整理整頓

大勢の人々で賑わい溢れ返る道に、下手したら人酔いしてしまいそうな感覚を覚える。が、街の人達が笑顔で生き生きとしているのはこの街が良い証拠である。巨大な風車をシンボルとするのか、目にしたそれから流れ込んできた街の記憶は、辛い時期もあったが人々は笑顔だった。
記憶に馳せていれば、ミラ達が何やら他人の問題に首を突っ込んでいるではないか。別にそれは良いのだけれど、何でもかんでも手を出すのは関心しない、と思いつつも今回は意図した事では無いのかもしれないと瞬く。遊ぶ様にカップを回すミラに、落とさないでくれ、と願うばかりであったし、それに、人助けになるのならば言う事も無いので困った事にならない事を祈ろう。桃色の衣服を纏う華奢な女性は、品の良い物腰であるからしてきっと身分の高い人だろう。後ろに控えた老執事からも洗練された空気を感じる。穏やかな笑みを口元に乗せて盗み見ていれば目が合って、皺の入った頬を少し上げ、穏やかな瞳が優しく細められた。確実に私へと向けられたものだ。驚いた私は会釈の要領で頭を軽く下げて、近くにいたアルヴィンさんの影に隠れながら少しだけ距離を取る。その行動に目を丸くしつつも、肩に腕を回してあやすみたいに軽く叩く彼の腕にすっぽり収まって成り行きを見守った。自慢する程の事ではないが実は人見知りだったりする。
どうしてそうなったのか、お茶に誘われたミラ達が女性の後に付いていくのをアルヴィンさんに引きずられながら追った。



温かく美味しい紅茶に舌鼓を打ち、座り心地の好いソファに身を沈めて息を吐く。鼻孔を擽る甘やかな香りは隣に座るミラのカップから漂うものであると認識したのは良いが、一体どれだけの砂糖をいれたのやら。ゆるゆると揺れる紅茶を眺め目を細めて、本格的にソファへ凭れ掛かった。


さて、ミラ達がドロッセルさんと話を進めている間、私は私で自身の事を簡単に纏めてみることにしようじゃないか。整理をしなければよく分からないことに成りかねない。取り敢えず、私が此処へ呼ばれたのはクロノスと云う神様に何か問題があって致し方なく、と云ったところだろう。信じられない事に、平々凡々に生きてきた私はクロノスの器に相応しい人間だったらしい。クロノス曰く私とはイコールの関係らしいけれど。ミラに何か関係があるのか、それともクロノスがミラに手を貸したいのか分からないが、ミラの元に落ちてきたと云う事は、彼女の傍に居ることが前提なのだろう。ミラも何かしら事情を知っているようだからその辺は臨機応変に対応すれば問題なさそうだ。次に、クロノスと同化した御蔭なのか所為なのか、私は不思議な能力を得てしまったみたい。街や人、果ては世界の出来事、要するに記憶を"時間"として知る事が出来ると云うこと。自然に流れ込んでくるものも有れば、自分で探る事で得られるものの2種類だ。もう一つの力は、時を操って止めたり進めたり出来る事。これはあまり大掛かりなものは出来そうにない。いや、出来なくはないのだろうが、それにはまだ力が馴染んでいない。身体への負担が大きいので使用は避けたいが、私がもっとクロノスと同化すれば出来るようになる筈だ。
最後に、この世界に於てクロノスとはどういった存在か。精霊とは掛け離れた存在で、人々の概念から成り立っているらしい。昔の人々が精霊とは違った神がかり的なものが"時"に在るのではないかと妄信し、信仰した結果、いつしか形付いたものだという。それは日毎に大きくなり、遂に世界中に広がって今に至ったということ。世界を作ったマクスウェルとはまた別に大いなる存在なのだろう。
簡単に纏めてみたつもりだけれど、謎が深まっただけだと感じるのは私だけなのだろうか。けれど如何であろうとも、ミラが望み、傍にいて欲しいと言うから、私は彼女の傍に居ようと思う。彼女が助けを求めるなら、全てを賭けて力を貸すだけだ。マクスウェルの為にすることは世界の為にすることと同等なのだろうから。嗚呼、でも、やはりこの違和感は拭えなさそうだった。



