夜域の街

「ハイデベルク」


鋭いミラの声に呼ばれワイバーンをそちらに向ける。引き付けられるだけ引き付け、ミラの横すれすれを狙って通り過ぎる。彼女の剣が煌き、プテラブロングの体を裂いた。上手くミラ達に引き渡せれた様で、そっと安堵の息を吐く。カラハ・シャールの街中に落ちたらしいワイバーンの傍に降り立ち、戦いを続ける彼女らを一度だけ横目見て、怪我を負ったワイバーンの頭を撫でる。労わるようなそれに目を細めたワイバーンがか細い声で鳴いた。心配そうに頬を摺り寄せてくる、私が乗っていた方のワイバーンに空いた方の手で触れながら遠巻きに見てくる街の人々に視線をやれば、見慣れた桃色の衣服を纏う女性が護衛を連れて駆けて来るのが見えた。ドロッセルさんだというのに気付くのに時間は掛からず、少し前に別れた時よりも頼もしくなっているように見えた。



怪我をしたワイバーンの傍に座り込み膝を抱える。馬の調教師を引っ張り出してくるとはドロッセルさんもなかなか思い切った人だ。普通は考え付かないと思う。これからのことを考える為にも休息を、と言うミラに少し驚かされたのはつい先程のこと。前までであれば他人など構うことなく一人ででもイル・ファンに向かっていただろう。彼女は人と関わる事で成長しているのだ。庇護の対象であった人間への考えを改めていた。それはとても嬉しいことで、私としてもとても嬉しく思う。守るだけでなく、共に歩んでいけると云うことを少しでも考えられるようになったことは大きな進歩だ。このまま無事に全てが終わって事が落ち着いた暁には、もう一度この世界を回ってみようか、このワイバーンを借りて。なんて一人ごちていれば、隣にいた、私の乗っていたワイバーンに覗き込まれて、抱えていた膝を離して太股を叩いた。そっと頭を乗せて目を閉じる彼の額をゆっくり撫でる。


ワイバーンの治療が終わり次第イル・ファンへ発ち、ナハティガル王に会い、手をかけることになるだろう。しかし、それで済むと思えないのは、これまでの経験からしての事だ。ここまで色々な事があったが、ほぼ全てにおいて何事か余計な事態がくっついてきた。今回もそのようになるのだろうか、と溜め息を吐く。それから、悪い気分を振り払うかのように首を横に振った。実行する前から悪い事を考えてはいけない。やれると思いながらやらなければ結果はついてこないだろうて、今はやれるだけのことをやるだけである。安心した様子のワイバーンを見下ろし口元を緩め、息を吐いた。


「ここだと思った」
「ジュードくん」
「ねえ、ハイディのこと聞いても良い?」
「私のこと?」
「長く一緒にいるけど、君の事が一番知ってない、と思って」
「…そう」


屋敷の方から歩いてきたジュードくんに見下ろされながら首を傾げる。甘い琥珀色の瞳は不安定に揺れて、皆と話しをして考えを聞いて回っているのだろうと思った。身の振り方を決めかねている彼は皆の話を聞いて余計に混乱し、焦っているのかもしれない。自分だけが自分の意思を持っていない、そう感じているのだろう。


「何が聞きたいの?」
「えっと…君の成すべきことは何?」
「見守ること」
「見守る?」
「皆を見守ることが使命。ミラと一緒だと沢山の場所を回れると思って」
「だから一緒にいるの?」
「一緒にいたいと思ったから」
「思ったから出来る、って凄いね」


視線をさ迷わせるジュードくんを見上げ手を伸ばす。グローブ越しに触れた手を握り、ついと引いて屈んだ彼の頬に手を添えた。微かに朱に染まる頬と伏せられた瞳に目を細め彼の目尻を親指でなぞる。白く滑らかな頬が段々と熱を帯びてくるのが分かった。ほんのりと暖かいそれに口元を緩めた。


「私にはそれしかないの。でも、ジュードくんは違う。もっと悩んだって構わないんだよ」
「……」
「出来なくても良いの。全部出来る人なんていない」
「でもミラは、」
「貴方はミラじゃない。ミラにはなれない。流されないで。自分が自分でなくなってしまう」


15歳の子供に自主性を持てだなどと酷な事を言っているのは自分でも分かっていた。けれど、言わなければ彼はこのままではミラの付属品になってしまうのではないか、そう感じる。彼は彼であり、彼でなくてはならない。間違えてほしくはなかった。
戸惑いの色を見せるヘーゼルの双眸を見詰め、ひとつ頬をなぞってから手を離す。口を噤んだ彼に苦笑し肩を竦めてみせれば、ジュードくんは難しいと言わんばかりの表情で口を開いたが、考えが纏まらなかったのか、何も言わずに口を閉ざしてしまった。


「ジュードくんが何をしたいのか考えてみて。ミラを抜きに、ね」
「…一緒にいたい」
「ミラと?」
「ううん。ハイディと」



予想外の返答に瞬きジュードくんを凝視する。ミラばかりだと思っていた中に突然出てきた自分に反応が出来なかった。金魚のように口を開閉する私に笑った彼の手が、今度は私の頬に伸びてきて、そっと触れる。何も言えない私は、ただただ瞬いた。




