頬を撫でる風は冷たく、洗濯物をはためかせて通り過ぎた。いつの間にか北部に来たようで、粉雪が舞いはじめている。風に吹かれてあちらこちらに揺れ落ちる雪が、冷えた甲板に消えていった。長く滞在しなければ積もることは無いだろう。
洗濯籠を抱えながら縁に寄り掛かる。白い息は若干の温かさを保ち、顔に纏わり付いてから流れた。白い絵の具で塗りたくったような、もしくは原液を零したみたく一色で統一された景色が、陽に反射して眩しく目を刺した。所々青白く見えるのは影の所為か、地上から見るよりもえらく幻想的だった。粉砂糖が降り注ぐ様にも見える光景を、何かしらで留めておきたいと思う反面、変わる様が美しいのであるから、流れるがままの方が風情が有るのではないか、そう思うのは日本人特有の感覚だろうか。
目を細め、変わり行く景色を堪能していたら、少し高い声に、一人静かな雰囲気を壊されてしまった。それが悪いと云うわけではないけれど、情緒と云うものが無いのか、ここの人たちは。

(でも、鍋が恋しい気候だな…)

なんて考える私にも情緒なんてものは無いのだろうけど。人も来てしまったし、いつまでも油を売っていても仕方が無いから船内に戻るとしよう。
かじかむ指先に息を吐いて擦る。何か温かい物を作ってから部屋で絵を描く事にしようと決めて、振り返ったら緑色が視界に飛び込んで来た。黒と緑とがかち合って、二人して驚きに身を固め停止する。相手に至っては手に何かを握りしめた状態で、だ。目を合わせて数秒、挙動不審に慌てだした少年が、言葉にならない言葉を発しながらマフラーっぽいものを押し付けてくる。
言葉、と言っても私には分からないのだけれど。というか、私にしてみれば彼の服装の方が寒そうに見える。チューブトップの服を違和感無く着こなす男の子は初めて見た。格好よいと言うより、可愛いと思う顔立ちは、ますますこの船には容姿の優れた人達ばかりが乗っているのではないか、という疑問を確定にしていく。華奢な首回りはきっと私よりも細いのではないか。神様とは理不尽だ。私だって、余分な肉を落としたいと云うのに。食べて運動出来る環境ではないから、体重は増えるばかりだ。

『あの、その、寒いですから…』

恐々ながらマフラーを握らせようとする彼は困惑した表情で、明らかにどうすれば良いか分からなくて取り敢えず、といったところなのが伝わってくる。なんだかこちらが悪い事をした気分になってくる。
仕方無しに受け取ったら、嬉しそうな顔をするのが可愛くて、小さく笑った。それが不思議だったのか、首を傾げる彼の首にマフラーを巻き直してやる。触れた手が冷たかったのか、目を閉じて肩を竦める彼に、しまったとすぐに手を離した。置いた洗濯籠を拾い上げて手招く。素直について来る彼は雛鳥みたいだった。
洗濯場に籠を片付ける時もちゃんと後ろについて回った。何処まで素直で律儀なんだろうか。

勝手知ったるなんとやら。部屋から出る許可が下りた時から食堂には度々出入りしていた。絵を描く時の飲み物を作ったり軽食を作ったりしていたのだ。ロックスさんも知っているからもう何も言わないでいてくれる。むしろ、喜びながら使う事を許してくれたのだ。
適当に座るように促して、身振り手振りで待ってもらうよう伝えれば、彼は笑顔で頷いたので頷き返してキッチンに入る。ホットケーキの元を掻き混ぜながら湯を沸かす。私の為に、とカノンノちゃんが買ってきてくれた紅茶がまだ残っていたはずだ。此処へ来て格段に上がった料理の腕だけれど、人に作った事はないから少し心配だけれど、待ってもらっている手前、無かった事には出来ない。いつものように作れば失敗する事はないだろうから、気負う必要はない…と言い聞かせておこう。
カップにお湯を注げば、ふわりと香る甘い匂い。少しだけ砂糖を入れると更に美味しくなる。皿に移したホットケーキの上にバターとメープル(この世界に楓の木が存在するのか知らないけどそれっぽいから良いと思う)をたっぷり掛けて完成だ。アイスを添えても良かったけれど、温まる為に作ったのに冷たいものはどうかと思ってやめた。うん、我ながら良い出来だと思う。
テーブルを見れば、男の子はうつらうつらと眠たげに目を細めて舟を漕いでいた。寒い所から温かい場所へ来たから気が緩んでしまったんだろう。起こすのは気が引けるけれど、冷めてしまったら意味が無い。意を決して彼の肩を軽く叩いた。ぼんやりとしたままの緑の瞳をこちらに向けて数回瞬いて、顔を赤くしたのだけれどどうしてだ。理由が分からないから対処のしようがない。どうしようか、と首を傾げてしまうのは癖になってしまったようだ。
放って置いても大丈夫だろう。彼の前に皿とカップを並べて、向かいの席に腰をおろして、フォークを手に取った。