談笑を続ける中、領主であるクレインさんはやはり多忙なのか席を外してしまい、それに続いてアルヴィンさんも後を追うように邸を出て行った。生理現象、と軽く言うけれどきっとそうではないだろう。微かに揺らいだ空気は彼を中心に渦巻いている様だった。身近な人の気持ちや感情が揺れ動く度にその人の記憶が垣間見える。自然と流れ込んでくるそれは勿論アルヴィンさんのものも有るわけでで、見られたくないものだってあるだろう。しかし、見えてしまうのでどうしようも無かった。当人達はこれを知らないので、わざわざ言う必要もない。私だけが知っていれば良いのだ。
ずっと手にしていたカップを置いて周りを見渡す。調度品の並ぶ棚、豪奢な花瓶、品の良い家具、全てが私には縁遠いものである。柔らかく且つ優しく身を受け止めているソファに手を付いて足を揺らしていれば、ドロッセルさんが笑った。どうかしたのかと首を傾げる私にドロッセルさんは口元を押さえ、可愛らしい声を漏らして首を横に振る。


「ふふ、ごめんなさい。貴女は、」
「あ、ハイディで良いです。皆はそう呼びますから」
「そう。じゃあ、ハイディと呼ばせてもらうわ」


そうして少し話をしている時、何気なく外へ出ようとしたジュード君が驚きの声を上げた。何事かと振り向けばクレインさんと警備兵が物々しい様子で立っているではないか。アルヴィンさんが原因か、と考えたがあながち間違いではなさそうだろう。彼は未だ帰ってきてないのだから。呆れた私の溜め息は誰にも気付かれる事なく消える。
音も無く立ち上がりソファの間を縫って行き、重々しい扉に手を掛ける。制止の言葉も気にせず一度だけミラに視線を投げて邸を出る。ミラが頷くのが見えたから、これで警備兵が追って来ることもない。話はミラ達が聞いてくれれば私が聞く必要無いのだから。
中央広場へ続く道を行けば、段々と人の声が増えて喧騒が近くなる。荷馬車だろうか、からからとした音をこんなにも近くで聞くのは人生で初めてだ。風車の見える場所で何やら手紙を書いているアルヴィンさんを見つけ、その様子を眺めていたけれど、直ぐに気付かれてしまったみたい。彼は少し驚いた様に目を丸くしたが、直ぐに苦笑を浮かべて手招いた。少し戸惑ったがここは素直に従う事にしよう。人の波を掻き分けて彼の前に着いた同時に引き寄せられて、乱れた髪を手櫛で直された。手紙は良いのかと問えば、もう書いたて返される。何で此処にいるのかとか、どうして来たのか、とかそんな野暮な事を互いに聞く気は無く、話したいので有れば勝手に話せ、といった状態である。だから、私は問うた。


「アルヴィンさんは良いんですか?」
「何が?」
「有益な情報を聞かなくて」
「…ミラ様達が聞ければ良いだろ」
「そうですか」


本当に読めない人だ。まあ、読む気は更々無いのだけれど。肩を竦めて作り笑う彼から目を離して石垣に凭れ掛かる。冷えた石は直ぐに体温と同じになった。目一杯吸った空気は街中だと云うのに澱んでいなくて、嗚呼やっぱり地球とは違うのだと今更ながらに再認識した。
鳥だろうか、羽ばたく音を右耳に聞いていれば、どこと無く怒った様子のエリーゼちゃんと複雑そうな表情のジュード君達が歩いて来るのが見えた。何でも無く、当たり前の様に言葉を紡ぐアルヴィンさんに感心しつつミラを見れば、彼女も何だか納得がいっていないように思える。それでも、今はまだ良いと思ったのだろう、さも気にしていないと云う風に情報を口にし始めた。
あらかた話し終わって移動しようとした矢先、ラ・シュガル兵がミラ達に気付いたのか、辺りに剣呑な空気が広がった。アルヴィンさんが自身の背に匿う様にして前に立つのは、少しでも危なくない様にしたいからなのか。隣にいたエリーゼちゃんを引き寄せながら成り行きを見守れば、相変わらず微笑を湛えたままのローエンさんが悠々とミラとラ・シュガル兵の間に身を置いた。


「まるでヒーローだね」


私の言葉に頷いたのはエリーゼちゃんだったのか、将又ティポ君だったのか。それは貞かでは無いけれど。

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