共に行くと決めた日
嵐のような日々は過ぎ、学院は少しづつ落ち着きを取り戻しつつあった。今まで起きたことなど、まるで何も知らないかのように皆は以前までと同じように過ごしている。ただ、ひとりを除いて。
クラサメは少し変わったように見える。ひとり考える時間が増えたからだろうか、背負う覚悟を決めたらしい顔つきと、以前よりも落ち着き払いいっそ別人と言っても良いくらい。けれど、その眼差しは変わることはなく、憧れた始めたときに見たそのままだった。あの時、彼らに何があったのかは知らない。死者の記憶を失っているクラサメも、きっと詳しいことを覚えていないだろう。それでも、彼の中には朱雀四天王たちの意志がしっかりとある、そう思った。
「なあ、少し良いか?」
リフレでぼんやりとしていた背に声が掛けられ、振り返らずとも分かるその人に断る理由は無く、振り返ってひとつ頷く。何も言わず歩き出した後を追い着いたのはよく手合わせをしていた場所で、久しぶりのそこに軽く辺りを見回した。最近まで訪れていたというのに、どこか遠い昔のことのようで、懐かしさが胸を満たす。
ふと、前にも抱いたような、変な既視感を抱き首を傾げれば、どうかしたのかとクラサメが覗き込んできた。何でもない、と言葉無しに応えて向き直る。火傷の残る頬に、つい眉を寄せてしまった。もう見慣れたはずのそれは、あの人達をこれ以上忘れない為のものか。生活に支障がないのなら何だって良かった。視線に気付いたのか、目を合わせ幾度か瞬くのに少し笑った。
「あの時の言葉の意味、知りたくてな」
「あの時?」
「目を覚ましたときの、お前の言葉」
クラサメは口調も以前と変わっていたが、自分と話すときは昔のままが強い。無意識なのだろうか、気を許されている気がして嬉しく思う。
目を覚ました時の、というのは深く思い起こそうとしなくても簡単に頭に浮かぶ。あの時の彼はまだぼんやりとしていたから覚えていないか深く捉えないと高を括っていたが、どうやらしっかりと覚えていたらしい。改めて言葉の真意を問われるのは些か恥ずかしいものもあるが、彼が知りたいと言うのなら拒むことは出来なかった。交わした言葉はあまり多くは無い。彼はどちらのことを言っているのだろう、もしかして、ふたつともだろうか。
「そのままの意味。クラサメは私の憧れで、けれど貴方にはなれないから…それなら、少しでもサポート出来るように…」
「それが、頑張る理由…?」
「クラサメの為になれるよう強くなりたかった。私に出来ないことを貴方はやってのけるから…」
「そのサポートで、自分も間接的に、ということか」
「でも、こんなの、ただの押し付け、だよね」
苦笑して背を向ける。声は、きっと震えていた。背後に動く気配は無く、嫌に続く沈黙にそっと息を吐く。言葉を濁していては何も伝わらないのは、彼との浅い付き合いながらも分かっていた。それに、彼の味方でいると決めたから、応えられるならば極力応えていきたい。彼に向ける言葉に、気持ちに、嘘は無いと示したかった。
呼吸を整え気持ちも整える。何事もないよう笑って振り返る、ただそれだけのこと。それなのに、少しだけ怖いと感じる。今を思えば、こうして自分の気持ちをはっきりと伝えたのはこれが初めてだった。抱えた想いを伝えるというのは、存外気力を使うのだな、とどこか他人事のように思った。
「…これからは、自分が朱雀の為にやれることをしていくつもりだ」
「うん、知ってる」
「ずっと一緒、なんだろ?」
優しい声にはっとして振り返る。その先には、手を差し出して僅かに笑う彼がいた。
「朱雀の為に、出来る事をふたりで」
「……っ」
差し出された手を取ることはとても簡単で、けれど、その為の一歩は酷く難しい。狼狽えるこちらに笑みを深くして、彼が一歩距離を詰める。認めてもらえたことが嬉しい反面、不安も大きい。本当に自分で良いのだろうか、考えないようにしていたことが脳内を占めていくのが分かった。今までは考えた事の無い気持ち。ただひたすらに彼の背を追っていたときでは無かった感情。ずっと夢見てきたことがいざ現実になると尻込みしてしまう自分が嫌いだ。
けれど、彼の存在は、それすらもあっさりと拭い去っていく。それだけ、彼の存在は大きなものになっていた。
クラサメと共に行こう。握った手に、後悔はない。