全員集合
「こんばんは、アルヴィンさん」
「…ったく。こんな時間に出歩いちゃ駄目でしょーが」
「姿が見えたので、つい」
「いけないお嬢様だこと」
ミラの足も、まだぎこちない部分はあるものの動くようになり、翌日に出発だという日の夜中のことだった。寝付けない私は窓から街をぼんやりと見ていたのだけれど、治療院へ向かう見慣れた背中を見付た。部屋を抜け出して近くの塀に身体を預け、彼を待つことにする。
穏やかな風が通り抜けていくのが感覚で分かった。きっと肌寒いだろうそれは私には分からない。気温ないし外的要因による身体への影響は殆どと言って良いほど受け付けなくなっていた。だから、今の外気温は私には分からない。風すら、私の身体を避けるようにして流れていくのだから。面白くある反面、少し寂しくも思う。
難しい顔で治療院から出て来たアルヴィンさんに小さく手を振った。目を丸くして、それから直ぐに苦笑したアルヴィンさんは頭を掻きながら隣に立ち、何とも言えない顔で私を見下ろしながらそっと腕に触れてきた。夜風に曝された身体はきっと冷たいのだろう。彼が瞠目したのを見逃さなかった。どれだけ冷たくなっているのかは自分では分からないので反応のしようが無い。ジャケットを羽織って来ていたら少しは違っただろうか。そう思うも、今となってはもう遅い。愛用のジャケットはベッドの上だ。徐にスカーフを解いたアルヴィンさんに首を傾げていれば、案外大きなそれを肩に掛けられた。ストールのようになっているスカーフを手繰れば、アルヴィンさんの匂いがした。砂と血と硝煙の混ざった匂いだ。肌触りの良いそれを何となしに弄っている私に注がれるのは憎悪と戸惑い、それから、ほんの少しの慈愛。私が気付いてないと思っているのだろうけれど、そこまで鈍感な私ではない。レッドジルコンにも似た色の瞳を見上げて笑えば、彼はたじろいで、けれど直ぐに唇を噛み締めた。きっと無意識だろう態度を見る限り、彼は私の不自然さに気付いている。ミラとは違う、この人間離れした気配に。気付いたのなら、それはそれで構わない。隠している訳でも無いのだ。
それに、彼は無闇矢鱈に言い触らす人ではない。自分の内に隠し、状況が悪くなった際にでも交換条件として使おうとするだろう。生憎とバレても困ることでは無いので、もし使われたとしても彼には悪いが私は何ら動ずることはない。結局のところ、ミラが無事であることが第一に優先すべきことなのだ。
「何も聞かねえんだな」
「私には関係なさそうですから。それに、ミラに何かある場合は私が止める。それだけですよ」
「優等生よりミラに依存してんだな」
「その分、ミラも依存してるのでお相子なんですけどね」
「ミラ様が?」
素っ頓狂な声を上げるのも無理はない。端から見れば私の一方通行でしかないのは明白であるし、確かにミラも私を案じたりはするが依存までとは思わないだろう。それなのに何故か。それは彼女が無意識だからだ。無意識の内に全てを私と比べる。私なら了承する、私ならこうする、私は否定しない。そういった絶対的な考えがミラの中にはある。口にも態度にも示さないのは、それが当たり前だったからだ。私以外、誰一人として気付いている人はいない。
「普通、気付きませんよ」
「誰も?」
「そう、ですね」
「なんだよ、それ」
「ミラですら気付いてないんですよ。無意識なんです」
笑って誤魔化せば、アルヴィンさんは納得のいかない顔をしたが、溜め息を吐くだけで何も言わず首に手を当てた。何を言っても無駄だと思ったんだろうか。
後ろ手を組んで視線を落とす。風が抜けてアルヴィンさんのコートを揺らしたが、やはり私が羽織るスカーフは揺れない。まるで、時が止まっているみたいに。自分だけが異質で、隔離されたみたいに。
「お前…」
「何ですか?」
「いや、何でもねえよ。ほら、もう寝ろ」
「はーい」
「って、おい。スカーフは置いてけ」
残念。そのまま貸してもらえると思ったのにな。小さな笑いを零しながらスカーフを返し、苦虫を噛み潰したような表情のアルヴィンさんのお腹を叩いた。何て顔をしているのだ、と言うように苦笑したら彼も苦笑して頬を掻いた。
彼が何を考えているのか、何を背負っているのか、知ることはとても簡単だけれど、それは私の力ではない。人付き合いをするときは、なるべく"私"のままでいたい。なんて、それは私の我が儘で偽善的なものを孕んでいた。不公平だから、私じゃないから、そうして事実から逃げているだけなのだ。全てと向き合うのは、まだ怖い。
