終わりまであなたと
長い夢を見ていた気がする。それはとても鮮やかで、重くて、決して手の届かないもの。開けた視界、重なったままの手に力を入れる。隣の気配が動き、触れていたぬくもりが遠のいた。慣れた手つきでマスクを嵌める彼を横目で追う。穏やかな空気は既に無く、その名に違わぬ気配を纏い立つ。抗うことなく離れた体温に、一度だけ目を閉じた。
「行こう」
迷いのない声が耳に届く。眼前に揺れた気配に目を開ければ、差し出された手のひらがあった。あの時から、もう、迷わないと決めた。戸惑うことなく取った手を引かれ立ち上がる。振り返ることの無い、前だけを見据えた背中を追い歩き出す。
ここが、居場所だ。
0組を送り出したふたりは最期の場所へと向かう。白虎の要塞を見下ろす丘に立つルシは、淡々と前を見据えそこにいた。候補生に隊列を組ませ来るべき時を待ちながら、彼女は信じられないほど凪いだ心持ちで横に立つ彼を見る。もう、視線がこちらを捉えることはなく、彼女もまた、瞳に焼き付けるかの如く見詰め、それから意識ごと前へと向けた。戦闘の音をどこか遠くに聞きながら、そっと目を閉じる。空気から伝わる彼の存在に彼女が僅かに安堵を感じたのを同じくして、彼もその存在に波打つ心が穏やかになっていくのを感じていた。
不思議だと、クラサメは思う。決して長くはない生の中、彼女は常にどこか傍にいて多くのことを共にしてきた。戻ることの無い学生時代も、士官として新たに歩み出した時も、傍にいて支えられていた。今も、そしてこれからも変わる事の無い存在なのだろう、と。今更になって気付くとはどれだけ酷い男なのだろうな、とクラサメは内心苦笑する。けれど、きっと彼女はいつもと同じように微笑みながら首を横に振るに違いない。前々から彼女は何も望まなかった。いや、ただ傍にあることだけを望み他は欲しなかった。と考え、ふと違和感を覚えクラサメはひとつ瞬く。ずっと昔から、それこそ彼女と出会う前からそのことを知っているような、不思議な感覚がした。
COMに雑音が混じり意識が引き戻される。
「貴方といられて、良かった」
「…俺もだ」
消え入りそうな声にクラサメが答えたと同時に通信が入った。ルシの纏う空気が変わり、場に緊張が走る。粛々と紡がれる言葉を耳にしながら魔力をルシへと送り、編まれていく強大な力に肌が粟立つのを彼女は感じた。ひとり、ふたりと膝をついていく候補生を背に、身体から抜けていく魔力に歯を食いしばる。ルシの背中が遠い、と霞みゆく視界の中で彼女は思う。もう、その瞳に映るものはなく、遠のく意識の中で彼女は、揺らめくマントを、最期に見た。
空気が震え、大地が咆哮する。魔力の奔流に飲まれそうになりながら、クラサメは自身の隣で誰かが地面に落ちる音を聞いた。その人が誰だったか、彼はもう、覚えていない。
「朱雀に、栄光あれ」
ふたつの灯が消えたのを感じ、アレシアはひとつ瞬く。彼らは今回もまた共に歩みを終えた。遠くを見つめながらキセルを指で叩き目を細める。酷く数奇で、面白くも可笑しい縁はまた結ばれたのだ。
「六億数千にも及ぶ輪廻の中で、決して切れない縁…」
神の手も届かぬ絆が、あのふたりにはあるのだろうかとアレシアは柄にもなく思った。
その丘に立つルシが姿を変え、美しくも儚いものへと昇華する。音の消えた丘、生くるものがひとりとして残らず、ただ伏した者が在るだけ。指揮を執っていたのだろう彼の傍らに、同じくして時を止めた彼女がいた。倒れ伏した両者の手は決して交わることはなく、差し伸べるようにして出された手はあまりにも遠い。けれど、まるで寄り添うように並ぶふたりは、どこか穏やかだった。