ミラの隣を歩くジュードくんの背を眺め、カラハ・シャールでの出来事を思い出しては繭を寄せる、を繰り返していた。彼は何を考えているのか、と云う疑問ばかりが出てくるが、それは当の本人にしか分からないのであるからして悩むだけ無駄である。それでも、ずっとミラを追ってきた彼が名瀬に私を、と云うのはとても気になるところだ。ミラに憧れ惹かれるのは物凄く分かるが、私に、というのが解せぬ。何の魅力も取り柄もない女だというのに。頭の良い子の考えは分からないな、と後ろ手を組んだ。イル・ファンが近い今、余計なことを考えているのは良くない事だろうて、先程のことは一旦、頭の隅に追いやっておくことにしよう。
夜域の為に暗い街は騒がしく、軍が動いていた。騒然とする街に響いた爆発音に身を震わせ、音の発生源を見やる。煙を上げる場所は研究室であるとジュードくんは声を上げ、焦りを孕んだミラの声に皆は走り出した。クルスニクの槍は研究所にあるらしく、もしかしたら槍になにかあったのかもしれない。何としてでも槍を壊したいミラは険しい表情で研究所を見つめていた。爆発の際に怪我を負った人達が研究所の前に運び出され、医療の心得のあるジュードくんとレイアちゃんがそれぞれ駆け出し治癒術を施していく。中に入れないものか、と視線を巡らせるミラの腕を掴み注意を引かせれば、少しだけ申し訳なさげに眉を下げたミラに頭を撫でられた。


「すまない」
「ううん。大丈夫、入れるよ」
「ああ、そうだな」



赤い服の少女らしき人物を捜す為に研究所を出た。あの後、入り込んだ研究所にはクルスニクの槍は無い事を知り、他になにか情報はないかと見ていた監視カメラに映った赤い服の少女に、彼女が何かしら握っているのではないかと推測し、まだ街にいる可能性を強く見て、急いで研究所を後にしたのである。街灯樹に照らされ一種幻想的な街並みは、このような事態でなかったらゆっくりと眺めていたいところである、と少女を捜しながら視線をさ迷わせた。
いくらかして見付けた後ろ姿に皆が足を止め、見るからに怪しいその少女の纏う空気に眉を寄せる。隙の無い、戦いを知っている人の空気だ。声を掛けたと同時に振り返った彼女は、私達がいることを知っている様に見えた。




「てめぇは違うみてえだな」
「そう?」
「…ホントに人間か?生きてる臭いがしやがらねぇ」
「でも、暖かいよ、私」
「さわんな!」

生きていないだなんて失礼極まりない彼女の言い分に、手を伸ばして一歩踏み出したら物凄く嫌そうな顔をされてしまった。犬を追い払う様な仕草までされてしまったので触れる事は諦めて肩を竦める。レイアちゃんと根本的に合わないのか、子供の口喧嘩紛いを繰り広げる二人に呆れ顔の皆だったが、武器を構え向けたアグリアちゃんの、溢れ渦巻くマナにそれぞれが得物を構えた。一方的にだがミラに恨みが有るらしく詠唱を始めた彼女に、最近の若い子はキレやすいな、なんて思いながら距離を取る。精霊術を主とする戦い方をするようで、近くにいては巻き込まれてしまう。こんな街中で盛大にやらかして、警備の人達が来なければ良いな、と思った。

紅蓮の炎が夜色の街に輝き揺れて消える。離れていても届く、肌を舐める炎の温度に少し眉を寄せた。精霊術の影響は受ける体質なのか、飛んできた火の粉を指先で遊ばせながら息を吐く。何となしに目を向けた先ではミラの剣の切っ先がアグリアちゃんの喉元を捉えていた。ようやっと終わったか、と小走りで皆に近付く。ジュードくんの隣に並んで、お疲れ様と声を掛ける私に、はにかんだ彼が頷いた。苦々し気な声色のアグリアちゃんが、ミラの気が逸れた隙を狙って剣から逃げたのだが、その姿があの忌々しい台所の黒い悪魔を彷彿とさせて思わず踏みたくなったは内緒だ。そう言えば、この世界に来てから奴を見たことが無いのだが、存在しているのだろうか。旅ということで長く同じ場所に滞在しないから見ないだけなのかもしれないし、出来ればもう一生見たくないな、とアグリアちゃんを見ながらぼんやり思った。

「おい、そこの女」
「わたし?」
「てめぇ以外に誰がいんだよ」
「女は他にもいるよ」
「んなこたどーでも良いんだっての。てめぇもアタシが殺る」
「え?」
「てめぇもこの女と同じでムカツク。人を馬鹿にしやがって」
「なんて理不尽な……」
「次に会う時までくたばんなよ!!」


物凄く熱烈な告白をされた気がする。走り去っていく華奢な背を見送りながら首を傾げ肩を竦める私を、ミラが不思議そうに見下ろしてきた。どうやらアグリアちゃんは本能的な何かで私とミラが同じだと感じ取ったらしい。ミラと私がイコールで結ばれている、即ちミラにしたいことは私にしたいこと、と云うなんともまあ理不尽極まりない思考回路をしている彼女の標的になってしまったと云う訳だ。あと、仕方のないだななんて子だな、なんて子供扱いに気付かれていたようだった。


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