苺の気持ち
※現代パロ
真紅に輝く魅惑の宝石が頂くのは流れる様に細やかな雪を思わす粉砂糖の衣。その身を落ち着けるのは同じ柔らかな白の絨毯。滑らかに泡立てられたクリームは舌の上で溶けて消え、敷き詰められた赤い宝石達は甘酸っぱく味覚を刺激する。旬では無いというのに大ぶりな苺は一粒で口の中がいっぱいになってしまうもの。少し値は張ったが買って損は無いだろう。
「んーこんなものかなぁ」
偶然にも見たテレビの中のそれとはまるで似てはいないが、即席にしては良い出来だろうて、絞り袋を横に置き満足気に息を吐く。見ていたら食べたくなってしまうのが人間の性か、しかし外へ行くのも面倒なので家にあるもので何か出来ないかと動き出して今に至る。自分が食べるだけの為、これくらいで充分だろうと市販のバニラアイスと生クリーム、大粒の苺だけのそれに頷き引き出しからスプーンを取り出した。それと同時に玄関から聞こえた物音に首を傾げだが、誰かと問うまでも無いので特に気にはならない。合鍵を渡しているのは一人しかいないのだから。
間を置かずして顔を見せた翡翠の瞳を持つ青年は優しい色のゆったりとしたセーターを着込み、片手にケーキの箱を持って微笑んだ。タイミングが良いのか悪いのか、彼を見てから作ったばかりのデザートに目を向けた。溶けかけたバニラアイスが器の底に溜まり始めている。視線の先に気付いた彼は困った様に笑うから、肩を竦めて応えておいた。
「出直しましょうか?」
「どうして?」
「ほんと、僕ってタイミング悪いですね」
「来てくれるの、嬉しいんですよ?」
「……翠」
はにかむ彼の優しいキスを甘受し、差し出されたケーキの箱を受け取った。これは後で食べれば良い、と冷蔵庫に仕舞い戻ればスプーンを手にした彼が座れを促すから、言われた通りにした矢先に目の前に寄越されたスプーンに目を丸くする。我ながら上手く泡立てられたクリームに埋もれる赤々とした大きな果実が眼前で揺れ、柔らかくなったアイスが今にも零れてしまいそうだ。迷うことなく口に入れ、その甘さに頬を緩ませる。程良い冷たさとクリームの柔らかさが堪らなく美味しい。舌鼓を打っていればまた差し出されるスプーンを口に含んだ。まるで親鳥に餌付けされる雛の様だが、それくらいのことはなんら気にならない。アイスやクリームにも負けず劣らず甘い視線で見詰めてくる彼は始終笑顔のまま食べさせてくれる。柔和に細められた双眸が見せる愛しげな色に気付き、流石の気恥ずかしさに視線を逸らし苺を飲み込んだ。
「美味しいですか?」
「……ん、まあそこそこ?」
「じゃあ僕も。…王道ですけど」
「ん?」
身を乗り出した彼の長い指が顎を掬い、深い翠色の双眸がひたりと合わされる。拒む必要などがある訳が無い。優しく重ねられた唇に目を閉じ、そっと力を抜いた。表面を緩く食まれ、互いの温度を共有する感覚に身を震わせる。何度も繰り返され、唇を這う舌に薄く開くことで応えた。口内を撫でる熱い舌先はまるで自分の口内とでも云うかの様に至って自由だ。上顎を擽る感触に肩が揺れ、鼻に掛かった息が漏れた。喉元を撫でる指に抗議の目を向けたが、答えの代わりに舌先を吸われ柔らかく歯を立てられてしまえば何も言えなくなる。されるがままに絡ませ合った先から引いた銀糸が切れるまで見つめ合い、それから、もう一度唇を重ねた。隙間なく合わさるそこから伝わる熱にうっとりと目元を緩め目だけで強請れば、笑みを深くした彼が焦らす様に軽い口付けを繰り返す。どれだけそうしていただろうか、器の中のアイスがすっかり溶けてしまった頃に離れていった彼が頬を撫でた。
「…美味しい、ですか?」
「そうやって奥目もなく聞いてくるあたりが貴女らしいですね…」
「ぅん?」
「まあ、良いんですけどね。美味しかったですよ、翠」
こうして彼と唇を重ねることは嫌いではなく寧ろ好きだった。普段は紳士的でこちらを優先する彼が自ら求めて来るのが嬉しい。見目に反して意外と熱く求めてくるものだから、想われているのだと強く実感出来た。支えていた彼の手が離れたことでソファに沈み込んだに対し笑みを零した彼を恨めしげに見やれば、機嫌を直して、と言わんばかりに苺が差し出される。素直に受け入れ、けれど少しの反抗の意の現れとして彼の指ごと口に含んだ。見せつける様に舐め上げ微笑み顔色を窺えば、肩を揺らし明らかに動揺している彼が口の端を引き攣らせた。小さく歯を立ててからあっさりと離し、何事も無かったと云う体を装い素知らぬ顔で苺を頬張る。甘い苺を咀嚼していれば目の前で大きな音が立てられ、何事かと問おうとしたが、テーブルに突っ伏している彼に声を掛けるよりも首を傾げてしまった。大きな音は彼がテーブルに額をぶつけた音だろうて、大丈夫かと伸ばした手は彼の手に捕まり、手の平へと額が擦り寄せられる。彼の吐いた大きな溜め息が鼓膜を震わせた。
「貴女という人は、本当に……」
「はて?」
「敵いませんね、全く」
苦笑する彼が目だけを向けて言う。押し当てられた額を撫で髪を梳いて、微かに口元を緩める。何か言いたげな、どこか恨めしげな視線を向けてきていた彼が身を起こし、誤魔化すみたく苺を押し付けてきた。照れるだなんて珍しい事もあるものだと、どこか他人事の様に思いながら下した苺は、彼の気持ちを代弁するかの如く甘く、そしてほんの少しだけ酸っぱかった。