再出発へ
出発前に挨拶をしにいく、と言った二人と別れて一足先に海停に足を運ぶ。また皆と離ればなれになってしまうエリーゼちゃんがむくれている頃ではないか、と思いを巡らせながら小さく笑った。子供の気持ちを分かっているようでいて実はそうではない三人に囲まれて、エリーゼちゃんは嘸かし御立腹だろうて。しかし、大人の言い分も分からなくはないので何も言えはしない。幼い子供を連れて歩くには、この旅は危険過ぎるのだ。離れたくない、などの理由だけで簡単に連れていけまい。ただでさえミラはまだ思うように動ける状態ではないのだ。ローエンさんには全体の援護をしてもらわなければならない上に、ジュード君だけでは火力の方に些か問題がある。そして、一番の問題である私がいる。何も出来ない足手まといと言う名の私を抱えたパーティーは、私が言うのも何だが心配だ。エリーゼちゃんに何かあったときに直ぐに動けないかもしれない。
と、そこまで考えて、そうでもないか、と苦笑する。忘れていた。アルヴィンさんがいるではないか。昨日、会った時点で彼が合流してくるのは目に見えていた。寧ろ合流してこない筈がない。彼はその為に此処へ来たと言っても過言ではないだろう。最も、彼が此処へ来たのはそれだけではない気がするが。
声を漏らして笑っていた視界に掠めた白色に目を向ければ、船に乗り込む小さな人影。小さな、というのは船員にしては体格が華奢だったのだ。もしかしたらレイアちゃんなのだろうか。朝から姿が見えない彼女であると推測するのは妥当だろう。あれだけジュード君の傍にいたというのに、出発の日だけ忽然と姿を消すなんて何かしら企んでいるようにしか思えなかった。言えば反対されるから黙って着いてきてしまえ、なんて考えた結果だったりして。彼女の事だから容易に想像出来る。はてさて、一体どうしたものかと思案する私の元に届いたミラの声に顔を上げた。ミラの声は嬉しそうで、ようやっと旅を再開できるからだろう。
「ミラ、準備は?」
「ああ、心配ない。いつでも行ける」
「そっか、なら大丈夫だね…っと」
「…ハイディ」
「どうしたの、エリーゼちゃん」
「ハイディは置いてったりしませんよね」
「あー、えーっと、」
案の定、眉を寄せて寂しそうに見上げてくるペリドットの瞳にたじろいだのは言うまでもない。私には何の決定権も無ければ発言権ですらあまり無いのだ。まさか、ここでアルヴィンさんが来るから、なんてそれこそ言えたものではない。エリーゼちゃんの背中を撫でてやることしか、私に出来ることはなかった。
残念そうな表情の彼女の手から力強くが抜けて、私の背に回っていた手が虚しくはなれていく。かける言葉が見付からないまま、ジュード君のお母さんに預かってもらうように離しは進んでいった。全くもって、こんなときにアルヴィンさんは何をやっているんだろうか。早く出てきてくれ。内心で溜め息を吐き、眉を寄せていれば慌てた様子のディラックさんが駆け寄ってきた。
明らさまに良い顔をしていないジュード君を横目見ていたら、彼のお母さんと目が合ってしまった。優しげに微笑む彼女は私を呼んだ。
「体調はもう良いのね」
「はい。お陰様で大丈夫です。お世話になりました」
「畏まらなくて良いのよ。…ジュードを」
「はい?」
「、ジュードをよろしくね」
一旦ジュード君を見やり、目線を伏せた彼女だったが、直ぐに強い瞳を見せた。母は強し、と言うことか。本当は心配で心配で堪らないだろうに、それをひた隠し笑うのだ。私の母親もそうだろうか。こうやって、心配してくれるだろうか。今はもう思い出せない母親を思った。
ジュード君を見てから頷いたと同時に肩にまわされた腕に驚いて身体が跳ねた。何事かと見上げた先には悪戯めいた赤茶の双眸。いつの間に来ていたのだろうか。そう問う前に、嬉しそうに船に乗り込む乗り込むエリーゼちゃんが目に入り、やっぱりね、とアルヴィンさんのお腹を叩いておいた。
