竜と戯れ

不思議な空気、というのが第一印象だった。岩壁に囲まれるその隙間から見える青々とした空が、強調されているように感じた。色取り取りの布が虹彩を刺激する。街のあちらこちらから聞こえる魔物の声に、エリーゼちゃんが驚きに身を揺らした。腰元に張り付く小さな手を握れば、しっかりと握り返されて、温もりが近くなる。怖がる必要は無いのだと言っても大して意味は無いのだろう。物珍しげに周りを見渡すレイアちゃんをからかうアルヴィンさんの声を聞きながら、対岸をぼんやりと眺めてればいつの間にかアルヴィンさんがいなくなっていた。何処へ行ったのかなど興味は無いので差ほど気にはならない。ワイバーンの調達を、と一歩踏み出した所で微かに聞こえた石の音に顔を上げて目を凝らす。宙を転がる小石を捉えて咄嗟にミラを呼んだ。途端、崩れ落ちてきた巨岩に力を集中させるが、不安定な力では落石を完全に止めることが出来ない。速度の落ちた岩は崖を滑り落ち、地面に叩きつけられる。土煙を立てたそれは、川へと転がり落ちて動きを止めた。咳を一つして目の前を手で煽ぐ。土煙の晴れた先に見えたのはエリーゼちゃんを抱えるミラと、それから、ローエンさんに庇われたレイアちゃんだ。子供達を助けたらしいジュードくんは巨岩の落下地点よりも少し先の所で此方を窺っているが、倒れているレイアちゃんを視界に入れたと同時に駆け寄ってきた。洋服に付いた砂埃を払い、崖の上を睨み付けるミラの傍へ歩み寄る。一瞥しただけで直ぐに岩へ目を移したミラだったが、そっと背を撫でてくれた。身体を気遣ってくれるような仕草に頷くだけで応えて息を吐く。

駆け寄ってきた見知らぬ女性に一度目を向けてから川を覗き込む。先程の岩が沈んでいるのを眺めていれば、ジュードくんに肩を叩かれた。危ないから、と肩を引き寄せる彼は心配性だ。いくらぼんやりしてようと、まさかここから川へ落ちることもないだろう。そう言えどジュードくんは首を横に振るばかりなのだろうけれど。余程、信用が無いらしい。


「大丈夫、だよ?」
「ハイディの大丈夫は宛にならないからね」
「そんなことない、はず」


異国情緒溢れる街並みと中央を抜ける大河の揺蕩う音が、視覚と聴覚を楽しませてくれる。活気づいた街の人々が連れ歩く魔物につい目が行ってしまうのは、普段から敵として対峙しているからだろう。どうしても警戒してしまうのだ。大丈夫だと分かっているが致し方ない。
街を見下ろしていた頭を引っ込めて、ワイバーンの檻に背をあずけて座り込んだ。独特な獣の臭いが鼻先を掠めるが、絶えず吹き抜ける風が攫っていくのであまり気にはならない。上を向く様にして檻の向こうの様子を窺おうとしたら、丸い硝子玉の様な澄んだ双眸に見詰められていたらしく、目が合った。一つ瞬けば、相手も真似るように瞳を一度、閉じた。檻から少し顔を出し、鼻先が触れるか否かの寸前まで顔を近付け突き合わせてくるが、ワイバーンというものはこれ程までに人に懐く生き物なのだろうか。竜という種族は総じて気位の高いものだと思っていたのだが、とまで考えたが、自分が"人"なのかと云う所に引っ掛かりを感じた。人に思われていないとなれば、ここまで懐くのも可笑しくは無い。先のミラの事も、彼女から人ならざるものを感じたからと推測出来る。
中々帰って来ない彼女達を思いながら膝を抱えた。そもそも何故こんな所で油を売っているのか、と言えばミラの所為と言っても過言は無い。落石事件の後、ワイバーンを見付けるに至ったは良いが、持ち主であるキタル族の方々の目の前で盗み発言をして相手を呆れさせるし、目線だけでワイバーンを屈服させる、と云う荒業をやってのけた。それから何故そうなったのかは知らないが、その実力をキタル族の人に気に入られ、武闘大会に参加してくれたらワイバーンを貸す、という訳の分からない条件に乗ったのだ。他に方法が無かったとは言え、よもや即答するとは思うまい。始終閉口していた身としては、文句を言う権利は無いので、もうどうにでもなれと云う心境である。

実力を測る為にミラ達は行ってしまったが、戦えない足手纏いは此処でお留守番、と云う訳だ。彼女達がそこらへんの魔物や何かに負けるとは思わないので特に心配することもあるまい。元々、こうやってのんびりするのが好きなので、普段やれない分をたっぷりと堪能させてもらうことにする。背中に感じる檻の冷たさとワイバーンの呼吸音だけが、今の全てだ。


