教会にて

ミラやジュードくん達と別れてガイアス王に連れられカン・バルクへと戻ってきたが、それよりも先に来ていたジランドに占拠されてしまい街に入る事は叶わなかった。少人数での突破は宜しくないと判断したらしいガイアス王は、街外れの森との間に建てられた教会で待機することを決めた。慣れない雪道に息を切らしていた私を小脇に抱え、何も言わず教会に入っていく。小動物よろしく抱えられた私を笑うアグリアちゃんに少しイラついたが、言い合っても何の意味も無いので口を噤む。何も言わないガイアス王を見上げていたら、不意に此方を見た彼と目が合って、降ろしてくれと無言で訴えていれば、首を傾げたガイアス王がそっと離してくれた。乱れた髪を直してから離れたガイアス王が触れた辺りの髪を押さえ、深緋の双眸を、じ、と見詰める。視線に気付いた彼はもう一度だけ私の頬に触れてからプレザさんを呼んだ。近くまで寄ってきた彼女の、眼鏡の奥の柔らかい色の瞳に見詰められ、慣れない私は居た堪れなさに駆られてガイアス王の背に隠れる様に身を寄せた。その行動にか、微かに微笑んだプレザさんが教会の奥へと消えていくのを見詰め首を傾げる。


「クロノス」
「ん?」
「顔色が悪い」
「すみません」
「何故、謝る」
「気を遣わせてしまったみたいなので…」


どうやらガイアス王が気にしてしまう程に身体が冷えていた様で、直ぐに戻ってきたプレザさんに手渡される筈だった毛布を持っていってしまった彼がそれで私の身体を包んだ。教会に置かれた長椅子に座っているように言われ、毛布に包まったまま大人しく腰を下ろす。沈黙が支配する空気に目を閉じて、気付かれない様に息を吐いた。
断界殻が破られてから絶え間なく流れ込んでくるエレンピオスの記憶が脳内を支配して、酷く悲しい光景が脳裏に映る。精霊の枯渇した世界はあまりにも無力だった。けれど、想う内に一つの疑問が浮かんだ。人は体内でマナを作り精霊へと送り使役するのだが、何故エレンピオスの人々はそれをしないのか。否。しないのではなく出来ないのだ。彼らに霊力野は存在しない。霊力野が無ければマナを作る事は叶わず、よって黒匣に頼る他に手立てが無くなったということだろう。霊力野を持つリーゼ・マクシア人と持たぬエレンピオス人。これらは偶然とは言い難い。こんなにも綺麗に二分される事が、他の介入無くして出来上がるものなのだろうか。私は、何か大切な事を忘れている気がする。けれど、それが何なのか思い出す事は叶わず、その度に酷い頭痛がして、私は頭を抱えて蹲った。呼吸が上手く出来ず、思うように酸素を取り込めない。側頭部を鈍器で殴られている様な感覚に涙が滲む。ぽたり、と落ちたそれが、床の色を変えた。


「しっかりしろ、クロノス」
「…い…っ…」


ガイアス王の気配が近い。朧気な意識の中で思っていれば、大きな手に頭を撫でられ、零れる涙を拭われる。暖かいものに包まれる感触に、浅い息が段々と落ち着いてくるのが分かった。それと同時に意識もはっきりし、今の状況に気付いて少し慌てた。担がれる事や小脇に抱えられる事はあれど、このように抱擁される事は無く、ましてや大人の男性にだなんて以ての外である。それでも、彼の手が優しくて、安心を誘うものがあるのか、とても心地よく感じた。


「落ち着いたか」
「…はい。すみません」
「謝ることはない。何かあったのか」
「思い出そうとすると、頭痛がして、」
「無理はするな」
「……はい」


最後にもう一度だけ撫でられて、いつの間にか外に行っていたウィンガルさんが戻ってきたことで離れたガイアス王を見上げる。紅蓮の瞳は扉を見据えていた。きっとミラ達が来たのだろうて、複数の気配は知ったものばかりだ。一つだけ異なるものが有るが、彼女達に間違いは無い。ただの予想に過ぎないが、ガイアス王はミラ達を待っていた。アルクノアへ攻撃を仕掛けるのに、少なからず彼女達の力を当てにしているのだろう事が薄ら分かる。そんな気がするだけなのだが、強ち間違いではないだろう。これからの身の振り方、意志、覚悟を、彼は彼女達に問いたいのだと、思った。ほんのりと残る彼の温もりに毛布を引き上げ、抱えた膝に顔を埋める。暖かかったのだ。久しぶりの人の暖かさに、少し戸惑ってしまった。目まぐるしく変化する状況に、この様な安心に浸る時間なんて、無かったものだから。
教会の扉が開かれて、険しい面持ちのミラ達が入ってくる。冷たい風が入り込み、ガイアス王の衣を揺らして消えた。