ミラに促され、ローエンさんにエスコートされて乗船したは良いが、何か忘れている気がするのだか、何だったか。
数度目になる船の上は相変わらず穏やかで、緩やかな風が流れて行く。船の枠に凭れ掛かり海を見下ろせば、揺らめく海面は絶えず青くゴミも無ければよどみますも無かった。空の色を馬鹿正直に写しているだけ。深い色は今の自分の瞳と同じだと思った。
「なに、何か良いものでもあった?」
「何も無いのが良いことですよ」
「…お嬢様も難しいこと言うんだな」
面白く無さそうに頭の後ろで手を組むアルヴィンさんは、興味が逸れたらしく、皆の会話に混ざりにいった。これからの進路等を詳しく決めているようだが、どうやって何処へ行こうとミラが良いのなら何も言うことは無い。それに、皆がそれぞれ考えてを述べたり試行錯誤して解決していくのもクロノスの役目だ。だから、それがどれだけ困難であろうと、皆が皆、それぞれの時を紡いで行ってほしい。見ている事しか出来ないけれど、決して見放したりはしないでずっと見守ってるから。なんて、頬杖をついて会話を広げるミラ達を微笑ましげに見ていたのだが、割って入った船員の叫び声に忘れていたものを思い出した。
「忘れてた」
「何をだ?」
「レイアちゃん」
「??」
首を傾げるミラから、様子を見に行ったジュード君達に目を向ける。二人の反応からしてレイアちゃんに間違いは無いだろう。あんぐりと口を開けるエリーゼちゃんのそれを手で塞いでやりながら肩を竦めた。やはりあのひとかげはレイアちゃんだったようだ。
「あれ?ハイディ?」
「おはよう、レイアちゃん」
「えへへ…」
樽から出しても起きなかった彼女に肩を貸し、ようやっと起きた朱鷺には海停に着いていた。ここまで寝ていられるとは流石である。謝る気が有るのか無いのか、頭を掻く彼女に溜め息を吐いて首を横に振った。着いた、と元気良く駆けて船を降りるレイアちゃんにため息をもう一つ。先が思いやられる、そう思ってしまった私は悪くない筈。きっと誰だろうと一度はそう考えると思う。
旅について行くと声を大にして宣言するレイアちゃんと、それを止めるジュード君のやり取りははっきり言って不毛だ。他の皆も呆れている様に見える。何でも良いが、早く先に進みたいらしいミラがそわそわしているので、私としても早く話を着けて欲しい。結局はジュード君が折れてしまうのは目に見えているのだから。早々に折れて頂きたいものですね。後ろ手を組んで遠くを見ていれば、寄ってきたミラが耳打ちをした。
「レイアは何故こんなにも旅に行きたがるのだ?」
「直ぐに分かると思うけど、まあ、乙女心ってやつだよ」
「乙女心?」
きょとん、としているミラだったが、レイアちゃんがミラに話を振って何やら話し込めば、ミラは事情がわかったらしく小さく頷いて笑った。肯定と取って良いだろう。ミラが許してしまえば皆は何も言わない。そうと決まれば早速イル・ファンに向かうべく歩みを進めようとしたのを止めたのはアルヴィンさんだった。此処に着いてからほんの少しだけ様子が可笑しい気がする。気のせい、と言われてしまえばそれまでなのだが、少々首を捻る部分が有るのだ。じぃ、と見上げる視線に気付いたのか、彼はいつもの人を喰った様な笑みを貼り付けて視線を合わせてくる。見惚れたのか、なんてからかいの色を混ぜた声に眉を寄せて首を横に振った。面白く無さそうに肩を竦めてから姿勢を直したアルヴィンさんが何やら提案しているのを右から左に聞き流す。どうせ却下されるのだ。
「ハイディ、行くよ」
「うん」
「疲れてる?」
「大丈夫。前より体力付いたよ」
「そっか」
微笑むジュード君に笑い返せば、私にも、とでも言うようにエリーゼちゃんが抱き着いてくる。柔らかな髪を梳く様にして撫でるのに、擽ったそうに笑って頭を振った彼女と手を繋いだ。小さくて温かい手をしっかり握って海停を出る。一先ず目指すはシャン・ドゥという、異国情緒溢れる穏やかな街だ。その前に何かしらが起きる予感がするけれど、無事に辿り着けることを祈るしかなかった。