翡翠の輝き
彼は鮮やかな色の瞳をしている。透き通る翡翠の様に煌き、それでいて深い湖の水面の如く濃い不思議な眼。穏やかで落ち着いたその奥に垣間見える深く大きな悲しみと悲痛に満ちた暗い色を、知られないよう気付かれないように微笑みで覆い隠している。柔和に細められる形の良い眼とそれに合わせて下がる眉、薄く上がる口角は人好きのする雰囲気を纏う。思わず頼ってしまいたくなる様な印象の人だった。けれど、時折ふと見せる温度の無い暗い深緑の、光の見えない眼差しに彼の抱えるものの重要さと、自身を抑え隠していることを知るのだ。触れて欲しくないと体言する雄弁な双眸は彼の心の内を良く表している。遠くを見詰める彼はそこに何を見ているのだろうか。かつて愛し、今も深く愛する女性に思いを馳せているのだろうと、勝手ながらに推測しているが強ち間違いではないだろう。悲しく罪悪感に満ちた眼差しながらも、浮かべる微笑みは優しさと慈愛を孕んでいるのだから。その横顔を見るのが好きだった。決して自身に向けられることがなくとも、傍で見れるだけで満足だった。




「ああ、でも……」




旅を続けていくうちに彼の瞳が見せる色が変わった気がする。吹っ切れたような、少し自信のついた、そういった類のものに見える時が増えた。肩に止まるジープを撫でながら、少し離れた所に背を預け彼を見詰めひっそりと思う。変わったよね、なんでジープに同意を求めれば愛らしく鳴いて頬に擦り寄ってくるから、小さな頭を撫でてから目の辺りに頬を寄せ軽く口付けた。お返し、とでも言うように頬を舐められ擽ったさに肩を揺らしてじゃれていれば、気付いたらしい八戒の落ち着いた色の双眸が向けられ、その瞳が丸くなる。どうかしたのかと、言葉無しに問うてくる彼に首を横に振ることで応え、ジープを撫でる手を止めずに翡翠を見上げた。感情の見えない凪いだ眼の奥、微かに揺れた様に見えた深い色は見られていたことによる驚きか、こちらの視線に気付かなかったことに対する複雑な気持ちからだろう。



一人でいる彼が何を思い考えているかなど容易に想像出来る。だからどうということはなく、そうしたいだけ好きにそうすれば良いと思う。柔らかな視線の注がれる中、ジープを撫でていた手を止め後ろ手を組む。必然的に見上げる形になる彼は長い腕を伸ばし、少し骨ばった、けれど長く綺麗な指の背で頬を撫でてきた。




「八戒さん?」

「冷えてしまいましたね」

「ん…大丈夫ですよ」

「中へ入りますか?」

「わたしは少し、散歩してきます。だから、」




一人で居て良いです、と続く筈であった言葉は彼の唇に吸い込まれた。パズルのピースが合わさる様に自然と重ねられた唇から伝わる温もりに目を閉じれば合わさりが深くなる。珍しい行為に彼を覗うべく目を開けた先、今は閉じられた鮮やかな瞳が何を思うのか、ぼんやりとした思考の中で僅かに気にしていれば、見られていることに気付いた彼が目を開けた。射抜くような強い眼差しが見せる想いの篭められた色が孕む、懇願するようなものに瞠目し、普段は見せない縋るようなそれに慣れないが為に、動揺で身体が揺れる。何度も重ねられる唇に思考が溶かされてしまいそうで、向けられる視線に自分が想われていると錯覚してしまうそうで怖くて目を閉じた。それでも自分から離れないのは、手を伸ばしたいから、温もりが恋しいから。




「敏い貴女のことです。気を遣っているのでしょう?僕が、花喃を想う時間を作ろうと」

「彼女を想う、八戒さんを想っていますから」

「本当に、馬鹿な人ですね」




今想うのは貴女のことなのに、なんて呟きは聞こえないふりをした。認めてしまえば求めてしまう。それではあの頃と何も変わらないのと同じになってしまうだろう。与えられるがままに欲し、失えば崩れる。もう、同じ思いはしたくなかった。

離れていく気配に距離をとれば、肩に留まったままのジープがこちらを覗う様に鳴いて首筋に身を寄せてくる。その首を撫でて微笑み掛けるのを黙って見下ろしていた彼に髪を梳かれ、困ったように笑む彼の下げられた眉を見上げ、頬に触れている手に自分のを添えた。指を絡ませれば応えるように絡まり握られ、見つめてくる翡翠の瞳に甘えが滲んだ。




「僕にはあまり微笑んではくれませんね」

「そう…ですか?」

「ええ。困った様に笑むばかりです」




彼女のように、という彼の心の声が届いた気がするのは、前に一度だけ彼が口を滑らせたことがあるからだ。だからか、微笑むと悲痛な色の浮かぶ翡翠の双眸を見たくなくて、切なげな思いをさせたくなくて、その一心で表情を変えるのを止めた。

先の言葉を口にしたことを自身でも良くないと思ったのか、表情を固くした八戒の肩に力が入り、絡められた指が強ばった。後悔することは何も無い、と首を横に振り微笑めば、目を丸くした彼の頬は少しだけ緩み和らいだものへと変わっていく。いつもの彼の笑顔だった。




「翠」

「なんですか?」

「想っています。誰よりも」

「無理しなくて良いんですよ?…でも、嬉しいです」




微かに上がった口角と真剣な色をした深い翠の瞳の彼が嬉しそうにするから、釣られて嬉しくなってしまうのは惚れた弱みということか。明るい、光の見える翡翠の眼の彼の頬に唇を押し当てた。







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