ぬくもり
穏やかな風が抜ける此処は、ゆったりとした時の中にある静かな村だった。ミラの故郷だと、彼女自身が言っていたっけ。
慣れない道を歩き続けて疲れきっている私は正直なところ、何処かで座っていたい。ふわり、と風に揺れるスカートを押さえて目を閉じる。肺いっぱいに空気を入れれば、少しだけ気が楽になった気がした。
それにしても私はどうして此処にいるのだろう。どうして、クロノスと同化出来たのだろうか。何で、私だったのか。数十億もの人々が生きる地球で、どうして私が…なんて、本当は薄々理解出来ていたけど、ただ、認めたくなかっただけ。認めてしまったら、悲しくなると思ったから。クロノスは私を、私自身と言った。それはつまり、私はクロノスだと云う事だ。半身、とでも言えば良いのか、その半身を自分のものにするのは悪い事ではない。だって、半分だと色々と不便だ。だから、私は呼び戻されてクロノスになった。力関係的には彼女の方が上だけれど、こういった感情なんかの機能は私の方が優れているのだろう。だから、私は私の記憶を持ったままで此処にいる。
帰れないのが辛いとか、家族に会えないのが悲しいとか、最初のうちはそんな感情は在ったけれど、今はもうだいぶ薄い。本格的に、私は此処の世界の住人になっていってる。そう考えたら、糸で締め付けられたみたいに心臓が痛んだ。
私が一人、考え込んでいる間に話が纏まったのか、ミラに手を引かれるままに私は脚を動かした。何も聞かずに他事をしていたから、ここで何をするのかさっぱりだけれど、彼女に従うことにする。
連れていかれたのはとある民家で、ミラは女性と一言二言交わして出ていってしまった。置いていかれた私は、わけが分からない、と首を傾げて扉を見る。クロノス様、と呼ばれて条件反射で振り返れば、住人の女性が手招きをしているから、素直に近付けば差し出された何か。また首を傾げてそれを受け取れば、正体は衣服だった。女性を見れば、彼女はにっこり笑って頷くから、これは着替えろ、と云う事か。確かに、制服のままは良くないか、と自分でも思うところが有ったから、有り難く着させてもらおう。
それから、のんびりと村を見て回っていたらアルヴィンさんの姿が見えて、私は瞬いた。ミラ達はどうしたんだろう。そう思ったけれど、私と彼は此処に来る途中も会話なんてしなかったから話し掛けづらいし、なにより彼の雰囲気が、私にそうさせなかった。気付かないフリをして立ち去ろうとすれば、気付いてしまった彼が手を振ったから、私も小さく振り返した。きょとり、と、まるで予想外とでも言いたげに、垂れ目がちの瞳で瞬いた彼に首を傾げれば苦笑して、なんでもないよ、と彼は首を振る。ゆったりとした足取りで寄って来た彼を見上げれば、悪戯っぽく片目を瞑った。
「よお、お嬢様。似合ってるじゃないの」
「有り難うございます?」
「くくくっ、なんで疑問形なんだよ」
喉を鳴らして笑うアルヴィンさんに手を引かれるまま、私は村の外へと続く道の近くに腰を下ろした。此処で待っていればミラは戻ってくるんだろうか。手持ち無沙汰に地面を見詰める私は、落ちていた石を小さく蹴った。
アルヴィンさんは何も言わず、ただ、私の隣に居るだけだ。
「ジュード君てさ、お節介って言われない?」
「え…と、うん…」
なんやかんやあって、さよならをしたと思ったアルヴィンさんもまた旅に加わって、ハ・ミルと云う村に来たのは良いけれど、なんか、凄く嫌われているみたいだ。何をしたのか知らないけれど、私には関係の無いことだと思った。
情報収集をする、と言ったミラと別れ、私はジュード君と女の子を捜しに歩いている。喋るぬいぐるみを持った、不思議だけれど可愛らしい雰囲気の、ひらひらとフリルをふんだんに施した、所謂、ゴスロリちっくな洋服を纏い、数年後は美人に育つであろう女の子。なんか、この言い方だと私がロリコンみたいだけれど、断じて違うとだけ言っておこう。
「人の為に動けるのは良い事だけど、自分も大切にね」
「…うん。あの、ハイデベルクって、どこからきたの?」
「…遠い所かな。もう帰れないの、多分」
「え!?じゃあ、これからどうするの?」
「取り敢えず、ミラと一緒に行くよ。私の居場所が見付かるまで」
「居場所?」
「うん、そう」
「…僕じゃ、ダメ…かな?」
恥ずかしそうに首を傾げるジュード君を、私は目を丸くして凝視する。会って間もない人間の居場所になろうだなんて考えが出て来る彼は一体、どこまでお節介でお人好しなんだろうか。それが、彼の優しさなんだろうか。まったくもってさっぱり理解出来ない子だ。そう思ったけれど、窺うような視線を送る彼を見て、私は、そうか、と胸中で頷く。彼は、私の居場所になると云う事で自分の居場所を得ようとしているのだ。ジュード君にも事情があるのだろう。居場所を無くしてしまうような事情が。
彼のお節介もお人好しも、他人に嫌われないようにする術なのかもしれない、そういった生き方しか出来ないのではないかと思うとただの優等生キャラだとは思えなくなるな、なんて思いながら私は笑う。
「ねぇ、ジュード君。意味わかってる?君が私の居場所になるって事は、ずっと一緒にいる、って事だよ」
「え、あ…そういう意味で言ったんじゃ、でも、あれ?」
「私の事なんて、ジュード君が気にする事じゃないよ」
そう言って笑ったら、ジュード君は納得がいかないのか、複雑そうな表情で歯切れ悪く返事をした。きつく握られた彼の手に触れながら、私は肩を竦めて、もう一度笑う。
「でも、もし、見付からなかったら、ジュード君にお願いしようかな」
やんわりと握り返された手は、此処に来て初めての温もりだった。