「ハイデベルク!」
「ミラ…無事で良かった」
「それは此方の台詞だ。嗚呼、良かった」




宵闇に浮かぶ月明かりに照らされ雪は淡く煌き、舞い落ちるそれらは私に触れる前に砕けて消えた。一人だけ切り取られた風景の中、教会の前の階段で膝を抱えて息を吐く。ふわりと白い息が風に霞む。その様を見詰めながら、ミュゼという精霊に何か違和感を感じると思い眉を寄せた。私ではなく、クロノスが彼女について何か知っている気がするのだが思い出せず、あの時と同じような頭痛が押し寄せてくるのだ。
彼女は何者なのだろうか。ミラの姉であり、ミラの思いに応えて現れたと言うが、果たして本当にそうなのだろうか。蟀谷を押さえ考え込んでいれば、後ろから何かに包まれて、そっと腕が回ってくる。胸の前で緩く組まれたそれに手を添えてから、首を傾げて静かに笑った。


「ねえ、ミラ。本当にこれで良いのかな?アルクノアを滅ぼしてリーゼ・マクシアの人達を救って、それで」
「どういうことだ」
「エレンピオスの人達も人間だよ。ミラの好きな、人なんだよ。どちらかが助かって幸せなら、それで良いのかな…」
「それは…っ」
「ごめんミラ。気にしないで。少し、思っただけだから」


ミラの言い分だと、リーゼ・マクシアの人は護るべき対象であるのに、同じ人間のエレンピオスの人はどうなっても良いと言っている様なものだった。それは、人を護るというミラの使命と矛盾している気がしたのだ。けれどこの思いはミラを困惑させるだけでしかなく、慌てて言い繕えば、まだ納得しない様子ではあるが頷いたミラの、私の首に回された腕に力が強くなる。彼女もまた、色々と抱えるものがあるのだろう。揺れる気配に、彼女の腕に触れる手に力を込めた。迷ってはいけない。他の事を考えてはいけない。ミラを勝たせ、使命を果たさせる為に、それだけの為に動かなくてはいけない、そんな思いを強く抱き、唇を噛み締めた。ああ、けれど私は思い出さなければいけない気がするのだ。断界殻や、ミュゼの事を。

気が落ち着いたらしいミラが腕を緩め静かに離れていった。彼女の、柘榴石の如く輝く双眸を見上げ微笑む。虚を突かれた様に表情を崩したミラだったが、少しだけ口元を緩め、私の頭を優しく撫でてから中へ戻っていった。静寂が周りを包み、風の音だけが強く聞こえる。夜はまだ長い。



「寝ないの?ハイディ」
「ジュードくんこそ」
「僕は、」
「ミラとガイアス王と話していたんだよね」
「知ってたの?」
「そんな気がしただけ」
「そう。…僕はミラの、」
「ミラの為に動いて。ミラを勝たせて、お願い」
「ハイディ?」
「私は迷ってる。本当にこれで良いのか。だから、私が戸惑う分、ジュードくんがミラを勝たせて」


ここまできてこの様な思いを抱くなんて思ってもいなかった。私もクロノスも、ずっとミラが正しいと思っていた。けれど、最近になって気付いた疑問や矛盾に心が揺らぐ。思い出せない事柄に対して少し歯痒い。もしかしたらとても大変な事を忘れているかもしれないと考えると、忘れている自分にイラついた。こんな感情は初めてだ。


「ハイディが、迷ってる?」
「少し、思う事があって」
「僕、ハイディが迷うなんて考えた事も無かった。いつも、真っ直ぐだったから」
「話が拗れ過ぎた…他の世界なんて知らなかった。それは可笑しい事なの。知っていなければいけないのに」
「ハイディ…」
「気にしないで。これは私の問題だから」


後ろにいる彼に振り返り笑いかける。羽織っていた毛布を彼に掛け、その琥珀の瞳に掛かる前髪を指先で払った。露になったアンバーの双眸に浮かぶ困惑の色に曖昧に笑んでその場を後にした。考えなければいけない。これからの事、忘れている事、何もかも考え直さなければならないと思った。これは、ミラ達の物語を見ているだけでは無かったのだ。自身も、この流れの内の一人だったのである。それはつまり、私の呼ばれた理由に近付いていると言っても、過言ではない。


「明日はお前も来るのか?」
「心配してくれているんですか?…ガイアス王」
「力無き者は連れてはいけまい」
「そうですよね。大丈夫です。私は此処で待ちます」
「そうか…大人しくしていろ」
「はい」


宛てがわれている部屋に戻る途中、不意に伸びてきた手に前髪を掬われて、暖かい指先が頬を擽った。壁に凭れ掛かるガイアス王だと気付くのに時間は有さない。何かと気に掛けてくれている彼は、最初に会った時の様な視線を向けることは無く、ただ純粋に思ってくれているようだった。それはきっと私がクロノスで在れど力の無いただの女であると分かったからかもしれない。弱き者は強き者に守られる存在だと豪語する彼に、私は庇護の対象に見えるのではないだろうか。何だか複雑な心境である。かと言ってそれを彼に伝える度胸なぞ無く、口を噤み甘受するだけ。私の周りは過保護が多いな、なんて思いながらも、去っていくガイアス王の背を見送り、皆が寝静まった中でベッドに潜り込んだ。

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