圧倒的にこちらが不利だった。あの重さを受け止めきれるほどの力量はまだ無い。下手に動いて後輩を危険に晒すわけにはいかず、背に庇いながらふたりを目で追うしかなかった。が、状況が動き咄嗟に拳を構える。斬り合っていたクラサメが地面へと引き摺り倒された。どこか楽しそうにも見える相手は、彼の目の前で殺すつもりなのだろう。
「そういうわけで、死んでもらぜ」
眼前で剣を構えるその人を見据える。拳に冷気を纏わせながら、振り下ろされる刃のタイミングを測る。上手く氷壁を展開出来れば後輩だけは助かるはずだった。反撃を考えず受け止めることだけに集中しろ、そうすれば、クラサメが入り込む隙が僅かでも生じるだろう。自身のことは、顧みるな。
「ナマエ!!」
冷えた冷気を裂いて、寸でのところで割って入った刃が、薙いだ凶刃を防ぐのを見た。