穏やかな呼気が前髪を攫い、剥き出しになった額をワイバーンに突つかれた。驚きに肩を竦めれば、ワイバーンは目を細めて鼻を鳴らした。まるで笑っているかの様な様子に、何が面白いのだろうかと思いながら彼を見上げた目を細めた。突つくのを止めて額に顔を寄せてくる。硬い鱗に覆われた皮膚と、射るような瞳が近い。硬い鱗は、触れた直ぐは冷たくとも体温が移ったのか、ほんのりと温かくなったように感じた。ミラは屈服させたが、今の状況はそれとは違う。ワイバーンの方から心を開こうとしてくれている。こちらもそれに応えなければならないだろう。目を閉じて、彼にそっと手を伸ばす。ワイバーンが小さく鳴いて、それから、そっと頬に擦り寄った。


どれくらいそうしていただろうか。近付く足音を、気付いたワイバーンが教えてくれる。姿を見せたティポくんの声に顔を顰めるみたく眉を寄せる彼が可愛い。鼻先で背中を押してくる彼の頭を撫でてやって、大きく手を振るレイアちゃんに応えた。大輪の華を思わせる笑顔で駆け寄り、こぼれ落ちそうな程に大きな双眸を瞬かせワイバーンを凝視する彼女は驚いているようだった。


「なんか、仲良くなってる?」
「そう見えるなら、そうだよ」
「ハイディは時々、難しいことを言うね」
「そんなこと無いと思うけど」


唇を尖らせるレイアちゃんの後ろにいたエリーゼちゃんが怖々とした様子でジュードくんの後ろに隠れてしまった。そう怖がることも無いだろう、と首を傾げる。慣れてしまえば、どうと云うこともなく、可愛く思えてきた。ねえ、とワイバーンの鼻筋を撫でれば小さな返事が返ってくる。やっぱり、可愛い。
食べられてしまうかも、と云う先入観が抜けきらないのはアルヴィンさんがあれやこれやと嘘を吐くからだろうて、止めれば良いのに、と思うが冗談めかして物を言えるのは彼の長所でもあるからして何も言えない。嘘偽りでしかないとしても、それが処世術で、彼に必要だったと思えばまだ可愛いものと言えよう。最も、今の面子でそう思えるのは私以外は誰もいないのだけれど。
アルヴィンさんと目が合えば笑みで返される。何を考えているのか悟らせない、そんな表情だった。


「あ、そういえばどうだった?」
「無論、私達の勝ちだ」
「だよねー」
「負けるとでも思っていたのか?お前は」
「まさか」


不敵に笑うミラに首を振り、擦り寄ってくるワイバーンの喉元を撫でる。こうも懐かれると愛着が湧いて仕方ない。ワイバーンを構う事がミラの事よりも驚いたのか、キタル族の人達が目を丸くしている。やはり君達は不思議だな、なんて言うキタル族の人に肩を竦め、鼻を鳴らすワイバーンの喉元を、もう一度撫でた。

それにしても、武闘大会に嫌な予感しかしないのは何故だろう。宿屋に荷物を置きに行く皆の後ろについて階段を降りる。別れ難そうにするワイバーンに後ろ髪を引かれながらも、ローエンさんに手を引かれるがままに街中を横切れば、私の様子に気付いたアルヴィンさんに頭を撫でられた。何故バレたのか。そう思いながら彼を見上げれば苦笑が帰ってきた。


「またあとで会いに行けば良いんじゃねぇの?」
「ま、そうなんですけどね」
「俺も付き合ってやろうか?」
「いらないでーす」


明らかにからかいの眼で見てくるアルヴィンさんにそっぽを向いて頬を膨らませた。


「何処に行くのかと思ったら…」
「ん?」
「危ないから夜に一人は駄目だよ」
「今度から気をつけるね」
「どうだか」

呆れるジュードくんから目を反らしてワイバーンの首に抱き着く。段々と行動パターンが彼に把握されてきている気がしてならない。石垣に背をあずけ溜め息を吐くジュードくんに内心で謝罪しつつも、ワイバーンが擦り寄ってくるのに応える。わざわざついて来なくとも、なんて思ったのは内緒だ。


「ほんと、目が離せないんだから」
「何か言った?」
「何でも無いよ。あと少しだからね」
「…はーい」


いつの間にか隣にいたジュードくんが微笑んで、ワイバーンみたいに擦り寄ってきたから同じ様に頭を撫でておいた。

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