澄み渡る空は眩しく、波は穏やかに揺れている。海停に置かれた木箱に座りながら海をぼんやりと眺めていた。そんな私の背中に声が掛けられて、振り向いた先にはミラとジュード君、レイアちゃんがいた。普段と変わりない様子で歩くミラは私を見上げて小さく笑う。身体ごと向き直って、足を揺らして笑い返した私を、心配そうな瞳で見上げてくるジュード君にレイアちゃんが呆れた様子で溜め息を吐く。罰が悪そうに眉を寄せるジュード君に私は、また笑った。
「ほーんと、ハイディってば直ぐにどっか行っちゃうよね」
「そう、かな?」
「そーだよ!ジュードってばその度にソワソワするし」
「気をつけるね」
「そう言って、気をつけた試しはないがな、お前は」
「耳が痛い話だね」
苦笑して頬を掻く私に、困ったように肩を竦めたミラは前よりも顔色が良く見える。動けるようになった事が一番の理由だろう。だって、そうなることで彼女は使命を果たすことが出来るようになるのだから。ミラが嬉しいと私も嬉しい。レイアちゃんと話を弾ませるミラを見ながら表情を緩ませていれば、気付いたジュード君も少しだけ口元を緩めたのが分かった。
海を眺めながら話し合う3人を、変わらず木箱の上に座ったまま見ていたら、何か変な物が視界をチラついた。それはそのまま飛んできて、ジュード君に食いついた。この独特なフォルムはとても見覚えがある。引き剥がそうと格闘するジュード君を尻目に、ミラの腰に飛び付いてきた小さな子供に目をやった。ふわり、とアッシュブロンドの髪を揺らしてミラの腰に張り付くエリーゼちゃんと云うことは、やはり飛んできた物体はティポ君だ。漸く剥がしたジュード君に掴まれている縫いぐるみは相変わらずのテンションで動いている。理解し難い、とでも言いたげなレイアちゃんに内心で同意した。
その私に気付いたティポ君の目が輝いたものだからあら大変。標的を私に変えたティポ君が飛び付こうとしたけれど、咄嗟に反応したレイアちゃんに叩き落とされた。憐れ、と思いつつも心の何処かでざまあみろと思ってたり。
「ハイディ!」
「久しぶり、エリーゼちゃん」
「久しぶり、です。あの…ハイディ」
「直ぐに降りるから待ってね」
私に向かって控え目に手を伸ばすエリーゼちゃんに頷いて、箱から飛び降りる。そんなに大きな箱ではないので飛び降りるのには問題無い。運動神経が皆無な私でもこれくらいなら、と云うわけだ。
降りた途端、抱き着いてきたエリーゼちゃんの背中を撫でてから抱きしめる。それが嬉しいのか、彼女も更に力を篭めて擦り寄ってきた。一人で来たのかと問えば、彼女は首を横に振って後ろを指差すから、それを辿ってみた先には優しい微笑みを浮かべるローエンさんの姿があった。恭しく一礼する彼に私も軽く会釈する。お元気そうで何よりです、と彼は笑うけれど、それはこっちの台詞だと思うのは私だけだろうか。ご老体である彼は、下手したら私より元気ではないのか。解せぬ。
「お体の方はもう宜しいので?」
「ああ、この通りだ。お前達はなぜ此処へ?」
「少々暇を頂きまして」
「そうか」
他愛のない会話をするミラとローエンさんを背に、私に抱き着いたままのエリーゼちゃんとジュード君、レイアちゃんの会話を半分流し聞く。初対面である少女達に挟まれているジュード君は目を行ったり来たりさせて、少しだけ戸惑っている。頑張れ、青少年。
ゆっくりと瞬いて海へ視線を移す。吐いた息は海風に攫われていった。
出来すぎた話だと思った。きっとこれからまた皆での旅が始まるのだろう。レイアちゃんがついて来て、アルヴィンさんは上手く理由を付けて混ざってくる。まるで、どこかの小説のような、そんな感じ。そう考えて、また一つ瞬く。嗚呼、そうか。これは物語なのだ。人が紡ぐものを見ているに違いない。一人だけ除け者にされた気分、なんて。本当は此処にいること自体がイレギュラーなのだから、これくらい仕方ないか。
「ハイデベルク」
「ミラ、私は先に戻ってるね」
「ああ、大丈夫か?」
「ん?平気だよ」
意識を何処かに飛ばしていたらしい私を呼ぶミラの声に笑って返事をしてから、心配そうに見上げてくるエリーゼちゃんの頭を撫でる。やっと、クルスニクの槍を壊しに行けるね、ミラ。