雪の舞う中に佇む彼女はどこか儚げで、目を離したら消えてしまいそうだった。遠くを見つめる黒の瞳は何を写しているのか。薄い衣服がはためいて、酷く寒そうに見えて僕はそっと歩み寄った。彼女と話したことは無いけれど、同じ船の住人なのだから気負うことはない。それに、彼女が優しい事を僕は知っている。
あと少しの所で不意に彼女が振り向いた。思いの外、近い距離に思わず止まってしまう。大きな瞳を瞬かせて、不思議そうに見てくる彼女に耐え切れなくなって僕は首に巻いていたのを彼女に差し出した。半ば押し付けるようになってしまったけれど今更あとには引けない。慌てながら主旨を伝えたけれど、彼女は首を傾げただけ。そう云えば言葉が通じないのだと気付いて、はっとした。どうしよう。何も考えられなくなって、取り敢えずこれを渡して中に戻る、という考えが辛うじて浮かんだ。
上目遣いで見上げたら、彼女は受け取ってくれた。意図を読み取ってくれたのが嬉しくて口元が緩んだ。けど、彼女は徐に受け取ったものを僕の首に巻き直して、足元に置いてあった籠を拾い上げながら手招いた。何が何だか分からなくて、素直に従う選択しか思いつかなくて、僕は彼女の後を追った。


暖かい部屋でいつの間にかうとうとしていたみたいで、お皿を持った彼女に肩を叩かれて思考を浮上させた。温かな湯気の上がるカップの、甘い匂いが鼻孔を擽る。寒かったから温かい物を作ってくれたんだと云うことは直ぐに理解出来た。
たっぷりと蜜の掛かったホットケーキを僕の前に置いて、彼女が向かいに腰を下ろしてフォークを片手にカップに口をつけた。
伝わらないと分かっているけど、ありがとう、を口にすれば、きょとりと瞬いて彼女は笑った。暖かくてのんびりとした穏やかな雰囲気が心地好い。他の人ては中々に味わえない空気。紅茶もホットケーキも美味しいし、会話が無くても気にならない。
空になったカップに紅茶をそそぎ入れる度に、彼女の黒い髪が肩から滑る様が綺麗だった。

「あの、僕はエミルです。その、貴女は?」
『…エミル?…私はミチタカ、です』

急に話し掛けて驚かなかっただろうか、迷惑じゃなかっただろうか。そう思ったけれど彼女は特に気にした様子も無く、答えてくれた。ミチタカ、というのが名前なのだろう。不思議な発音だけれど、別に難しいことはない。知らなかった彼女を知れて、嬉しかった。




エミル君(たぶん、合ってると思う)とのささやかなお茶会に会話は無いが、別段支障はないので、静かな空気を楽しんでいれば、複数の話し声と足音が近付いて来る。これは非常にまずい状況だ。大人しく控え目な性格であろう彼一人であったのなら接するのも平気だが、他の人、しかも複数は正直に言って怖い。いくら慣れつつあると言ってもまだまだだった。
が、そんな事を考えていつもどうしようもないのが事実。慌てて食堂を飛び出してしまえば、エミル君は変な誤解をするに違いない。それだけはしたくないので、我慢しよう。がんばれ、私。気にしなければ良いのであって、自分から話す気なんて更々無いのだから。
美味しそうにホットケーキを頬張るエミル君を見ながら、ごまかすようにカップに口をつけた。

『エミルーー!!』
『うわぁ!!』

愛らしい女の子がエミル君に突っ込んできて、二人揃って盛大に倒れ込んだ。とても大きな音がして、エミル君が頭を打ったのだと思う。
なんか、流石に可哀相だ。

「エミル君、大丈夫?」
『ミチタカ…』

そっと肩を押して身体を起こしてやって、したたかに打ったであろう後頭部を撫でる。指通りの良い髪が羨ましいと思った。
少しの間そうしていれば、黙って撫でられていたエミル君の頭を引き寄せて、少女は私を睨む様に目を細めた。私は地雷でも踏んだのだろうか。少女は柔らかく滑らかな頬を目一杯膨らませた。そんな女の子をエミル君が宥めようとするけれど、逆に丸め込まれると云うか、スルーされていると云うか、まったく意味を成していない。
さて、どうしたものか。空っぽの頭で考えた結果、取り敢えずご機嫌斜めな様子の少女に温かい紅茶を煎れてあげることにした。





(もう、ミチタカに迷惑かけちゃ駄目だよ)(これ美味しい!!貴女、紅茶煎れるの上手なのね)(…マルタ、聞いてる?)((機嫌直った?))



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